落ち葉の香り

エリーさんのオーダー

 秋も深まった日の午後、魔女マヤさんのお店にお客様が来ていました。

 地元の劇団のベテラン女優エリーさん、マヤさんの古くからのお得意様です。


「マヤさん、あなたには長い間お世話になりました。もう10年になるわね。今まで助けていただいて、本当にありがとう」

 エリーさんは何度も頭を下げて、マヤさんにお礼を言っています。


「この歳になるまで役者を続けてこれたのも、あなたの作ってくれた香水のおかげですわ」


「お役に立てたのでしたら、私もうれしいです。でも、香水はあくまでもサポートであって、エリーさんの演技の実力があってこそですよ。エリーさんが本当の素晴らしい女優さんだからです。もうこれで最後だなんて、寂しいですね…」

 マヤさんはしんみりした口調で言いました。


「私にはこれがお似合いなのよ。散るべき時に迷わず枝から離れる、あの木の葉みたいにね」

 エリーさんは窓の外のカエデの木を見ながら言いました。真っ赤に染まった葉のざわめきが聞こえます。


 エリーさんは喜寿を迎えたばかりでした。劇団では名脇役として周りから慕われていました。

 しかし、ここ数年で体力に不安を感じるようになり、次の公演で引退することを決意したのです。

 劇団の創立当初からのメンバーでしたが、長い役者人生の中で、一度も主役を演じることはありませんでした。


「それにしても、いつも激しい役ばかりで大変でしたね」

 マヤさんはテーブルの上のパンフレットを見ながら言いました。今までの公演の思い出も語り合っていたのです。


「ほとんど毎回人を殺してたわね」

 エリーさんはコロコロと笑いました。

「もう〜無理!体がもたないわ」


 普段のエリーさんは、穏やかでとても優しく、慈愛に満ちた面倒見の良い人です。

 人を殺す役をいただく度に、役作りには相当な苦労がありました。


 60代に入った頃から、どうしても役柄の気持ちになりきれず悩むことが多くなりました。

 そんな時、役者仲間からこっそりマヤさんのことを紹介されたのでした。


「人から取り除いた感情を与えてくれるって聞いて、藁にもすがる思いでやって来たのよ」

「あの時のエリーさん、相当追い詰められていましたね。本当に辛そうでしたもの」


「誰かの苦しみや憎しみを分けていただけるなんて、最初はとても信じられませんでした。でも使ってみたら香りもとても素晴らしいし、ものすごく集中して役に入ることができたの。自力だけではできなかったことに多少後ろめたさはあったけれど、若い頃の勘を取り戻せてホッとしたのを憶えているわ」


「私はこう思うんです。誰かが抱いていた憎しみや恨み、妬みといった負の感情たちも、俳優さんたちのお役に立てれば、そしてお芝居を観たお客様が喜んでくれれば、もしかしたら浄化されるかもしれないな…って。あくまでも私だけの考えですけど」


「マヤさんは台本をしっかり読んで、役柄に合わせた感情をいい感じにブレンドしてくれるって、役者仲間では評判だったのよ」

「それはそれは、恐れ入ります」


 マヤさんはエリーさんを真っ直ぐに見つめて言いました。


「エリーさんは注意事項をしっかりと守ってくださいました。だからトラブルも無く無事に舞台をお務めになれたのですよ」

「そうね。香水をつけるのは必ず自宅で台本読みをする時だけ。稽古や本番の日には絶対つけなかったわ。他の人に香りが移ったら大変なことになっちゃうものね」


「そして香水に頼り過ぎず、役柄を掴めたら使用を中止した。とてもご立派でした」

「あなたに最初にクギを刺されていたからですよ。即効性がある分、依存性の危険もある、だから使い過ぎには充分気をつけてくださいってね」


「私へのご依頼の無い公演もありましたよね。ご自分で役作りが可能であれば、香水を使わずに演じていらっしゃいました」

「そうね。多少は役者としてのプライドもあったからね」


 エリーさんは深く息をして、話を続けます。

「最後までお手数かけて申し訳ないけど…今回の舞台は、さっきお話したオーダーでよろしくお願いします」


「ハイ、かしこまりました。2〜3日で仕上げられると思いますよ。出来たら連絡いたしますので」

 マヤさんはニッコリと笑って言いました。


 エリーさんも肩で大きく息をして、テーブルの上の紅茶を飲みました。

「そういえば、小さいお嬢ちゃんはお元気?」


「はい、最近やっと保育園に行けるようになりまして…」

「最初に聞いた時は驚いたわ。よく決心なさったわね」


 マヤさんが無言でいると、エリーさんは慌てて付け加えました。

「ごめんなさい、余計なこと言っちゃって…」

 そしてハッと思い出したように言いました。


「そうそう、紹介したい人がいるの!男性なんだけど、テレビに出てる方で、ひょっとしたらあなたも知っているかもしれないわ。次に来る時に連れて来るわね!」


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