第17話 課題7ー2 体験と言語化の狭間にいるみのりん2

 これは、前話の続きとなります。


 まあそのね、とにかく、一言で言えば女子中学生一之瀬みのりちゃんの現状はやねぇ、よい悪いの問題ではなく、成長途上にあるという一言に尽きるわけです。

 で、成長途上であるということはどういうことかと言えば、どんなに頑張ってみたところで、完全にバランスよく成長するなどということは不可能であるということでもある。そこはまず、押さえておかんといかん。

 しかしながら、だからと言って特定の能力ばかりを伸ばそうとしたら、必ずやいびつな人間になって舞う(まう)で、ってことは、もう言うまでもなかろう。そうなってからノムさんに(なぜか出てきた野村克也さん~苦笑)社会人教育を受けても、遅いで(いやマジで)。

 それでもって、前回ワタクシがビシッと書いてバシッと表現できていないことをここで言うと、まあ、こういうことよ。


 少女みのりんは、今確かに読書と実体験を通じて生きているが、それを文字という媒体を用いて文章化(それなりに人前に出せる「文書化」はなおのこと)できる能力が、今までの読書と経験を表現するレベルに追いついていない。


 これが、未来の文豪一之瀬みのり女史の今の課題。

 実はズバリこのことが、私自身の課題でもあった時期がある。

 私自身も、幼少期から読書量はそれなり以上にありました。だけど、まともな文章を書ける気が、しなかったの。

 今思えば、それは、みのりんとおんなじ課題を負っていて、それを追っていたということになる(少し洒落ごかしてみたよ)。

 それは私の場合、30歳近くまで続いた。

 そこである時、小論文対策の参考書があったのでそれを読んでみた。樋口裕一先生という方のものでした(現在は大学教授もされているらしい)。

 それを読んで、文章の「型」というのを意識したら・・・、

 あら不思議?!

 それをきっかけに、「文章」、さらにはそれなりの分量と体裁を求められる「文書」を作成する能力は、飛躍的に向上しました。

 それで、アウトプットはしっかりできるようになりました。

 それからしばらく、学習塾などしながらボチボチやっていましたけど、さあ、そんなら小説は元より本の1冊も書けるかという話になるけど、そんなの、まだ、無理。読むのは、どんどん読んでおったよ。

 というわけで、あれは37歳になった日に出した自著、まあ私の半生と父の一生をつづった本だったわけだけど、書いたのは満36歳ということになるわな。それを出して、それなりに売れました。皆さん読んでくれたよ。

 だけど、亡くなられた早稲田大学文学部出身の元書店経営者の方が、ずばり、今私がみのりんに向けて述べた通りのことをおっしゃった。その方、いろいろな意味で困った御仁で、周囲に相当迷惑をおかけの型ではあったけど、それはまた、別の話。


 そうこうしておるうちに、私自身、いつまでも学習塾や家庭教師業をやっているわけにも行かんなと思っておって、それで、文筆を何とか、と思っているそんな矢先に、さあ、何を書こうかと思って、いろいろ考えてみた。

 自伝的な本は、まあ実態は旅行記のような体裁もあったけど、このようなものをいつまでも書いていくのもな、ってこと。一度やそこらはできても、そうそう何度も同じ手は通用しねえよな、ってこと。


 そこで、あの野村克也さんが高校時代、どの球団のテストを受けてプロ入りするかを考えたときのエピソードを思い出した。

 わしの娘(=隠し子)のみのりんほども賢くない、年だけ取ったおっさんやで、プロ野球選手でその年まで現役で来た人は、もうわずかなところまで来ておった。

 それでもって、どうやって文筆の世界に入っていくかを考えたの。


 まずは、ノムさんの話から。

 野球青年の域にかかってきた野村君は、まず、当時数十円、いまならまあ、300円程度のプロ野球選手名鑑を買ってきた。いくら家が貧乏でもそのくらいなら買えるし、田舎にだってそのくらいの書籍を売っているところはないわけじゃない。

 それをさあ、野村君はどう活用したかが問題じゃ。

 彼のポジションは、捕手。これは良くも悪くも、外せん。捕手ってのは、他のポジション以上に人手不足な側面もあるのよね、チームによっては。

 そこで、まず、彼が少年時代からあこがれていた巨人軍。

 残念ながら、少し年長の強肩強打の捕手・藤尾茂が入団直後。

 こりゃ、勝てんと彼は判断。

 後にその藤尾選手に勝ってレギュラーを取った森昌彦という名捕手もいるけど、ノムさんの立場からじゃ、そんな手を使えるどころか、大体、東京までの「汽車賃」も馬鹿にならん。

 かくして、あこがれの地と自分の仕事場が両立するという幸せは、彼にはないことがこれにて、確定。

 で、他球団もかれこれ見ていった。

 これはいけそうだと思ったのは、広島と南海の2球団。

 その中でも、南海ホークスは正捕手がベテランでそろそろ交替の時期に差し掛かりつつある。そこに持ってきて、打者としての力もつければ、試合に出してもらえる可能性はぐんと高まる。しかも、鶴岡一人監督の育成手腕には定評もあるときている(人物的には、後に深刻な対立を招いたが、それはまた別の話)。

 その後彼は南海のテストを受け、無事合格。クビの危機もあったが、3年後のハワイキャンプを機に1軍定着。

 その後の野村克也選手の活躍は、省略します。


 サーて、みのりんパパの私はというと、こうじゃ。

 まず、旅行記。鉄道が好きなので鉄道旅行記でも書きたいのはやまやまだが、これはしかし、取材も大変、売込むところもな、しかも、競争相手は多い。

 よって、これはナシ20(ググってみてね)だ。

 次に、ノンフィクション。私は小説などよりも、読むのはこちらの方が多い。昨日も、酒をすすりながらだけど、とあるノンフィクションを読んでおりました。

 でも、これを自分が書いて仕事にしていくのはどうなのかな、と思った。

 その要素は、やはり、取材。

 これもなしにノンフィクションは成立しないし、文献調査も半端じゃすまない。仕事の片手間で新規参入どころか、書くことに至るそれ自体のハードルが、やはり、高い。それに、他者との関係もきちんと調整(悪く言えば根回し)していかないといけない。それに自信がないわけじゃないが、そこもまた立派な参入障壁だよ。

 詩とか短歌? さすがに、とんでもないわ(苦笑)。

 そして、行きついたところが、小説というわけ。

 これなら、フィクションということで実在からの非難は基本的に退けることが可能である。逆に、モデルにした人物が実在の誰かを知っている人たちからは、まあ、そういうものとみてもらえる。逆にそうでない人にとっては、そんなこと関係なく一つの物語として読んでくれる。

 で、小説と言えども、取材はもちろんあるに越したことはないが、逆に取材内容を反映しすぎると、かえってフィクション感がなくなる可能性もある。

 さすれば、そこはいくらでも加減できる。

 というわけで、現段階の私自身にとって参入障壁の相対的に少ない小説を選び、それに力を入れているわけなのね。


 そこに、ノンフィクションや他の作品を読んだり観たりしたものを大いに繁栄していけばいい。それらをごっちゃのカオスにして、新たな世界観を作り出していく。

 そういう醍醐味があることに、書き始めてすぐ、気付いたね。

 ただ、本を出すまでには、やっぱり、2年少々かかった。

 ノムさんがプロ入りして1軍に定着するぐらいの期間ね。

 それでようやく、「プロとしての体力」がつけられたと思う。


 いろいろ書いてきたけど、文学少女みのりんの試練は、マジで、これからよ。

 プリキュアの敵を倒す程度の騒ぎなんかじゃ、ないんだぜ!

 今言語化できていないものを、どうやって言語化して、文字を通して形にしていくことができるか。

 ノムさんや私のような思考は、おそらく彼女はまだ、出来ていないだろうね。

 まあ、そんなレベル軽々超えていい作品書いて欲しいなんて言うのは、親馬鹿以外の何物でも、ないか・・・(苦笑)。

 もちろんそういうことがさっとできてしまう「天才」もいるけど、そこ=才能に自分から期待しちゃ、駄目だよ。そういう天才は、ある意味、別の点で弱さが出てしまって人間本体が破綻してしまう可能性あるからね(いやここ、マジマジ!)。

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