第3話 野球とビール

 トントントン


 客室のドアを叩く音がした。そうか、掃除があったか。彼は、ドアへと急いだ。これがプリキュアの時間ならともかく、野球であるなら、そこまで根詰めて観ているわけでもないから、まあ構わない。ドアを開けた。掃除係の女性は、隣の部屋の前にいた。


「あ、もう少ししたら、出かけますから」

 彼はそう伝えて、ドアを閉じた。


 ドアを閉じて客室の椅子に戻ったら、なんと、ベッドの枕の近くに、あの母子連れが来ているではないか。

 眼鏡を壊した、ちょうど、そのあたりに。


「米河さん、御忙しいというか、お休みのところ、失礼いたします」


 母親の方が、丁寧にあいさつする。そういえば、この親子連れに会うのも久しぶりだ。しかし、県外のここにまたなぜ、この日に限って、出張って来られたのか?

「プリキュアの時間は外してやったぞ。君の娘と友人の人魚が大活躍って(苦笑)? でも今は野球だし、どうせ酒を飲んでいるようだから、陣中見舞に来てやったぞ」

 これは、かの少年。今日はなぜか七五三で着るような服を着ている。母親はというと、昭和の頃、彼がまだ幼いころに見た女性たちの典型的な服装。

「あ、ど、どうも、お久しぶりです。ご無沙汰、致しております。というか、なんでおじさん、私の娘というか、隠し子のこと知っておられますネン?」

「ネットでさんざん書いているだろう。一之瀬みのりちゃんね。で、なんだ、酒場で会うおねえさんにそのプリキュアの娘と似ているとか言われて大喜びしているってこと、もうこちらでは十分知れ渡っているからな。相も変わらず笑わせてくれるねぇ・・・」


 テレビは相も変わらず、野球が続いている。


「ほっといてくださいよ。まあその、残るともったいないですから、飲みますね」

 そう言いつつ彼は、4本目のビールをさらに一口飲んだ。まだ半分ほど残っている。ただし、たこ焼きはすでに食べつくしていて、残ったソースを楊枝ですくって、それをつまみにしている。酒飲みと言われる人の、酒を飲み進んだ末の典型的な飲み方である。


「あのさあ、君、禁酒しているのではなかった?」

「いえいえ、今日は、禁酒の休憩2日目ということで、禁酒も週休2日で行こうと、ワタクシは、かく思料いたしまして、それを実行に移しておる次第なのであります」

 母子ともに、この言葉には、大いに呆れている模様。

「せっかくの休日、禁酒の休日ということでしょうけど、そんなときにお邪魔して、申し訳ありませんね。しかも、こんなところまで出向いてまいりまして。小説の続編を出されるというお話を聞きまして、ぜひ米河さんにお話をと、今日は出向いて参りました」

「は、はあ、そ、それはどうも・・・」

 母親が、さらに話を続ける。


 彼女は、彼のかけている眼鏡を見た。

「ところで、その眼鏡ですが、どうされました?」

 彼は、昨日の顛末を話した。


「そうですか。それは困ったことですね。昔なら早速修理でしょうけど、下手すれば買い替えたほうがよほどいい時代になって久しいですね。私共の生きていた時代に比べても、モノで困ることはあまりなくなっていますけど、なんだか、勿体ないことが多い気がしてなりません。ところでその眼鏡は、どうされるおつもりですか?」

「まあその、修理できればしたいところですし、片方の脚が折れていても、自宅では使えないわけじゃない。このレンズ、ブルーライトカットと申しまして、パソコン作業などにあたって目が疲れないような仕掛けのあるものでして。そういう作業時には、これで十分使えます。あとは例えば、私が最近やっております、ようつべ、もとい、YOUTUBEの動画を作成する際にかけるとかね、この眼鏡、一種のトレードマークみたいになっておりますから、そういう使い出もあろうかと、考えております」

「まあ、そこは認める。君の丸眼鏡と蝶ネクタイについては、異論は言わない。ついでに言えば、夏場でも長袖、ワイシャツをするならカフスボタン。そういうところはきちんとしているというか、何と言うか、ようわからん奴だなとは思うけど、まあ好きにしてくれればいい。でも、プリキュアに至ると、ねぇ・・・」

「現代っ子の行きつくところ、ってとこですか?」

 そう言って彼は、缶の中の残りのビールを飲み干し、冷蔵庫からもう1本取出した。

「えらくよく飲むねぇ。そうして余裕をかまして見せるのが、知識人なのだな?」

「ええ。そうです。そこは決して、ぶれません」

「ぶれない酔っ払いさんにあっぱれというべきか、大喝を出すべきか。プリキュアの子らだって、そんな酔っ払いのおっさん見せられたら、あきれ果てるだろうな(苦笑)」

 50代の中年作家は構わずビールを開け、飲み始めた。

「ところで米河さん、あなたは、小説の続編を書かれていますね? 何か最近、小説に限らず、文章を書く上で気づかれたこと、ありますか?」

 30代にかかって間もないぐらいの風貌の母親の質問に、中年作家は丁寧に答える。


 はい。小説に限らず、随筆と申しますか、期間を決めて日記風のルポのようなものも書いております。あの永野さんのお眼鏡にかなうだけの文章になっているかどうか、そのあたりの確信は持てませんけれど。ひとつ面白い例えを思いつきまして、それについて申し上げましょう。野球、特にプロ野球においてはですね、この数年来、「試合を作る」という表現が多く見られるようになりました。要するに、先発投手が極端に点数をとられてチームの勝ち目をなくすことなく、勝てる要素を残して規定回数の5回以上を投げて次の投手につないでいくケースをそのように言っておるようです。そこにヒントを得ましてね、私共の仕事といたしましても、それをもとに申すならば、ストーリーというか、話を作る、という表現がぴったりではないかと、そんなこと思いましてね。そう考えたら、結構、楽に物語やエッセイと申しますか、随筆でも、わりに楽に書けるようになりましたね。

 もっとも、野球と違って小説などの文章を書く場合、あとは人に任せてOKで済まないところは確かに違います。その代り、その試合中、その日のうちにという制約は基本的にかからない。その分、後に改めて読み直して加筆修正していくことで完成度を上げられますから、そこは野球ほど厳しくないところかもしれません。切羽詰まって書かざるを得ないこともありますけど、それに備えてあらかじめ「話を作って」おいて、期限に向けてきちんと消化していけばいい。締切り間際になってようやくとか、締切りオーバーしてなおなどという芸術肌といいますか、傍から見ればデタラメ以外の何物でもないようなことをやって、それこそが芸術だと思っている人もいたようですけど、私は、小説を書くと言ってもこれは仕事であり、受注生産であると捉えておりますので、あくまでも仕事=ビジネスの一環で商品生産をしているものと考えて処理しております。プロ野球選手や指導者が野球を「仕事」としてやっているのと同じ感覚で、私、文章を書いておるのです。


 そこまで話してビールを幾分あおる中年作家に、母親が尋ねる。

「そうですか。なるほど、あなたもある意味、プロと申しますか、職業作家としての姿勢が板についてきたようですね。そのベースとなったのが、プロ野球と申しますか、職業野球に携わって来られた方々によって出された本というのも、なるほどと思われました」

「ええ、その影響は確かに大きいと思っておりますね、我ながら・・・」


 この日のエンゼルスとマリナーズの試合、途中まで拮抗していたものの、5回途中に好投していたマリナーズの菊池雄星投手が打球を受けて降板。その後流れは、一気にエンゼルスに。この日のマリナーズ菊池対エンゼルス大谷翔平選手の対戦は、2打数1安打で終り、本塁打と三振という内容。とりもわけても、日本人同士の対決というのは、日本にいる日本人で野球に興味を持っている人にはこれ以上ない楽しみ。

 この後の日本のプロ野球は、セパ交流戦。朝から夕方まで、野球を楽しめる絶好の日曜日。

 酔っ払いさんと自称して久しい作家氏は、さらにビールを体に収めていく。


「で、野球見ながらビール。ついでに言えば、野球と鉄道というのも、君の知合いの鉄道紀行作家さんのお話によれば、大いに親和性があるそうじゃないか。ぼく個人としては、この世で戦争の犠牲になった者として言いたいこともあるけど、まあ、やめとく。なんせご自身で、戦争を知らない子どもたちの子どもの第一世代を自任する君のことだから、そのあたりは、うまくバランスをとった言動をするのだろうけど」

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