六・魔女
自らは神のみ使いだと自称し大国を支配している「天使」の一族と、空を飛べない人間が集う中つ国の戦争が勃発したきっかけは宗教の対立からであった。自らを天使と称する一族が、天啓と得たと称し彼らを中つ国へ突如として侵攻を開始したのだ。
両国では戦争が始まる前年に、各地の反乱と飢饉で多くの餓死者がでた。そのため死者の国に多くの人間が使者の国に送り込まれてしまったのだ。死者の国は両国に対し抗議の意味を兼ねて国交が断絶。行き場のない死者は自国から出ることができず魂がさまようことなった。
自分たちの神を信仰すれば、さすれば魂も救われると宣い天使の一族は中つ国への侵略を開始する。中つ国は大国とはまた違う神を信仰していた。中つ国は空前絶後の決断を迫られることとなった。
結果、中つ国は大国との戦争を決行。不戦協定は破られ、国境では大規模な戦闘が日夜問わず繰り広げられることとなる。
ノエルは戦争遺児であった。彼女の両親はすでに世にはいない。死者があまりにも多かった為、ノエルの両親が見つかることもなかった。むろん、棄てられた可能性も否定できなかった。彼女の名前は、リオンが名付けたものであった。ノエルは、未だ彼女の言語が覚束ないころから、リオンと共に小さな家で二人住んでいた。
ノエルは幸運にも、良心の呵責を母親の胎内に置いてきたため、とってきた鳥を「食糧」と称し食べることに抵抗はなかった。そう、空を飛んでいる、あの小柄な鳥と一緒。ノエルはそう結論付けたのである。
その頃、飢饉のあおりを一番に受けていた村は、どうしても子どもたちに必要な食糧を確保できなかった。そう、女神の眷属と謳われる鳥を食べなればならないほど、彼らは切迫していたのである。
天使の一族曰く、女神の恩恵を賜ったからには、天上天下すべてを管理するに義務がある――というもっともらしい言葉を宣っているらしい。
だが、ノエルには関係ない。そのときのノエルにとっての全ては、リオンと二人だけで住む世界だけであった。鳥を食べることも、女神の天啓なども得ることもない、平和な世界。
「リオン!」
「……ノエル、口に食べかすがついている。日々の習慣は正しくあれと、あれほど言っただろう」
「えへへ、ごめんなさーい」
リオンはそういうと、ノエルの口の端を自らの手で拭う。彼女は相変わらずの愛嬌の良さをもって、はにかみながら彼に謝った。
リオンは、ノエルに数々に大切なことを教えてくれた。村の外に出没する魔物の倒し方、罠の張り方、食事の作り方、フォークを使って食事を摂る方法。日々の生活で、彼が知らないことなんて一つもないほど、リオンはとにかく博識であった。とにかくノエルはリオンを実の兄のように、そしてまるで親のように慕っていた。
彼らの生活は、野菜を育て収穫して、山の中の山菜を採り、こっそり鳥を狩るだけの、本当に何でもない、変化もない生活。やがてノエルが、少し退屈だなと思った頃に、彼女の人生が一変することが起きたのだ。
あくる日、ノエルは村に一人の男が来訪したことを知った。彼は神託を授けたと称し、リオンに居座った。村人はリオンに知り合いなんて一人もいないと考えていたから、王都にいるような立派な騎士が彼を迎えに来たなんて、考えもつかなった。
「わぁ……」
ノエルは、彼を見た瞬間、彼の瞳に吸い込まれるように見惚れてしまった。
それは確かな一目惚れであった。銀色の甲冑を纏い、金色の髪の、空のような澄んだ青色の瞳の彼に、確かに彼女は恋心を抱いたのだ。
彼はずっと、辛抱強くリオンを説得しているようであった。けれどリオンは決して首を縦に振らない。今思えば、それはノエルの為であったのだろう。だが当時の彼女は、そんなこと考えもつかなかった。
そしてあくる日、リオンとノエルの想い人――カインが激しく言い争っている瞬間を目撃してしまった。リオンが激高している姿なんて見たことがなかった。彼はいつも穏やかな表情でノエルをたまにきつい口調で叱る。彼が感情を見せるなんて、その程度。
「あの子はまだ子どもだ! 幾ら魔王を斃せと神託が下されたからと言って、幼子を家に置いていくなんて間違っている!」
「神託は絶対だ。お前は、女神の意志を曲げようというのか!」
ノエルは彼の形相を見て、怒りを向けられるカインが可哀そうだと思ってしまった。あんな風に咎められたら、ノエルなんて一瞬で泣いてしまう。カインはよく我慢していた。彼もどこか感情を抑えリオンと接している。どちらかが手を振り上げる前に、止めなければならない。けれどノエルの足はいまだ固まったままである。動け。動いて、彼を助けなければならない。
「もしかして、あのときのことをまだ、怒っているのか? あんな大したことない、他愛も無いことを?」
「……~~ッ!」
ついにカインは、最も言ってはならないことをリオンに放ってしまったらしい。ノエルの耳には内容までは聴こえてこなかったが――リオンの顔色が先ほどまでとは全く、底知れない闇の色が――昏すぎて、一切の光を通さない瞳をしていた。それは悍ましいほどの狂気を秘めていて。
このままでは、いけない。
ノエルの足はついに動き、彼女は二人の前に飛び出した。これ以上リオンの醜態を見ていられなかった。
「リオン!」
「……ノエル!」
ノエルは彼の腰に抱き着いた。ノエルは、リオンを、彼の瞳を見る。彼の瞳にはすでにほの暗い闇を秘めていない。良かった。これで二人とも仲直りできる。そう、ノエルは思っていたのだけれど。
「……ノエル、ここにきてはいけないと言っていただろう!」
「だって……カインがとても困っているから、放っておけなくて」
「……っ」
リオンはどこか躊躇した。何かを言いかけて、けっきょく言葉を発することなく口を閉じた。
先ほど聞いていた内容をノエルは思い出す。彼はどうやら、女神の神託であるらしい「魔王」退治に赴く英雄の一人に選ばれたらしい。そんな栄誉あることをどうやら辞退しようとしていたけれど、それはノエルを置いていく事実が耐えられなかったからだ。
ならばどうすればいい。そう、ノエルも彼と一緒に着いていけばいい。そうしたらもしかしたら自分の初恋も叶うかもしれない。
ノエルは叫ぶ。これほどなく無邪気に、無神経に。
そのときのリオンの表情は、ノエルは見ているようで見ていなかった。
「リオン、リオンが勇者様についていかなくちゃいけないなら、私も一緒に行くよ! 大丈夫! 私だって、リオンに色々なこと、教わったもん! ちゃんと勇者様と、カインの役に立つよ!」
「……ッ!」
彼はついに思いつめた表情をして、そして何かを諦めたかのように、いつものようにノエルの言い分を、リオンが折れて訊く態度になった。そう、それでいい。これで誰も不幸にならない。ノエルはそう信じていた。
「……分かった。早朝、俺は勇者のもとに向かおう。だがこの子はまだ、子どもだ。絶対に無茶な旅はしないでくれ」
「お前が心配することか? 人間ですらないお前が子どもを守るなんてできるのか」
「……どちらにしても、子どもを守るのが、親の役目だ」
リオンは支度をする――と言って、クローゼットから布袋を取り出し、それから徐に衣類やナイフを、手慣れた様子で中に入れていった。カインも、既に旅支度を始めている。ノエルはリオンに頼んで、自分の分の旅支度をお願いした。まだ何も知らないからこそ、親はここにいるのだ。
そうして翌日、ノエルたちは、彼女の住んでいた生家を後にした。最も彼女は、家に未練も何もないわけではなかったが、家族はここにいるのだ。ノエルはちっとも寂しくんあてなかった。
勇者と合流し、魔王を斃すための一行は、すぐに出発された。ノエルにとってはあまりに長い旅路。だが想定だったのは、リオンにとっても想定以上の、あまりに長い旅だったのだろう。
途中で路銀が付きかけて、リオンは旅を続けるための出稼ぎへと向かった日も少なくはない。彼は段々と疲弊していった。ノエルも出来る限り、リオンがこれ以上疲れないよう彼のための薬を調合し、彼に分け与えた。もっともリオンはいらないと固辞し、勇者たちに分け与えてくれと言っただけで、彼がノエルの薬を飲んだことなど一度もなかったのだが。
それでもノエルの調合した薬は、勇者と、それから彼女の想い人の為に役立った。だからノエルは魔女としての称号が与えられ、勇者一行に認められることになった。
「リオン!」
「……何だ、ノエル」
今日もノエルの為に日雇いの仕事から帰ってきたリオンに、彼女は笑いかける。旅は辛かった。けれども、リオンの方がもっと疲れている。彼女はできるだけ辛い顔を見せないように、彼に笑いかける必要があったのだ。
しかも今日は特別な日。ノエルにとっても、リオンにとっても。
だからノエルは、とびきりの笑顔をリオンに向けるのだ。
「えへへ、私……カインのこと、好きになっちゃったの」
本当はもっと前から、初めて見たときから好きだったのだけれど。勇者が好きだと誤解されたらいけないと、彼女は正直に告白した。
勇者はとても美しい御仁だ。カインと同じような金色の髪に、空のような、綺麗な青の瞳。けれど勇者は将来、王になることが約束されている、まさに英雄。ノエルとは元々住む世界が違う、おとぎの中の――夢のような人。
彼は違う。カインは正しく、初めて現れたときからノエルの為だけの王子だった。話しかければきちんと答え、リオンとは違い満面の笑みを浮かべてくれる。王子が月なら、カインはまるで太陽のような存在であった。
恋をするのはいわば必然である。彼女は正しく、運命に出会ってしまったのだ。
「……」
リオンは、ノエルにとって何とも言えない表情――無表情になってから、やがて微笑みノエルの頭を撫でる。良かった――これでリオンにも認めてもらえた。ノエルは自分が認められたような気がして、ますます笑みを深めた。
「……頑張れよ。カインには、アリアという強力なライバルがいるからな。しっかり振り向いてもらえるよう、努力はしろよ」
「はーい!」
そう、アリア。リオンとカインと幼馴染みである彼女は、どう見てもカインと相思相愛であった。奪うなんて大それたこと、考えたこともない。愛し愛される姿を見て、羨ましいとは思ったが、カインの笑顔が曇るなんてことをしたくなくて、リオンはただ黙って彼らを見守るしかなかった。
それでも――幼いながら彼女にもわかっていることがある。アリアは、リオンに対しても無自覚な、仄かな想いを抱いていた。彼女自身が気付いているか定かではないが、アリアのもう一人の幼馴染みであるリオンを、確かに彼女は、時にはカインよりも優しいまなざしで見つめていた。
もしリオンがアリアの想いに気付いて、その想いに応えたならば、そのとき、ノエルはカインを慰めて、あわよくば胸の内を告白しようと、そんな願ってはいけないと分かっていながらも、かすかな希望を抱いたのだけれども。
「あのね、リオン、私、リオンが傍にいてくれて、本当に良かったと思うの!」
そう、本当に良かった。一縷の希望が望めるかもしれない存在。もしかしたら、新しい母ができて、恋人ができて家族が増えるかもしれない一抹の希望。リオンはノエルにとって、今もなくてはならない存在だった。
「……そうか」
彼は力なく笑い、それから眠るように部屋の中にあった椅子に座った。彼が寝台を使う様子はない。ならば――と、ノエルは彼の代わりに寝台に潜り直し、それから眠りなおす。
今日はいい夢を見られそうだ。そう思って、彼女は眠りについた。
リオンがこの日から殆ど眠らなくなるなんてこと、露とも知らず。
「どうして! アリア! アリア! 私の唯一! 私の愛!」
「……カイン」
その訃報が届いたのは、魔王を斃す途中の旅路、戦場での最中であった。大国と中つ国の国境沿い――勇者ですら赴かなければならないほどの激しい戦闘が繰り広げられている激戦の区。彼らは敵軍の足止めをしなければならなかった。殿を務めたのは、リオンとアリア。この二人が最も足止めに適していた。
戻ってきたのはリオンだけだった。彼はあまりの戦闘の激しさに、アリアの遺品を何一つ持ち帰れなかったと勇者たちに報告した。
彼自身も満身創痍だった。ところどころ、革の鎧が破け、縫わなければならないほどの傷も負っていた。けれどそれでも構わず、カインはアリアに殴りかかった。しかしどんなに新しく青痣ができても、彼は彼女が死んだという事実を曲げることはなく。
本当に死んでしまったのだ、とノエルは思った。どんなに殴られても、口の中が血にまみれても、彼はアリアの死を頑なに曲げなかった。
ならば、それは真実である。
羽を生えた人間は総じて羽の生えていない人間未満より頑丈である。それでも彼女は、何てことないその辺の槍で、胴体を突き破られ、あっという間に死んだらしい。
カインはどう足掻いても、その事実が変えられないと知った瞬間、慟哭した。それは誰が見ても、痛々しくて見られないほど。
彼女の葬儀は、ノエルも出席した。しかし真っ赤に腫れたカインの瞳は、葬儀中ですら、ついぞ涙を流さないなんてことはなかった。
ノエルは心配した。想い人の最愛が消えたのだ。ノエルだって、カインが死んでしまったら取り乱さない自信がなかった。
その日からノエルは付きっ切りでカインを励まし、慰めていた。やがて彼女の献身は、彼女の初恋の成就へと繋がっていく。
「――今、何と言った」
「私、カインと、結ばれたの……あの……みんなには内緒だって言われたけど、リオンだけには報告しようと思って」
ノエルはいつもの通り、その日、そのときあった出来事を出稼ぎから帰ってきたリオンに報告した。
カインは優しかった。まるで今までの苦労が全て報われたかのような、至福のときを過ごした。夢のような、歓喜と悦楽。彼女はついに身も心も、カインへと捧げ、そうして二人は結ばれたのだ。
リオンも祝福してくれると思ったのだ。だが彼は、顔を青白くさせたと思ったら、その辺の物を突き飛ばす勢いで、カインが休んでいる部屋に向かっていく。
「何故! 未だに成人していない子どもに手を出した! 初潮が来たばかりの、未だ成長途中の子どもだぞ!」
慌てて後を追うと、リオンがカインの胸倉を掴み怒鳴っていた。聞くに堪えない、罵詈雑言。彼女はカインからリオンを引きはがそうとして、そして自身について知らないことまで知っているリオンを気味悪がった。
彼女にとって、ほんのささやかな、意趣返しだったのだ。
ノエルは約束を破り、リオンに報告した。兄は、父は喜んでくれると思ったのだ。それが、これ。
後から考えると、これは娘を奪われた父親の気持ちだったのかと――彼女は思い出す。最も当時の彼女は、思春期特有の反抗期を迎え、ただでさえ父親に反発しがちであった。
「リオン……女の子の生理を把握しているとか……気持ち悪いよ……」
「……あぁ……そうかよ……っ」
そうしてリオンは憑き物が落ちたように、カインに胸倉から手を離し、また、今後一切ノエルに話しかけることもなかった。目も合わせず、話しかけもせず、彼らが旅をするための路銀だけは稼いで勇者に渡す。ただそれだけの日々。
その日からリオンは、一切食べ物も口にせず、また眠る様子を見せなくなった。彼はもともと丈夫だったのか――と、ノエルは結論づける。実際は、羽が生えている大人でさえ、一時でも眠らなければならないのだと、未だ大人になりきれていないノエルは気付かない。
旅は必ず終わりを迎える。旅の終わり、最後の刻。彼らは魔王が住む城に辿り着き、満身創痍になりながらも確かに魔王をその手で葬った。そのときノエルは決戦にいなかった。未だい大人になりきれていないノエルは、魔王城の手前の、結界がはられたテントの中で、彼らの無事をひたすら願った。
彼らは呪われた。やがて腐り落ちる身体に怯えながら、彼らは自らの身体を叱咤し、どうにかノエルが待つ場所まで戻ってきた。
ただ一人、リオンだけが帰ってきていないことに気付きながら、ノエルはあぁ、彼は死んだのかなと思うだけで、リオンに対して最後まで思いやるなんて殊勝なことはしなかった。
そうして魔王は排された。世界は平和には――ならなかった。
彼女はその後、生きる気力がなくなったカインを必死に介抱し、現在に至る。
彼女は待っていた。愛しい人がこの手に帰ってくることを。
そこには黒い髪の、かつて兄であり父であった人などのことなど、思い出すことはあれども、ただの一度すら想うことなんて、ただの一度たりともあり得なかった。
彼の耳に、かつての仲間である名前を訊いた時はちょうど彼の仲間であった人間を探している最中であった。既に何十人、何百人といった自称天使を自らの手で下している。純血と称している――そのうち、かつての魔王を斃し、生きている人間は、あと二人――魔王を自らの手で屠った勇者と、その魔女、ノエル――
勇者であった王は既に場所が割れている。だが魔女だけは、リオンがどんなに情報収集しても、長年手がかりが掴めないままだった。
しかしあくる日、何てことない村で羽を持っている一族を探していると訊いたとき、ついに村人は益になる言葉を口にした――
彼女は、カインをずっと待ち続けていた。いずれ迎えにくるからと、花嫁衣裳を誂えてくるからと、そうノエルに誓って外に旅立った。ノエルは気付いていた。カインが未だかつての恋人を忘れないことを。けれど彼はその憂いを、迷いを断つために、けじめを断つ旅へと出たのだ。
そうしてノエルはカインを待ち続けた。彼はまめに手紙を出してくれていた。ただそれが届かなかっただけで。ノエルはカインが書いてくれたであろう旅の様子をしたためた手紙を想像し、返信を書き続ける。彼がどこにいるか分からないからその手紙をポストに入れることは出来ないが、彼は今でもノエルを想い続けていることはノエルにとって確かな真実であった。
あくる日、彼女は窓の外が騒がしいことに気付く。彼女はカインの所有している屋敷に住んでいた。どうやらカインの客人が訪ねてきたらしい。暫く喧騒が続き、やがて静かになったころ、ノエルがいた部屋の扉が、静かに開く。
「――……っ!」
ノエルは目を見開く。まさかもう一度会えると思わなかったのだ。ノエルの恩人。運命の人と引き合わせてくれた、カインの親友。そしてノエルの兄であり、ノエルの親である存在。
「リオン!」
リオンはあの頃と全く同じ容姿でノエルの前に現れた。漆黒の髪、仄かに濁った、赤色の瞳。ノエルは立ち上がり、彼に駆け寄る。彼の手を握ったら彼の体温は、まるで死人のように冷えていた。ずっと歩いていたのだろうか。外はずっと、雪が降っていたから。
「……ノエル」
「リオン、遅いよ! もうすぐ私の結婚式があるのに、迎えに来るの遅すぎ! でもちゃんと私とカインを祝いにきてくれたから、今回は特別に許してあげる。リオンは、私の家族ですもの! それにこれからリオンは、カインの義兄になるのだから、二人とも、今度はちゃんと仲良くしてね!」
「……あぁ、そうだな」
リオンは真っすぐにノエルを見つめていた。その眼には――あのときのように、ほの暗い感情を秘めてはいなかった。だからノエルは安心した。リオンはあのときから全く変わっていない。本当にそう、信じていた――
ぐさり。そんな音が、聴こえたと思ったときには、彼女はすでに地に付している。
彼女は何故? と発しようとした。だが、言葉は発せられることなく、けっきょく彼女は何も言わないままで。
「――……ぁ、ぇ?」
彼女は自分の身に何が起きたか理解できていない。まさかリオンが自分を害するなど、鼻から考えてもいない。
リオンは、ノエルであった死体を見下ろし、それから喉を切り裂いた剣を振る。べちゃりと、外見の割には中身が貧相な部屋の床に血飛沫を零した。
こんなところに住んでいたなんて、よほど彼女は冷遇されていたのだろう。護衛も人数も、貴族にしてはやけに少なかった。だが間違いなく彼らは羽の生えた人間で、だからこそリオンは躊躇なく殺せたのだけれど。
けれど彼女――娘だった、かつての最愛に対しては。
感情を割り切るには、未だに時間が必要で。
「大人にならなければ……いいや、羽さえなければ、ずっと二人で暮らしていられたのにな……」
そう、羽さえなければ、今もリオンはあの狭い小屋の中で、ノエルと二人、世界が終わりを迎えるまでずっと二人で、静かに暮らしていたはずだった。今は叶うべくもない、幸せな刻の、夢の残滓。
彼はナイフを取り出す。屠殺用だったナイフは、今は天使だった人間を解体するのに使っている。
決して生き返らないよう、念入りに魂ごと砕く、その罪業。
彼は娘であった人でさえ手にかけた。最も、大切な人間を殺してしまうなんて、今が初めてではないにしろ、それでも。
「……ふぅ」
彼は胴体と首をわけ、更に頭を潰した。これでもう、死者を蘇生させる、奇跡の秘薬を使われても、彼女の魂は既にすり潰され、どこにも遺っていないから、生き残っていない。最も、彼女を蘇生させようとしている狂人は、今やこの世界でたった一人しかいなかったのだけれども。
「行こう、殺そう――殺さなければならない。どんなに大切だった娘でも、絶対に殺さなければならない」
彼は振り返らない。そこにあるのは肉塊になった死体だけ。死体は何者でもない、ただの死体。
リオンは二度とここには来ない。彼女は世界が終わるときまで生き返らない。
それだけが、確かな事実。彼は奇跡さえ赦さなかった。
天使が生き返ることだけは――だれが赦しても、自分だけは決して、赦さなかった。
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