マヤさんの娘

 次の日の午後3時を過ぎた頃、マヤさんの仕事場にミオさんから電話がかかってきました。

「先生、昨日お話した同僚の子なんですけど、今日の夕方連れて行ってもいいでしょうか?ぜひ先生のカウンセリングを受けたいって言ってるんです」


 マヤさんは少し驚いて答えました。

「ええ、今日は予約も入っていないし、大丈夫よ。その人今日はどんな様子なの?」

「相変わらず元気はないですね。仕事は今のところミスも無くやれていますけど」


 ミオさんは周りを気にしながら小声で言いました。

「彼女がひとりになったところを見計らって、思いきって先生のことを話してみたんです。悩みがあって辛いのなら、相談してみたらって。すみません、やっぱりカウンセリングを勧めるような言い方になっちゃいました…」


 マヤさんは頷きながら聞いていました。ミオさんは話を続けます。

「そしたらその人、ちょっと涙ぐんで言ったんです。『ありがとう、誰かに相談したかった』って。すぐにでも先生にお会いしたいって」


「わかりました。じゃあ今日、その人と一緒に店に来るのね」

「ハイ、よろしくお願いします」

「その人のお名前は?」

「タニモト・コズエさんっていいます」

「コズエさん…」

 マヤさんは聞いた名前をすぐにメモしました。


 電話が済んでからマヤさんは母家おもやのキッチンへ行きました。

 お米を研ぎ始めると、

「ただいまぁ!」

 玄関で元気な声がしました。

「ママァ、今日の練習は中止なんだってー」

 長女のサヨちゃん、中学2年生です。


「おかえり、あらどうして中止なの?」

 手を止めずにマヤさんも大きな声でたずねました。

「エアコンが故障してすっごい大きな音出してんの。部屋も冷えてなくて、暑くて汗ダラダラで…全然集中出来ないから、先生が今日は自主練にしようって。はあぁ〜…」

 サヨちゃんはキッチンに入って来て、とても悔しそうにため息をつきました。

「せっかくソロの譜読み出来上がってたのにぃ〜」

「それは残念ネ。サヨちゃん張り切ってたもんね」


 サヨちゃんは歌が大好きで、地元のジュニアコーラスに所属しています。今日はその定例練習の日だったのですが、練習場所として借りている街の集会所でのトラブルでした。

「エアコンはちゃんと治してくれるのよね?」

 マヤさんはちょっと心配になって聞きました。


 サヨちゃんは冷蔵庫を開けて麦茶をコップに注ぎました。

「先生が頼んでたよ。絶対来週は練習させてくださいっ!て」

「まだエアコン使わないと暑くて大変だもんね」

「熱中症になっちゃう」

 サヨちゃんは麦茶を一気に飲み干しました。


 お米を研ぎ終えてマヤさんはサヨちゃんに声をかけました。

「じゃあ来週に向けてまた頑張って」

「ウン」


「サヨちゃんには悪いけど、ママはちょっと助かったかも」

「はぁ?」

「お手伝い頼んでいい?」

「お仕事入ったの?」

「今日これからミオちゃんがお友達を連れて来るの。元気がなくて心配なんだって」

「ふぅん…」


「ひょっとしたら遅くまでかかるかもしれないから」

「カレーだよね⁉︎」

「今日はチキンよ」

「やったー!」

「ニンジンとジャガイモ、切ってくれる?」

「やるやる!」


 マヤさんは急なお仕事が入った時にはカレーライスを作ります。

 サヨちゃんはお料理に興味があって、ママのお手伝いをするのがうれしくてたまりません。

 そして、マヤさんにとってサヨちゃんはとても愛しい存在でした。


「パパ達が帰って来たら先に食べててネ」

「うん。ミオちゃんも食べていけばいいのに。あ、そうか、お友達が来るのか」

 サヨちゃんは炒めた材料にお水を加えて、

「そのお友達、ママの魔法で元気になれるといいね」

 ちょっとしんみりした声で言いました。

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