第8話 時空を超えた広告宣伝の効果

 この時間に、誰がこんなところに?


 とは思うものの、思い当たる節は何もない。まあいいやと思ってさらに彼は、パソコン上に文字を打込んだ。その文書の文字数がちょうど2351文字になったその時、そのワード文書がクラッシュを起こした。やむなく文書を再起動して事なきを得たのだが、それにしてもなぜ、こんな時に限って、こんなことになるのかな。そして、2471文字を迎えたところで、彼はふと、左向こうの窓を見た。曇りだが、いささか晴れ間がみられる。


 あ、あれ? 丸亀城がかすんで見える。どういうことか?


 よく見ると、あの6月に眼鏡を壊したあたりに、母子連れが立っているではないか。

「やあ、米河君、元気だったか。プリキュアの時間は外してやったぞ!」

 これは、少年の声。

「米河さん、御取込中のところ、失礼いたします」

 今度は、母親の声。

「は、はあ、ご無沙汰いたしております」

 彼にしてみれば、以前眼鏡を壊した日以来出会うことになる母子連れである。

「米河さん、その眼鏡、結局、修理されたのですね」

 30代前半の姿の母子連れの母親の質問に、実は孫ほどの年齢差の中年作家が答える。

「ええ。意外にも、5000円程度で修理できるという見積りが来ましてね、結局、税込5450円でして、しかも、予定よりかなり早く修理されて返ってきました。これなら買換えなくてもまた使えますから、ありがたい限りです」

「そうでしたか・・・。修理が何万円ということにもなれば、さすがのあなたもお考えになったのでしょうけど。ところでその眼鏡、何円ぐらいで買われましたか?」

「フレームが1万1000円程度で、それにブルーライトカットを入れたレンズに入替でプラス5000円ほどでしたか。本来なら税込2万円弱のフレームを約半額で仕入れられていますけど、レンズを替えて、結局は2万円弱になっていましたね。それなら、買換えて捨てるよりは、修理して使ったほうがいいでしょう。なんだか、現金な話ですが」


 母親が感心している横で、少年が話しかけてくる。

「ところで君、眼鏡はまあいいとして、今日は、誕生日じゃないか?」

「ええ、そうです。これで52歳ですよ。我ながら、いい年です」

「それで、朝はプリキュアか」

「もちろんですよ!」

「で、今日は君のいわゆる「推しキャラ」の大活躍だったってことだな」

「何を言っておいでですか、おじさん、あの娘(こ)は、ワタクシの娘なのです!」

「何? 君、結婚もしていないし特に誰かとの間に子どもがいるわけでもないだろ?」

「ええ。でも、実は、いるのです。ですから、「隠し子」でもあるのでありまする!」

「その「あるのでありまする」って回りくどすぎる表現は一体何だ? それはいいけど、キュアパパイアの一之瀬みのりちゃんだっけ、文芸部にいて小説を書いたのに、先輩に酷評されて小説を書けなくなった少女だって?」

「ええ。彼女の父親が実は小説家で、父親にでも酷評された設定にでもされるのかと思ったら、そうでもなくて、ほっとしました(苦笑)」

「うーん、世も末だな、こんな50代のおっさんが世の中に出現するとは、ねぇ」

「ほっといてくださいよ、おじさん」

「いつものことだけどさ、おじさんがおじさん、言うなよ」


 ここで、母親が改めて質問してきた。

「ところで米河さん、あなたはなぜまた、これまで御縁のなかった丸亀市まで出張って来るようになられたのかしら? 何か、気に入るようなことでもありましたか?」

「いえ、特に何かあってということではありません。まあその、Aチェーンのホテルがあるからというのが、その大きな理由でしょうか。20年以上前から津山にはよく泊っていましたし、最近は倉敷にもできましたから、そちらにも行きます。そうそう、15年前あたりから、京都方面に出るときは、隣の大津市のAホテルに泊ります。夕食も館内でとれますし、酒も飲めますし、何より京都から2駅のところで、5000円以内で宿泊できますから。京都だと、そうはいきません。なんせ世界的観光地ですから、ねぇ・・・。そこに来て大津ですと、宿泊料が一気にそこまで安くなります。しかも、それなりの数のホテルもありますし、津山あたりと違って競争が激しいですから、その隙をついて安く泊まれるという次第です。倉敷も、それとやや似た事情がありますけどね」

「それにしても、横の黒いラベルの付いた瓶は何ですか? お酒ですよね、明らかに」

「は、はい。トリスウイスキーです」

「あなたはそのトリスウイスキーをよく飲まれていますけど、一体なぜです?」

 母親の質問に、彼はその経緯を話し始めた。


 実はですね、トリスウイスキーをこのところよく飲むようになったのは、1950年代の後楽園球場の左翼側外野フェンスにあった広告が原因です。西鉄ライオンズの日本シリーズとか、1959年のいわゆる「天覧試合」で長嶋さんが村山さんからサヨナラ本塁打を打ったシーンで、その、トリスウイスキーの広告が映っていまして。半世紀前のプロ野球絡みのビデオをよく見ておりましてね、なぜか、トリスウイスキーが飲みたくなってしまいました。しかも、安いですから、たびたび買って飲むようになった次第です。

 後の後楽園球場や、今の東京ドームの同じ位置には、同じサントリーでも、ビールの宣伝になっています。確か今は、プレミアムモルツの文字があるはずでして。それにしても、生れる前の球場の映像がきっかけで、その商品を飲むようになったわけです。

 そうそう、もう一つ、こんな話もありますよ、同じようなのが。

 私ね、子どもの頃、それこそ小学校の2年生頃かな、よつ葉園にいまして、そこに、子ども向けの図鑑がありました。その中に、明治以降の歴史が掲載されたものがありましてね、忘れもしません、米騒動の絵がありました。それで、民衆が米屋なんぞを襲っている絵ですけど、酒屋も描かれていましてね、その看板になぜか、「ヱビスビール」と書かれていました。その時は、まあ、そういうビールがあるのかという程度の認識でしたけど、どういうわけか、私ね、その文字が忘れられませんでした。で、大学に入って間もない頃、ふと、その文字を思い出して、ちょうど酒屋に入ったとき、その「ヱビスビール」という文字の書かれた金色のラベルのビール瓶がありましてね、それでよく見ると、どうやら、他のビールより数十円高い。でも、ここまで来たらと思って買って、自宅に戻って飲みました。なるほど、値段が幾分高いだけのことはあるな、と。それから毎週土曜までに買って置きまして、土曜になると近くの弁当屋でかつ丼を買ってきて、それをつまみにヱビスビールを飲みながら、独身時代の松田聖子のコンサートビデオを観ていました。

 これもまた何ですか、不思議な縁ではありますね。何で、あの絵に描かれた看板の文字を覚えていたのか、映像にあるあの文字がきっかけでその銘柄のウイスキーを飲むようになったのか、考えてみれば、こういう縁というのも、あるものですね。

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