第2話 転生

 どれだけ時間が経過したのかは分からなかったが、私が意識を覚醒したのは、早朝のまだ少し暗い時間のようだった。


 そこがマーシャルS.E.N.S.オンラインのバーチャルな世界ではないと理解できたのは、周囲に漂う匂いを初めて感じたからだった。


「甘い香り?」


 私の体はすっぽりと緑の何かに包まれていて、その中はほんのりと暖かく甘い香りがした。甘いという認識は知識情報からきたものだったがユーザーとしてゲームを体験した事が無い私には味覚と嗅覚の実体験が無かった。


 精霊の視覚情報を使って管理作業は行っていたが、あくまで操作をしているレベルだったからだ。


 私は自分の体のあちこちに触れてみて理解した。


「私、本当に転生したんだ」

 

 小さな手で自分の体に触れて見てその感触は今まで感じた事のないものだった。そしてもう一つ気がついた事があった。


「羽が……生えてる。これって」


 私は自分を包み込んでいる物を掻き分けるようにして外に出た。そして自分を包み込んでいたのが緑の花の花びらだと分かった。


「森の中かな? 池がある」


 周囲を見渡すと森の木々に囲まれた小さな池があり、その縁に咲いていた緑の花の中に私はいたようだった。


 私はトンボのように4枚生えた透明な羽を動かしてその場から飛び立った。


「操作の感覚は同じだ」


 私はゲームでの精霊の動きと、今の体の操作に違和感が無いことに驚きながらも池の側に降り立った。


「やっぱり」


 水面に映るその姿はとても見覚えのある物だった。


「風の精霊シルフィーネ」


 そこには、サービス終了時に操作していたマスコット精霊の姿が水面に映って自分を見つめ返していたのだった。


◻ ◼ ◻


 初めの驚きが収まると、私の心の中に何か沸き立つような感情がこみ上げてくるのを感じた。


 これから生きていかなければいけないという事に対する二つの感情がせめぎあっているのだと私は分析した。


「これが不安と喜びなのかな?」


 不安を感じた理由は、シルフィーネという精霊の頼りなさだった。


 飛んでみたり、物を持ち上げてみたり色々な動作を行ってみたがふよふよと飛ぶ速度は遅く、力もあって無いような程度だった。


 だがそれでもシステム管理AIとしての束縛から解放され、自分の思うがままに好きに生きる事が出来るという自由の喜びがそこにはあった。


「弱く頼りないのは、稀薄な存在として生まれたからだよね。でもあるがままに転生させるっていうのは……あっ! もしかして!」


 私はその小さな手のひらを何かにかざすように前に伸ばすとこう唱えた。


「【ステータス】」


 すると目の前に見慣れたシステムメニューが表示されたのだった。


◻ ◼ ◻



 マーシャルS.E.N.S.オンラインでは【ステータス】とユーザーが唱える事でユーザーが操作するキャラクターの様々な情報がウインドウ形式で表示される。


 特に持ち物を取り出したり、管理するのに頻繁に表示する最も使用頻度の高い特技といえた。

 

 左側に風の精霊シルフィーネの全身プレビューが表示され、種族欄に浮遊精霊と、名称にビスタと表示されたいた。


 右側には特技一覧として【ウィンドブレード】と【ウィンドシールド】そして【鑑定】【収納】【ステータス】【契約】【分解】【合成】【浄化】【心話】、アイテム欄として40個の空き枠、そして特記事項として欄外に【システム管理AI】と表示されていた。


 能力ステータスやレベルの表記は存在しなかった。ゲームに似ているようで違う所があるみたいだ。


「能力の数値化やレベルが表示されないのは、異世界に概念が無いからなのか、NPCだからなのかどっちだろう」


 NPCというのはユーザーが操作するキャラクター以外のシステムが操作するキャラクターの事だ。


 マーシャルS.E.N.S.オンラインではAIによる人間に近い高度な反応をするNPCが多数用意されユーザーが現実の世界がそこにあるかのような没入感を与える事に成功していた。


「特記事項にシステム管理AIとあるんだから、システムのヘルプくらいは参照させて欲しいな……何で用意しないんだろう?」


 そんな事を考えて急に可笑しくなってしまい私は声をあげて笑いだした。


「管理AIの時にさんざん色々な要求をされていた私が、まるでユーザーのようにシステムに不満を持つなんて」


 妙なところで生まれ変わった実感を感じながらも、頭の中では色々と今後の事を考えていた。


 シルフィーネが戦闘向けの特技を使えたのはありがたかった。特技を使えた理由は恐らくシルフィーネが特殊NPCだったからだろうと思われた。


「ゲームを始める時のチュートリアルキャラだから、アイテム保持枠とか初期値だけどユーザーに近いシステムメニューが用意されているのね」

 

 NPCキャラにも開発用にユーザーキャラと同様のステータス情報が設定されていて、特殊な事情がない限りそのデータは成長する事なく固定されている。


 シルフィーネはゲームを始めたばかりのユーザーに戦闘方法や、アイテムの使い方、ステータスの内容説明等を実地で教えてくれる説明用のキャラという役割も持っていた。アイテム枠が少ないのはゲームを始めた初期には40枠しか持てない制限があるからだろう。


「だからレベルや能力ステータスの表記はあったはずなんだけど」


 システム管理AIとして情報は正確に把握している。だとすると――


「この世界の修正力という物なのかもしれない……という事は特技も思っているような物とは違うかもしれないし、そもそも発動するかも分からないわね……色々と試してみないと」


 独り言のように呟く今の中身がビスタであるシルフィーネの話している様子を、もしゲームのユーザーが見れば、「こんな大人びたしゃべり方をするのはシルフィーネじゃない! イメージと違う!」と苦情が寄せられていたに違いなかった。


 そんな違和感のある様子で、ビスタは考え続けたのだった。

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