十四・弟
「決して外に出てはいけないよ」
と兄は言った、怖い悪魔が最近は出没しているから、彼は外に出てはいけないと聞かされていたのだ。集団から攻められるならまだしも、彼らは強い。しかし徒党を組まれると、いきなり彼らは弱者に陥れられる。
彼らがそこに生まれたのは偶然だった。何らかの偶然が重なり合って、やがて奇跡を生んだのもしれない。幼い兄弟は二人だけ寄り添い、懸命に生きてきた。
生き残ったのはたまたまだった。数多の同属が殺されて。それでも何とか生きていけたのは、きっと彼らの背中に宿った羽が、一際小さくて、誰も彼らに羽が生えているなんて、思いもしなかったからだ。
やがて自らの羽が隠せなくなるほど成長したころ、彼らは町を離れ、彼らが決して入ってこられないところで生活を始める。
兄弟は幸せだった。決して毎日、満足できる量の食事が食べられなくとも、夜中に獣が近くを彷徨いても、彼らはしあわせに違いなかった。
しかして、そんな平穏で、静かな日々も呆気なく崩れてしまう。
ある日、森が無駄にざわめいた。
兄弟は嫌な予感がする――そして絶対に外に出てはいけないとだけ残し、彼は弓矢を持ち、隠れ家を出た。弟は兄の言いつけを守った。兄は誰よりも頼りになる。けれど集団に囲まれたら、兄でさえ無事でいられるか分からない。
弟は待った。兄が外に出てはいけないと言ったから。けれどいつまで経っても兄は帰ってこなかった。
ここまで音信不通になるなんて、おかしい――彼はいても経ってもいられず、ついに兄の言いつけを破って、外に出てしまった。
未だ森は異様に静かだ。今までにないほど獣は息を顰め、静けさに満ちている。弟は五感を研ぎ澄ませて、兄がどこにいるか、足音を殺して森を駆け抜けた。
程なくして、兄は見つかった。けれど彼は、決して自分が知っている姿では、なかった。
「兄さ、ん――」
篝火が中心に兄はいた。しかし既に、彼の足は潰されている。一人の男が剣を突き出し、兄を逃げる為の手段を塞いでいた。兄は絶叫している。そのあまりに悲痛な声に、弟は思わず、未だ生きている兄を助けようと駆け寄ろうとした。けれどあまりの光景に足が震えて動けない。兄はその間にも息が絶え絶えなのに、自分は何もできない。きっと弟も彼らの前に出てしまえば死んでしまう。
弟はついに兄を見殺しにすることしかできなかった。弟はすべてが遅いくせに、兄が死んでしまった瞬間を目の当たりにしてしまってようやく、その足を兄に向けたのだ。
「あぁ、まだいたのか――羽の生えただけの……人間ですらないものが」
けれど白銀の、誰もが憧れる髪色の人間の癖に兄を殺した張本人が振り向いて、ついでと言わんばかりに彼の足の甲を突き刺した。
「ぐあぁ!」
逃げられないように男はまず少年の足を潰した。兄と全く同じ殺し方を試すのだろう。けれど弟は、一縷の希望を抱いて叫ぶ。彼は叫ばざるを得なかった。呪詛をもって、あらん限りの力を使って男を罵倒する。
「お前! 俺たちはただ誰にも干渉されずに、誰にも迷惑なんてかけてこなかったのに! どうして! どうしてそんな酷いことができる!」
少年は叫ぶ。力の限り。男の刺した剣から急激に肉が腐り落ちようが関係ない。少年は男に対して怨嗟の声をもって吐き続けた。
「復讐してやる! 兄さんの仇だ! お前を絶対に殺す! 何がなんでも、絶対に殺してやる!」
「残念ながら」
男はそれでも、顔色を結局変えず、銀色の冷たい瞳を少年に向ける。そして剣を引き抜いて、少年の頭に狙いを定めた。間違いなく、確実に潰せるように、生き返らないよう男は剣を振り上げて。そして。
「お前にその機会は、ないんだよ」
男の剣は少年の頭蓋骨をつぶし、眼球を飛ばし、脳漿を地面にぶち撒ける。男はどんな姿であろうが彼は絶対に殺す。そうして今日も二人の天使もどきを、無機質に殺した。
ぐしゃり、ぐしゃり、ぐしゃりと――その人間たちが生き返らないよう、肉塊を細かく、魂さえ細かく砕き、すり潰していた。
彼はどんな羽を持つ人間がどんなに邪悪だろうと、どんなに善良だろうとこの世界に存在することを、息をしていることさえ許さなかった。
何もかもすり潰して、壊し続けて、ようやく彼の復讐は終わる。業火に身を焦がすこととなる。けれどまだ、多くの天使が残っている。彼はこの身が尽きるまで天使を殺さなければならなかった。
そうして今日も殺して――それだけのはずだったが、今日は少し違った。リオンにとってはいつもの光景ではあるが、何も関係ない人間が彼の悪行を目撃してしまい、あらん限りの絶叫をしてしまう。
男は激高しながら、叫ぶ。あまりの光景なのか彼が取り乱しているせいで、リオンの耳には彼の言っていることが半分も聴き取れなかった。けれど男は、恐らくこんなことを叫んでいた気がする。
「何故、こんな惨いことができるのか」と――
リオンは首を傾げた。そんな当たり前のこと、を聞かれて返答に困ってしまった。
羽の生えた人間はいずれも無意識の内の悪意で人を害してしまう。現にこの兄弟も、人間を獣と称し、狩りとして時折、人が住む街に降りては人を攫い、その身体を余すことなく使っていたのだ。
だから二度と、その身体が蘇らないように徹底的に潰す。この世界にいてはいけないから、念入りに。
そんなこと、目の前の人間が知るとは思えないけれど。
しかして疑問を投げつけた男は結局、リオンの行動をついぞ理解できなかったらしい。勝手に喚き、恐れ戦慄き、逃げ出そうとも足が震えて足元が覚束ない彼に、リオンはこれを湾曲されて噂をばら撒かれては仕方ないと言わんばかりに、男にとっては予兆なんて一切なく、彼にとってはせめてもの慈悲を与えるつもりで、そのナイフを振り翳した――。
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