閑話
夢を見た。瑣末の夢。懐かしいその記憶。懐かしいその思い出は確かに少年にあったものだ。
しかしその夢は零れ落ちていく。どこまでも深く、どうしようもなく――
彼はどうしようもなく、最後は足掻く間もなく、かつての妹に蹴り落とされてしまった。
「――オン! リオン! 大丈夫か、リオン!」
「……サシャ?」
暫く気を失っていたみたいだった。彼は首を振って、ようやくその意識を覚醒させていく。
目の前にはリオンより少し背の高いサシャがいる。サシャはリオンの唯一の友人だ。彼との付き合いはそれこそ物心ついたときから、もしかしたらリオンの兄よりも過ごしている時間は長いかもしれない。
兄は一族の長であり、彼らが最も尊敬してやまない――天使である。
兄は花嫁を迎えたから、最近は特にリオンに構うどころか見向きもしなかった。厭われているとは思いたくないが、それでもリオンは兄のことを未だに慕い続けていた。
「大丈夫か、すごく顔色が悪いぞ? それにその肌……」
「うん、大丈夫だよ……何だよ、お前が心配するなんてらしくない」
サシャが心配そうにこちらを覗き込む。ついでに額に手のひらを押しつけて熱を測っているようだった。彼の手が、冷えていて気持ちいい。ついでだから、暫く熱をうばってもらう。天使は不死だ。殺されるほど殴らなければ、傷つけられなければ決して病に冒されず、死ぬことはない。
だから、こんなに心配することなんて、全く、これっぽっちもないのに。
「……来週から研修に行くけど、本当に大丈夫か? また、俺の家に泊まりに来るか? 何なら、家を勝手に使ってくれて構わな」「サシャ」
リオンはサシャの言葉を遮った。だってそんなこと言われたら、自分が本当に可哀想な人みたいになるじゃないか。
「……本当に大丈夫だからさ、ほら、もしかしたら兄さん達が仕事が回らないからって僕を探したら、それこそ殴られちゃうから」
「そう……か……」
サシャは今度こそ言葉をつぐんだ。そう、それでいいのだ。自分が殴られるだけならまだいい。十二枚の羽が守ってくれるから。しかしサシャは六枚の羽しかない。自分の半分しかない彼が、自分と同じぐらい彼が殴られてしまってそれこそさ死んでしまったら、それこそリオンは耐えられなくなってしまいそうになる。
だからこの話はこれでおしまい。彼に飛び火がかからないように、リオンはせめて、この優しい友人が傷付かないようにとするしかなかった。
「……なぁ、お前が役目に就く前に……その……良かったら、一緒に旅に行ってみないか?」
サシャは唐突に話題を変えてリオンに振った。リオンは思わず怪訝な表情をする。
「旅? なんだよ、それ」
「そう、旅! 俺たちの冒険! 俺たちがまだクソガキだった頃にさ、あちこち顔を出してさ、バカやって皆から怒られて。それのもっと大規模にした感じ! お前の兄貴だって――……」
彼は無邪気に笑う。そうしてリオンを笑わせようとして、失敗したことに気づいてしまう。彼はどうやって、取り繕うか心の中で模索して――ついに諦めてしまったようだ。
「悪い、変なこと言って。そうだよな、お前だって役目にまだ就かないとしても、兄貴の補佐、しないといけないもんな」
「……いいね、冒険」
そう、リオンは既に兄の補佐に入っている。それに日に日に、彼の仕事の量は多くなっていく。一人の少年では抱えきれないほど、多く。
だけれど、それが何だっていうのだ。彼は未だに役目を請けおっていないのだ。ならば、彼だって楽しみを成就する権利だってあるはずだ。
「見たことないお宝を手にするんでしょう? 金……はもうあるから銀……もある、財宝……うん、財宝! 僕たちがまだ見たことない財宝を手に入れたとしたら! 凄い、ロマンがいっぱいじゃないか!」
「……! そうだよ! 向こう側には、俺たちがいつも見ている満天の空や、青空じゃない空の色だってあるんだ! 赤色とか、黄色や紫が混ざったような色だって、『雨』っていうのが降る色だってあるらしいぜ!」
「へぇ、本当にそんなのあるんだ! 楽しみだなぁ……!」
本当にそんな「空」があるなら見てみたい。青だけではない、様々な表情をした色に出会いたい。財宝はなくたっていい。彼らのきっといつか見る光景そのものが宝なのだから。
「じゃあ俺が帰ってきたら、宝探ししよう! 遠出になるから、いろいろ準備するぞ! お前は……書き置きぐらいしていけば大丈夫さ! 役目を放棄するわけじゃない。役目に就く前のちょっとした息抜きだって言えばみんな、わかってくれるさ!」
そうして少年たちは約束する。この後、一人の少年が帰る前に、もう一人の少年が罪人として陥れられ、処刑されるなんて残酷な結末を露とも知らず。
「うん! 約束! 絶対だよ! 絶対、冒険しようね!」
彼らは約束をした。輝かしい未来を、新しい世界を見たくて。
きっと少年は唯一の友人を慰めようとしたのかもしれない。それでも彼らは希望を抱いたのだ。
決して叶わぬ夢を――砂になって零れ落ちることを知らぬまま。
「……」
リオンは静かに瞼を開ける。彼は今、太陽が全く見えない豪雨の中いた。ここは前哨基地だ。傭兵として雇われたが、この雪では戦闘もへったくれもない。だからこうして、砦の隅で身体を休めていたが――暫く身体を動かしていなかったせいで、どうにか鈍っている気がする。
眠らなくて既に久しいが、走馬灯のようにふと思い出すことがある。かつての友の顔も既に朧気だ。それに出会ってしまったら、間違いなく殺してしまう。どんな人間だろうが、大切な者であろうが――羽をもった人間は必ず殺す。彼は間違いなく、その身を地獄に落としていた。
「冒険、金銀財宝……夢のある未来……」
かつての友は行った。共に冒険に行こうと。その願いは自分だけが叶えてしまった。
それも決して、少年たちが夢見るような、宝石のような日々ではないけれど。
「なんて」
彼は自嘲すらしない。笑うなんて、心から嬉しいことなんて忘れてしまった。そもそも、彼は笑う資格なんて存在しない。
彼は呟く。かつての彼を馬鹿にするように――彼の過去を否定するように。
「なんて、くだらない――」
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