三・騎士
「ほら、さっさと草を刈り取って籠に集めろ」
リオンは雇われた傭兵を纏めていた。一見無意味と思われる行動も、理論と理由を説明すれば彼らも納得し、きちんと言いつけを守っていた。
彼らは傭兵だ。傭兵とは、敵と戦う兵。だが誰だって、戦わずして金を貰えればそれに越したことはない。武器も傷つかず、自分が死ぬ可能性も低くなる。その為の労力なら惜しまない。リオンは彼らの性質をよりよく理解していた。
それ以上にリオンは、羽をもつ頑丈な人間の効率的な殺し方を知っている。
今日はリオンが憎むべき、自称「天使」たちと領地を争う日である。完膚なきまでに彼らを叩きのめし、完全に勝利を得るにはまず、この国でどこにでも生えている草が必要であった。
彼らは進軍していた。羽の生えていない人間よりも、頑丈な彼らは然程睡眠も休養をとる必要がない。彼らは空より飛来する。空中から槍を地面に向かって落とすだけで、彼らは無傷で、確実な勝利を得た。近年領土を拡大しようとしたのは、女神が自身の国の惨状を憂い、他国から食糧を得ようとしたからだ。つまりは彼らの天意であり、総意である。
今日も彼らはいつもと同じように、木で作られた槍を落とそうとする。槍はあっけなく普通の人間の身体を突き落とす。地上にいる彼らが放つ銃は届かない。たまに当たる愚かものもいるが、それだけだ。
彼らはかくして、開戦の合図となる喇叭が鳴ると同時に、槍を構えた。しかしそれらは結局、彼らの手を離れることはなく。
「草を燻られてつくりだされた毒煙は風に乗り、上空を飛んでいる人間の体内に効率よく入り込んでくれる」
この国にどこにでも生えている草は、普通の人間にとっては大した症状はでなくとも、彼らにとってはほんの少し、頬を掠めただけでは致死になりえるほどの――毒だった。リオンがその草を知ったのは偶然だった。ほんのした偶然。魔獣に対して使う毒。そして――羽を生えた人間は、総じて魔力が強い。その植物は、魔力が強ければ強いほど、彼らの神経によりしみこんでいく、麻痺性の毒を盛っていた。
「空を飛ぶには羽をつかわなければならない。そして羽はより強大な奇跡を行使するための、魔力を循環させる役割も果たしている。毒が身体に回らないようにするには羽を動かしてはいけない。けれど、空を飛んでいる人間は絶対に羽を止めてはならない。ここは戦場だから。その場にとどまった瞬間、地上から俺たちに砲撃される。でもまぁ、時間の問題だ。どちらにしても、毒の全身に巡った身体は、やがて地上に墜ちていくが」
息ができなくなった彼らは、より上へ飛び、毒煙から逃れようとする。しかしそれは悪手。毒煙は上にいけばいくほど散布される。そして落下をより早めるだけだと彼らは気付かない。
何とか息ができる高さは、リオン達でも十分に狙える距離であった。彼らは頑丈である。だが、それをもってしてでも、急所を撃たれれば間違いなく死ぬ、その距離。
リオン達は堕ちて痙攣している人間を、片っ端から処理した。将でなければ生かす価値もない。彼らも同じようにしてきたことだ。彼らは命乞いをする間もなかった。鼻腔から、口腔から入り込んだ毒は、顔から順々に麻痺していく。勿論、呼吸もままならず、誰もかれもが、天使に非ざる形相で命を落としていった。
「……あぁ、きたか」
リオンは振り向く。目的は大部分が羽を生えた人間を殺すことであるが、特に今回の戦場では、リオンがどうしても殺したい人間が出陣することになっていた。
しかし彼は天使を纏める、自称「大天使」であった。
白光を吸ったような、金色の輝きを持つ髪に、空を現す瞳をした彼は、漆黒の宵闇を現した自分とは対極に位置しているかのようだった。
かつての共に生きた幼馴染みを対面しても、リオンも、また彼も言葉を交わさない。
代わりに交えたのは、ただ一つの剣。
彼らが振り上げた同時に、ただ一閃。
リオンと彼を中心として、衝撃波が伝播する。まるで砲撃が何回も発せられているような重低音が、次々に戦場に鳴り響いた。
毒煙は、腐りかけた彼でさえも動きを鈍らせるに至らない。彼の剣技は、寧ろ魔王と相対していたときよりも鋭くなっているようであった。
「――……ッ!」
このままでは埒が明かないと見るや、リオンは体勢を思い切りわざと崩す。リオンの首を今にも討ち取らんとする剣はただの剣ではない。竜ですら殺しえる、神殺しの剣。皮の一枚切られただけでも、リオンは自分に生命の危機が迫っていると予感がした。
けれど、肉を断たれても、骨を断てばそれでいい。
リオンは跳躍した。命の危機に晒されても、なお使いたくなかった力。己の身に宿る力を使い、普通に人間には決してなしえない速度で、騎士の背後をとる。
「――……とった」
彼の首は、リオンの膂力ですら貫通できないほどの分厚い鎧で覆われていた。ならば、羽。
人間の関節は、鎧で覆うことはできない。それは背中の付け根と、羽についても同じことである。
リオンは騎士の関節の間を狙って、剣を差し込む。瞬間、多量の魔力を含んだ血液が出血し、羽と胴体は、見事なまでに分かたれた。しかし切り離せたのは片翼のみ。
「……リオンッ! 貴様!」
彼は背中を押さえながらも、その力をもってしてリオンを背中から引きはがした。リオンは派手な音を立てながら地面に転がる。しかし剥がした羽だけは、どうあっても離さなかった。
「……俺の名前を憶えているなんて、驚いたな」
彼は立ち上がって、口から零れた血を拭う。少し食い込んだだけで概念の死を与える剣は、想像以上の力を持っていた。
それよりも驚くべきこと。騎士はリオンの名前を知っているだなんて思いもしなかった。羽を捥がれた人間は人間ではない。人間ではないから、名前が未だに存在しているなんて想像すらしていなかった。それをかつて絶望しているリオンに言い放ったのは、彼らだというのに。
彼は覚えていた。その事実に高揚感のような、それでいてどうしても不快感が拭えない。
いっそ忘れ去っていたなら、完膚なきまで殺すだけ、そう考えていたが。
「何故だ! 羽を毟られた人間の末路を誰よりも知っている貴様が、どうしてこんな惨たらしいことが出来る!」
彼もまた同じく、リオンと同じように口から血を吐き出しながら、それでも叫ぶ。そんなこととうに知れたこと。
「だからだよ」
彼らにとって最も残酷なことだと知っているからこそ、彼らにとって最も嫌がることをするのが定石ではないか。女神の尊厳を地の底まで陥れるには、ただ彼らを殺すだけではない。女神が最も誇りにしているものを奪い取る。女神は誰よりもその身にある羽を愛した。
ならば――羽を奪って、跳べなくしてしまえばいい。
「羽を毟れば人間ではない――お前たちが言ったことじゃないか。俺と同じ畜生に堕ちろ、カイン」
片翼になったカインにとどめを刺したのは、誰でもないリオンだった。自称天使と名乗る者たちは、自国の将が討ち取られたことにより撤退をはじめた。
歓声が周囲から湧き上がる。ただの傭兵が、勇者の一行でもあった不敗の将を討ち取ったのだ。新たな伝説の幕開けに、誰もが熱狂し、そして戦争の勝利に酔いしれた。
だが、一人だけ。リオンは彼が落とした剣を拾って、決して歓喜の表情を浮かべず、一言。
「……これでやっと、あいつを殺せる」
「ねぇ、約束よ! 絶対の約束!」
幼い頃に少年と少女は約束した。
少年は少女に誓った。剣をたった一人に捧げた。何があろうと絶対に少女を守ると。
「うん、アリア。何があろうとも、僕は君を守るよ」
少年は少女に剣を肩に置いたふりをして、誓った。何があろうと傍にいると。彼にとっての主であり続けると少年は辿々しく、それでもしっかりと言葉を紡いだ。
これはある日の出来事。今となっては懐かしい、過去に起きた話――
その人間が日が暮れて随分経った頃であった。
魔王を倒したとされる勇者一行であった、一人。彼は騎士としてどこまでも高潔であり、また王となった勇者と、傷ついた彼らを最後まで尊敬していた。
騎士は最後まで彼らと同じく戦い、故に最後まで闘った彼らと同じく、魔王の呪いを受けた人間。
騎士が最後まで同行していたのは、幼馴染みの彼女の遺言で、彼らとどうか最後まで旅をしてほしいと願ったのだ。
彼らは一生分の涙を流して誓った。
彼女の願いを必ず叶えると。少年は結局、少女を守ることが出来なかった。ならばせめて彼女の最後の願いは、どんなことをしてでも、必ず叶える。
そうして魔王は斃された。魔王との闘いは壮絶を絶し、死闘を繰り広げた。
魔王が斃れたのは、まさに奇跡。ほんの少しの差。一つ間違えれば、殺されたのは勇者一行であった。
しかし満身創痍。彼らは何も憂いなく、生きることはできなかった。
魔王の呪い――身体の先端から少しずつ腐っていき、魔力を行使することもできず、最後は――口にするのも悍ましい姿に変貌するという、世に二つとない恐ろしい呪い。彼等は女神の神託通りに、魔王を斃した。しかし天啓を受けた歓びよりも、それに勝る絶望が、彼等を悲劇へと向かわせた。
勇者は未来の行く末に絶望し、それでも王となり国を治めた。聖女は勇者への、仄かに色付いた心に気づかないふりをして王を助ける為に世界のどこかにあるという秘薬を探し求めた。魔女は故郷に帰り、最期のときを過ごした。ならば自分は――
彼女はもういない。
騎士の唯一は失われた。愛しい恋人を失ったことを自覚してしまい、ただ過去を反芻し、生きる屍となった。
だがある日、耳にしたことにより、彼は腐りかけた身体をもう一度立ち上がらせ、その身を奮うこととなる。
死者すら蘇生する女神の聖遺物。
彼が向かったのは、完全な中立地帯である、迷宮都市アンブローズの一端。
だが、都市といっても、アンブローズは小国並みの広さがある。王も領主も戴かず、中立地帯である理由は女神とかつてこの国の人間が躱した不可侵の条約があった。
条約を破ればたちまち身体が腐る。実際にアンブローズに悪意を以て入った人間はあっという間に異臭を放ちながら溶けて消えてしまう。カインもまた、その呪いともいうべき力の一端を目の当たりにしたことがある。
また、カインとは別の場所で、聖女も一つの迷宮を攻略していた。
迷宮とは、かつての女神が遺骸を守る聖域である。そこを迷宮とぬかして、あまつさえ女神の聖遺物を奪おうなんて、何て罰当たりのことか――とカインは考えたことある。
けれど、これも女神の遺志であるらしい。女神はそれを試練と称し、乗り越えた者には力を授ける――と、カインの国の中で囁かされていた。
そしてカインは、一つの迷宮に挑むことになる。
迷宮都市は完全な中立地帯である。どんな種族でも、たとえ同じ知性ある人間だと思えなくても、同じ人間として扱わなければならない。中立であるがゆえに、彼らは不平等を強いられた。
何とか同族である人間を集め、彼らは迷宮の中に入る。
迷宮の中は、末恐ろしい罠が待ち受け、更には魑魅魍魎が跋扈した――まるで地獄のようであった。
彼らは女神の聖遺物を守る守護者でもある。しかし彼らは、女神の血を引いたものなど関係なしに、カイン達一行に襲い掛かってきた。
カインの身も、決して彼らから受けた傷ではない、魔王の呪いがその身を蝕んだ。じくじくと、内臓の奥底が悲鳴を上げ、羽の付け根が熱を持ち、膿んでいる状態。ついにカインは、四枚あった内の二枚の羽を迷宮で落とすことになった。
まさに地獄であった。カインの同族も、彼のように魔王の呪いでないとはいえ、次々に羽を、命を落としていった。
それでもカインがなお奥へ突き進んだのは、女神の試練に挑んだのは、ただ唯一の愛した女性が生き返るかもしれない。一縷の望み。唯一の希望。彼に奥底にあったのは、間違いなく、純真な愛そのものであった。
彼らは長い年月の間、冒険をした。
そうして、多くの仲間が命を落としていった最後に、カインはついに奇跡を手にした。不死殺しの剣。かつての女神を殺した、罪の証し。一たび振れば不死の竜さえ屠るという伝説の、魔を司る、邪悪な剣。
彼はこうして聖遺物を手にした。だがこれは、カインが望んだものではなかった。カインがただ望んだのは、不死の秘薬。死者さえ蘇生する女神の奇跡。けれど、女神は最後まで、試練に挑み、そして見事に乗り越えたカインでえ与えてくれはなかった。
カインは再び生きる屍となった。一つの迷宮でさえ、長い年月の間かけなければならない。彼は迷宮に挑む気力すら失われようとした。
しかし、ある日。カインは呼び出される。彼を召致したのは、彼の生まれ出た国。国王となった、かつては勇者と呼ばれていた御仁であった。
「騎士カインよ、私と、私の女神のためにその身をもう一度奮ってはくれないか」
「……御意。我が国王」
国は疲弊していた。既に二枚の羽しかもっていないカインを戦場に呼び戻すほどに。カインはそうして、再び聖騎士として、戦場に向かうことになった。
手にはかつて女神の試練で与えられた、不死殺しの魔剣。刃の切っ先でさえ触れてしまえば、そこからたちまち腐り始める、まるで勇者一行を襲った類と全く同じ呪いが課せられる剣。
彼は戦場へ度々赴き、槍の雨が降りかかり、血しぶきが舞い散る戦場でその力を以て敵を屠った。
今日も同じような一日かと思われた。だが彼の眼には。
「……あれは」
かつての勇者の仲間であった旧友が、そしてアリアと同じ、同郷の人間だった者がいた。彼は無感動に、国の兵士を一人一人、丹念に頭から潰している。
かつては勇者と共に魔王を倒した英雄の一人であったというのに。彼はあろうことにか、勇者であった、大恩ある王にあだなす畜生へと堕ちていた――
その刻、本当に刹那の瞬間、リオンですら反応に一瞬後れるほどの剣が放たれた。唸る衝撃音。衝撃波となったそれは周りの人間を見境なく倒すほどであった。鍔迫り合いは彼らは互いを殺そう激しい剣戟となる。体格と膂力は、圧倒的にカインの方が有利であった。だからふと、彼が体勢を崩した瞬間を、カインは見逃すはずもなかった。少し掠ればそれだけで決着は付く。事実、彼の切っ先はリオンを捕らえ、首をかすめた。
彼はついに彼を殺すことができたと、そう思い込んだ。
その瞬間が、彼を決定的に追い詰めるとは知らず――
「……ッ!」
カインの視界から、リオンが消えた。そんなはずはない。彼は確かにこの場にいたはず。奇跡を以てしてでも、一人の人間が跡形もいなくなるなんて、そんなことあり得るはずがない――
リオンが自身の忌むべき力を使い、カインの死角――背中に回ったと気付いた時には、既に片翼が切り離されてしまったときだ。羽は常に動く故に、鎧で覆うことができない。それが仇となった。
カインは血が噴き出し続けている背中を押さえながら、リオンを弾き飛ばす。けれども、カインの羽の片方は、未だ彼が手にしたままであった。
カインは叫ぶ。何故、と彼に問う。すると彼は至極当たり前のことを口にした。
「羽を毟られれば人間ではない――」そんなこと、当然すぎて脳裏に掠りもしなかった。迫りくる剣に反応が後れ、ついに眼球ごと頭が潰されるまで、彼はついぞ、彼の言っている言葉が理解できないでいた。
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