四・妖精
その国の端で、妖精たちがひっそりと暮らしていた。
妖精は誰もが翅を背中にはやしている。姿形も、翅が生えていることを除けば人間の身体そのものだ。体格はどんなに大きくても人間のふくらはぎしかない。
妖精は天使の魂が砕け散った際に、ひときわ大きい欠片が妖精に生まれ変わったとされる。彼らは純粋で無垢であった。しかし人間の社会では生きていけるほど彼らは強くなかった。
妖精は森の奥の奥――人間たちの目がつかないところで集落を作り、そこで静かに生活をしていた。
「ねぇねぇ、こわい話、聴いた? 赤い眼をした、真っ黒いあくまが、私たちをころして回っているんだって」
その話はいつから聴こえてきたのだろうか。少なくとも彼らはどこまでも他人事のように、その噂を小さな口で囁きあっていた。
実際に悪魔――というものを妖精たちは見たことない。山奥に住んでいるから、他種族との交流もない。違う集落で暮らしている妖精ですら何十年に一度ぐらいしか出会うことがないのだ。外には様々な形の人間が住んでいることを知っている。けれど彼らは外に思いを馳せるだけで、決して外に行こうとはしない。彼らは外で生きられないことを知っている。
外は怖いところだ。人間たちは、少しでも形が違えば迫害をする。かつて妖精だったものは、人間たち傷つけられ、国を追われ、最後は森の奥の奥、人間たちが足を踏み入れる価値もない判断したところに行きついた。
そうして彼らは、一匹、また一匹と集まり、群れとなり集落をつくる。
ひっそりと、静かに――かつて天使だった欠片から生まれた、幻想の生き物。それが妖精。
あくる日、彼らは一匹の妖精を取り囲んで、翅を毟ろうとしていた。理由は「自分より綺麗な翅をもっているから」ただそれだけの理由。しかし彼らにとっては翅が全てである。
翅の色が混ざりもののない色に近ければ近いほど、その身に宿す翅の数が多いほど、彼らはもっとも美しい妖精とされ、その妖精を持て囃していた。
けれどそれだけ。
彼らは見ているうちにどんどんその翅が欲しくなってしまう。自分にもその翅を身に着ければ美しいのではないかと考えてしまう。
だから奪って、自分の物にする。自分の翅に加えていく。
けれど自分の背中に綺麗な翅を加えても、結局ちぐはぐな翅が出来上がるだけで、自分が望んでいたはずの、誰かが美しいと賞賛されることはあり得なくて。
自分の翅を引きちぎり、さらに美しくなろうなんてことは誰も考えもしなかった。それは自分の物だから。自分のものを自ら毟りとろうなんてそんな惨いこと――自分は優しいから出来るはずがない。
妖精は誰よりも優しく、痛みを分かち合える種族だ。
かつて天使だったときよりも慈悲深い彼らは、人と接することはなくとも誰よりも人が感じる痛みを知っていた――
だから彼らは一匹の翅をちぎったとしても、何も問題はない。だって誰よりも優しいから。
ちぎられた妖精も分かってくれるはず。自分が美しくなるためなら、同じ妖精同士協力すべきなのだと本気で思っている。
千切られて、血まみれになった妖精のあとのことなど、誰も考えもせず。
「?」
けれど一匹の妖精を全ての翅が毟りとる前に、彼らの視界は真っ赤に染まる。目の前の妖精ではない。これは彼ら自身の血であった。
彼らは一人によって振るわれた剣によって、頭を潰されたことに未だ気付かず。
彼らは一斉に生き返らないように、その魂ごと丹念に潰された。本当は真っ二つにされるだけでも生き返らないはずだが、彼は可能性さえ存在することを許さなかった。
「――……う゛ぅ゛」
正しくそこは――血の海と言って差し支えはなかった。唯一生き残っていた、翅を毟り取られていた一匹の妖精はよろよろと立ち上がる。背中は悲惨の言葉以外思いつかず、しかしそれでも何とか、一匹の妖精お礼を告げようと――彼の姿を視界に捉え、絶句する。
「ぁ、あり――」
乱暴に一括りにされた髪は、血を吸っても一切変わらない漆黒の色であり続けていた。瞳だけは爛々と輝いて、まるで自分たちの体内に通っている血の色そのもの。黒のローブから覗いている黒い革の鎧も、ただ黒いだけではない。まるで数多の人間を殺しすぎたかのような、深い血の色をしていた。
正しく、悪魔。彼の姿は正しく妖精たちの間で噂されていた悪魔そのものであった。
妖精は息を吞むことをすら忘れて、男をただ呆然と見つめている。
男は未だに妖精を殺してはいない――が、殺意を目の当たりにしてすぐに動けるはずもなかった。
男はぎょろりと、こちらを見る。そして足元にあった、自分の一部であった翅を、見た。
そして彼は歩き、翅を拾う。
一匹の妖精は慌てた。背中がじくじくと痛むにも拘らず走ったのは、翅を盗られるかと思ったからだ。翅は自分の一部。自分の半身とさえ言っていいそれを、誰に奪われて赦されるはずがなかった。
「――わたしの翅! 返して! それは私の!」
妖精は男の膝下まで走り、彼の持っている自分のものであった翅に縋る。男は翅と妖精を見比べたあと、片足を突いて、無言のまま翅を差し出した。
「私の! 私の大事な、大事な翅! 良かったぁ……」
妖精は男からひったくるように翅を取り返すと、宝物のように翅を抱きしめる。そうこれは、今も一匹の妖精にとって自らの半身に等しいほど大切な、自分を美しく飾る為の――道具。
妖精は顔を上げる。未だに背中は熱を持ち痛みを発しているが、彼女はそれでも構わず言葉を発した。
「あなた、あくまみたいな色をしているのに、私に返してくれるなんて――とてもいいヒトみたい」
妖精は、そう、自分の翅を奪うなんて愚行を犯しかけたものを許してあげるほど優しく、自らを痛む身体を我慢するほど慈悲深さをもって、微笑んだ。
そうして妖精は醜い悪魔に、言葉を投げかけてあげる。もしかしたら言葉が通じないかもしれないけれど、妖精はそれでも意思表示を示してあげるのだ。
「あなたが私の翅を盗ろうとしたことは、みのがしてあげ――……」
言葉は続かなかった。ごぼりと、音が、口から鳴ってしまったからだ。
一匹の妖精は首を傾げ、何故、自分からこんな汚らしい音が出てしまったのか、ようやく理解する。
「あら? 何で、どうして? お腹から、血が出ている、わ」
腹からは血がだらだらと出ていた。その腹からは、真っすぐ、鈍色の刃が突き立てられていている。突き立てたのは男である。男はただ憐れみながら、一匹の妖精の腹をその剣で突き破った。
「……お前たちは、かつて天使であったお前たちは、生きてはいけないんだよ」
悪魔の癖に、まるで幼子を諭すような優しい声色で。
男は縦に突いた剣を、振り上げ――背骨ごろ内臓を、頸椎を、頭を破壊する。骨ごとくだいて、魂ごと殺す。
一匹の妖精はそうして誰もいなくなった。残されたのは男と、一匹の妖精が大切に持っていた――翅。
「殺す。残らず殺す。殺せ。俺は、殺す」
男はまるで獣のように唸り、呻く。どこまでも昏い瞳は、彼がその場から立ち去っても尚、光を宿すことなんてなかった。
妖精の集落は、人間に見つかれないよう、巧妙に隠されていた――リオンは里を見つけるために、妖精に見つからないように音を殺し、殺意を押し殺して、探し続ける。途中、何匹か集まっている妖精たちを殺してしまったが――過去の自分を見ているようで、どうしても衝動を抑えきれなかった。
妖精は悪意を持っていない。彼らは、自分たちこそ優しいのだと、本当に思っている。だからこそ無意識に悪意を振りまいてくるのだ。それに振り回される周りのことを、まったく考慮もせず。
彼は静かに歩く。月夜さえ出ていない獣道を歩いていく。今、リオンの視界には人間はいない。しかし彼らも確実にここを歩いているはずだった。攫われた人間もが何ら痕跡を残さないなんてことはない。彼らは攫われてもなお、自分たちはここにいると必死に足掻き、その人間たちと何も関係ないリオンが見つけられるほどの痕跡を残していた。
「――……あぁ、これか」
やがて一つの集落が見えてくる。それらは森の中に隠されていた。高い木々に囲われ、人間に模した生活をしている彼ら。彼らは天使と生じた人間たちの真似をしているだけだ。木で屋根を作るだけで、壁を建てるだけで、自分たちは家を創った気になっている。
リオンは足元を確認する。程よく乾燥した枯れ木が傍に立っていた。
これなら、今日は特に、よく燃えそうであった――
彼は身を隠しながら、見つからないように慎重に、その身が月に照らされないように歩く。――彼らがかつて羽を生えていた人間であった頃の欠片であったが――冥府まで行き着くことも出来ず、乾涸らびて割れてしまった魂の欠片は、かつての人間の生活を朧気ながらも記憶していた。その内の記憶、動物を殺し、糧にしてり生計を立てたりする内の、動物を殺すことのみを魂にたまたま刻んでいた一匹の妖精が、戯れに人間をさらい始めたことが全ての始まりであった。
リオンはようやく異臭をひと際放つところまで辿り着く。彼らには嗅覚がない。魂だった欠片がその辺りの器を得た存在――小さな身体に、嗅覚を感知する細胞を持っていなかった。
「……これは」
リオンはこれまで数々の羽を生やす人間を、かつて天使と称した魂を、欠片ごと潰してきた。その所業に血がまみれないなんてことは一度もなく、またこれからも彼は血にまみれていくだろう。
その彼が、それでも目の前の光景に対し暫く呆けてしまうほど――あまりに悲惨であり。
内臓は残らず引きずりだされ、弄ばれ、妖精たちが飽きれば、ぽいっと――その辺りに転がされていた。羽のない人間は人間ではない。そう、かつての彼の言葉が脳裏に過ぎるほどには、妖精は彼らを人間として扱っていなかった。
彼は一瞬の間、確かに気を取られていたが、すぐに持ち直し、未だ生きている人間を探す。助けるためではない。こんな惨状が起きた後でも、生きてしまった彼らに、とどめを刺すために。
「……、ッ!」
一人だけ、見つけた。見つけてしまった。未だに息しているのが不思議なほど、人の形すら保っていられていない、哀れな人間を。すぐにこの人間は死ぬだろう。けれども一秒たりとてこの肉塊に魂を宿している身が、声にならない悲鳴を上げているなら。自分は。
「……あぁ」
最後の動いている内臓を、自らの手で潰す――流す涙も、涙腺もなく、男女の区別すら付かない彼かもしれない彼女は、冥府に行くこともできず、この土地のどこかで永劫ともいえる刻の中をさ迷うことになるだろう。
既に壊れた肉体から鎖が解かれ自由になっても、この人間に待つのは地獄に違いない。それでも。
せめて狂うほどの痛みを感じていた。せめて解放してやりたかった。たとえそれが自分勝手な理由であろうと、自分の満足だとしても。
リオンは未だに、人間全てに対して、非情にはなり切れないのだ。
「……やはり、よく燃える」
リオンは屠殺場もどきを炎で、灰で焼いていく。やがて炎は集落を覆い、大きなうねりとなって全てを焼き尽くしていく。彼は天使を称する人間たちにとって猛毒とある草をも焼いていた。
それを意味することは。
妖精が嘆く。逃げる。舞い躍る。炎に身を焦がされ、炎の鱗粉をまき散らしながら、それでも自分の半身である翅だけは守ろうと必死に地面にこすりつけ、必死にその身に宿した火を消そうとする。
目前に黒衣の男が無音で立ち、その身に刃を突き立てようなんて思いもしないで。
彼は無感動に無関心に、倒れた妖精たちの身体に、頭に、その刃を突き立てていく。串を通すように淡々と。
それは楽しそうに人間もどきを弄り回す妖精たちとは真反対の、妖精たちにとって最も残虐な行為。
そして一匹の妖精がリオンの前に立ち塞がった。妖精は震えていた。それでもリオンに言わなければならなかった。
「何て! 何て酷いことを! 妖精じゃないくせに! お前なんか、人間じゃないくせに!」
妖精はすでに満身創痍だ、あと半刻もせずに毒が回り動かなくなるか、炎でその身を灰にするか、どちらだけ。それでも彼が勇気を出して、人間もどきに批難の声を上げたのは褒めるべきなのだろうか。
「――そうかよ」
どちらにしても構わない。彼は勇気を出した一匹の妖精さえ、他の妖精と同じように、銀色の刃を突き立てていく。
「お前たちにとっちゃ、羽がなければ、翅もなければ、害しても構わない生き物なんだろよ」
彼は小さな声で呟いた。それは森をも覆いつくす業火と空気が燃える音で誰にもその声は聴こえなかったけれど。
確かに彼は呟いた。殺意を以て、憎悪を以て。
やがて彼は本当にすべての妖精を殺しつくし、やがてその国には妖精という存在さえ、忘れ去られるようになってしまった。
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