コズエさんの涙
午後6時を回った頃、ミオさんがコズエさんを連れてきました。美しい女性でしたが、とてもやつれて痛々しい印象でした。
「初めまして。ミドリカワ・マヤです」
マヤさんは名刺を差し出しました。
「突然押しかけてすみません、どうぞよろしくお願いします」
コズエさんはテーブルを挟んで、マヤさんの正面に座りました。
マヤさんの雑貨ショップは閉店の時間ですが、カウンセリングのお客様は午後8時まで受け付けています。
ミオさんがハーブティーを準備しました。
コズエさんは最初は緊張した様子でしたが、ハーブティーを口にすると、次々と語り始めました。
遠距離恋愛の彼と婚約して結納までは済ませたのですが、コズエさんも彼も地元を離れて生活しているため、みんながバラバラの場所で、主に電話でのやり取りで挙式や披露宴、新生活について話を進めていました。
しかし少しずつお互いの両親の気持ちに、食い違いや思い違いが生じたようで、次第に折り合いが悪くなっていきました。
そうしているうちに彼の気持ちも離れてしまい、とうとう婚約破棄になってしまったというのです。
「大変でしたね」
マヤさんは包み込むように言いました。コズエさんは懸命に涙をこらえているように見えました。
ミオさんは、噂よりももっと深刻だったコズエさんの事情を初めて知って、かなり動揺していました。
「コズエさん、そんなに大変なことがあったのに、きちんと出勤して仕事していたなんて…」
コズエさんはミオさんを見て言いました。
「ウエムラさん、私のことをよく見ていてくれて、本当にありがとうね。職場の人にはどうしてもこういう話はできなくて」
そしてティーカップに目を落として言いました。
「会社、辞める段取りもしていたから。課長にはもう伝えてあったの」
ミオさんはさらに驚いて
「エッ⁉︎」
体が固まってしまいました。
「じゃあもし結婚のお話がきちんと進んでいたら、彼のところへ行くはずだったのね」
マヤさんが尋ねると、コズエさんの目から涙が溢れ出しました。
「ハイ、そうだったんです…」
「コズエさんの、彼への気持ちは…?」
マヤさんは白いレースのハンカチを、コズエさんに手渡しながら尋ねました。
コズエさんはマヤさんに、小さな声ですみませんと言った後、
「まだ気持ちはあります。もうダメなんだって自分に言い聞かせてるんですけど、どうしても諦めることが難しくて…」
控えめに涙を押さえながらお話を続けました。が、
「破談になったことは、まだ課長には言ってなくて」
その言葉が出た途端、堰を切ったようにコズエさんは号泣し始めました。
「仕事はどうしよう、結納金や婚約指輪や、いろいろ準備してきたことはどうなるんだろうって、次から次へと不安になって…」
だんだんとコズエさんの嗚咽が激しくなり、マヤさんとミオさんは居たたまれなくなりました。
「もっと自分が努力すれば何とかなったかもしれない、私の気遣いや配慮が足りなかった、全部悪いのは私なんです…」
「コズエさん、それは違いますよ」
マヤさんは少し強い口調で言いました。
「ご自分をそんな風に責めてはいけません。決してそんなことはありません」
そしてひと呼吸の間をおいて、マヤさんは穏やかに語り出しました。
「コズエさん…ひとりで全部抱え込んで、どんなに辛かったことでしょうね。現実に起こったことに心が追いついていかない、それは自然なことだと思います。お相手への気持ちを現実と同時に終わらせるなんて到底無理です。コズエさんの経験したことは、あまりにも残酷な出来事ですもの」
マヤさんはコズエさんの両手をとりました。
「今のあなたは悲しみや苦しみによって、日常生活に実際に支障が出ていますね。このままでは大変危険です。私は今ここで、あなたひとりで背負っているモノを取り除いてしまいたいのですが、よろしいですか?」
「?」
コズエさんは一瞬何のことだか分からず、マヤさんを見つめました。
「ごめんなさいネ、変なことを言って。でも、このままずっと同じ状態でいては体を壊してしまいます。もうあなたは充分辛い思いをしたのですから、一度リセットしてみませんか?」
「そんなことができるのですか?」
マヤさんはコズエさんの瞳を真っ直ぐに見て言い切りました。
「できます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます