小説の「型」①

大学院では英文学を研究してました。


30すぎてまで親の脛をかじるのはちょっと嫌だなと思ったのと、就職などに「コネ」が影響する、なかなか狭い世界なのかなと思ったのもある。

周囲を見ていて、職にするには留学もしないといけないとも思った。


で、後期課程には行きませんでした。


例えばアメリカの大学院だと、

「原文でジョイスの『ユリシーズ』(フロイトの影響とかで意識の流れをそのまま書くことに挑戦したべらぼうな超大作)を読まなきゃならないよ」

という話を聞いて、嫌だとしか思えない。

そもそも、英文学研究してるけど、好きじゃなかったんですよね、英語が。




話がかなり逸れましたが、卒論はジョイス(アイルランド人)で、修論はコンラッド(英語で小説を書くロシア人。船乗り)でした。


で、本題です。

文学作品の「感想文」と「論文」の違いとは?


………。


私には分からなかったので、批評論の講義を受け、ひと通り文学批評の本を読みました。

文芸批評系の本はものの見方としておもしろかったので、置いてたつもりだったんですが、引っ越し繰り返すうちに無くしてしまったようです。


だから、うろ覚えですが、フロイトとか精神分析的な見地から読み解く方法、フェミニズム的な観点から読み解く方法、ニューヒストリシズム的に読み解く方法、あと難解すぎて分からない脱構築(ディコンストラクション)的に読み解く方法とか、あったと思う。


私の解釈ですが、文学作品を、精神分析学とか、フェミニズム理論とか、歴史とか、哲学とか、別の理論に則って読み解けば、とりあえず「文学批評」っぽくなるのかなと思った。


なんで、「文学」を勉強するには、文学作品もだけど、別の学問が素地として必要だ罠。




そこに気づいて、大学4年生から、精神分析から勉強するか?

フェミニズムも、半分ぐらい精神分析かぶってるけど……


哲学?論外ですよね。

そもそも、個人的には、フーコーやデリダを理解して語る、日本語が母国語の人が信用できる気がしない。

……日本語でかたちづくられている自らの認識は脱構築されないのだろうか?

知らんけど。




そんな訳で。

私の場合は、とりあえず、イギリス史を簡単に勉強して、ジョイスはナショナリティを絡めて卒論書いて。

コンラッドは、ポストコロニアル(白人と黒人とか、西洋と東洋)を絡めて修論書いた。




前置きが本当に長くなりましたが、この話で何が言いたかったかというと、私には小説を読むとき、論文が書けそうな二項対立の要素を探すクセがある。


精神分析(一部フェミニズム含む)とディコンストラクション(脱構築)は、専門的世界の広がる分析なので、さっぱりよく分からないのですが……


例えば、精神分析よりのフェミニズムだと、地下洞窟(ダンジョン)を旅する勇者の話は、ヴァギナに帰っていく胎児化の過程と読み解いてナンタラカンタラ……とかになりがち。。。剣は男根を意味し……とか、ソッカー、ワカンナイネと思う。

ディコンストラクションは、いろんな意味で「言語化不能」な印象がある。論文で、文学作品脱構築し続けてたら、自分、小説家になってました!ってなるのではって思うんですけどね。


まぁ、いいや。


私が、読む時。

そして、書く時もなんですけど。

二項対立の要素に目がいきがちです。


それでね、その要素を……


と書きたいのですが、脱線しすぎて長いので、②に続くことにする。

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