十一・罪人
「本当に良いんだな」
「あぁ、一思いに、やってくれ」
雲一つない青空の中、リオンはかつて住んでいた家の中で、ユーリスに力なく笑った。
リオンの背中には、片翼が六からなる、十二の、純白の翼が生えている。
リオンは仕方なく生やしたと言っている。そのことはユーリスも知っていた。彼は最も羽を持つ人間だ。彼は決して訓練場でもその身を一切乱すことはなかった。
そんな彼がなぜ知っていたかというと、彼はほんとうにたまたま、宿屋で肌を拭っているリオンを目撃してしまった。それだけの話である。
しかし、そのときの光景は、婦人が風で曝け出した足を見てしまったような既視感であり。ユーリスはすぐに目を逸らしたから、彼の肌は、それ以降、一切見ていない。
だが、その一度きりでユーリスは彼の背中に大きな傷跡を遺しているのを見てしまった。ちょうど背中の、本来なら肩甲骨がある辺り。肌が引き攣り変色している様は、まるで生きたまま翼を引きちぎられてしまったような、そんな痛々しい傷痕だった。
その彼がまさか、女神との対決の際に最も憎み、忌むべき女神の聖遺物――万能薬と称された女神の血を使うなんて、思いもしなかった。
しかし彼はその身に女神の血を取り込み、こうして十二枚の羽を宿すことになった。
リオンがいうには生まれたときは、髪も瞳も一切の色が混じらない純白の色であったらしい。女神に蹴落とされた際に、髪は黒く染まり、瞳も赤く濁ってしまったと冗談交じりで話していた。
今のリオンの姿は正しく神話に伝わるような、銀糸でできたような髪に銀の瞳、そして混じり気がない十二の羽――その姿は、美しい天使そのもののよう――と、一言でも言えば、彼はユーリスを手に掛けかねないから、絶対に言わないが。
今のリオンは、裸体を一切隠そうともせず、剥き出しになった背中をユーリスに見せている。
これは、リオンにとって必要な行為。ユーリスは重大な役割を課せられた。
その為には、羽の付け根を触り、関節と関節の間を探る必要がある。彼が恐る恐る触れば、羽毛は柔かく、とても触り心地よかった。きっとこの上で眠ったら安眠できるという程度には――
「あー、別に羽毛布団にしていいよ。俺に返せるものはないなら、寧ろどんどん使ってくれ」
心を読まれてしまったらしい。ユーリスは焦った。
「いや、心の中は読めないがそれぐらいはわかるさ。何にせよ、毟られる――ではなく、鋭利なナイフをもって、痛みもそんなにないように斬りとられるというのは、とても安心するな」
彼はぎこちないながらも微笑む。そういえば、彼が笑うことなど、ここ何年も付き合っていたが、一度も見たことはなかった。
「じゃあ、宜しく」
リオンはそういって布巾を口に挟み、背中をユーリスに預ける。
ユーリスはナイフを羽の付け根に当てる。関節と関節の間。彼はなるべく彼が傷まないように、傷つけないように羽にナイフを食い込ませる――
「〜〜ッ、……ッ、ん゛」
一枚、一枚が彼という人間から切り取られる。一気に剥ぎ取ると出血多量で死ぬ。だから、彼を死なせない為にもユーリスは彼がどんなに呻こうとも、決して、焼きごてを躊躇なくすることはなかった。
「……ぐっ、ぅう」
作業にしておおよそ、半日。リオンはようやく、再び人間となった。偶然ではあるが、初めてその目してしまった背中のときと比較して、引き攣っている場所も、傷痕も小さい気がする。決して跡が残らないわけがないほどの深い傷だが、あのときよりは大分マシだと、そう思えてしまった。
リオンは未だ汗をぼたぼたと床に流す。ひどく痛むのだろう。全身から汗が垂らして、やがて全てが終わったとわかるやいなや前のめりになりながら倒れ込んでしまった。
「――……羽は」
「あぁ、ここにあるぞ」
十二枚の、純白の翼は全て床に、丁寧に広げられて傷つかないよう置かれていた。いや、全てが純白ではない。羽根の付け根――骨が見え、脂肪の断面が見えているところだけは、薄く赤い血がこびり付いていた。
「……羽は……高く売れる……素材にしてもいい。薬の材料にもなる」
「まだそんなこと言ってるのか、お前。いいから休め、ほら、ここに心地の良い羽毛ベッドがあるぞ」
ユーリスはおどけながら、羽毛ではない硬いベッドを指差す。今の彼では身を屈めないと身体が入り切らないような、少し小さいベッド。
「……そうさな、なら、少し休ませてもらう」
しかし彼はそれでも構わず、脚を床下に投げ出したまま、上半身だけを器用にベッドに寝そべりそれからすぐに寝息を立てる。
顔色は悪くはない。前に見たときより随分と顔色も良くなっていた。
それはユーリスにとって初めての、彼の寝姿であった。
思えば彼が寝るという行為をしたなんて、彼にとっても恐らく初めてではないのか。
いいや、そんなはずはない。だって彼は人間なのだからと――頭を振りかぶり、それから彼は部屋の大部分を占領している――羽根をどうしようかと、いたく頭を悩ませることとなった。
本当に今日も雲一つなく、鳥の囀りさえ聴こえることがない――穏やかな一日だった。明日はどうなるか判らない。それでも永遠に雨が降らないなんてことはなく、また夜が訪れないなんてことはない。
彼の目蓋は未だに閉じている。そう、好きなだけ、現実を忘れてしまうほど、幸せ夢を見ればいいのだ。今までずっと頑張った分も含めて、存分に眠ればいい。目覚めるのはいつになるかわからないが、彼が起きたら朝ごはんくらいは作ってやろうと、彼の好きであるかもしれないものを食卓に出そうと――そんな決意を新たに今日もかつての友であり、今もなお友であり続けるユーリスは、リオンにかけられた毛布をかけなおした。
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