第九十六話 回帰
雨の止んだ
声変わり――でいいのだろうか。少し低音に寄った声音で委哉が別離の言葉を述べる。
「
「
「おや? 僕の言葉を聞いていなかったのかな?
君はもう自由だ。怪異として生きるも、この世界に帰化するのも自由にするといい。怪異でい続けるなら、いずれ僕の食事となるかもしれないけれど。
言って少年が鮮やかに笑った。
その笑みには二つ心がなくて文輝、
「――逃げ口上ではなかったのか」
「夕明。君まで何を言っているんだ」
僕は君が小戴殿と知己だということすら知らなかった。それでも、縁は巡る。君がいつか僕の願いを叶えてくれると信じたから僕は君と行動を共にしただけだよ。
これだけの怪異を食ったなら向こう百年や二百年は決して空腹を感じることもないだろう。からりと笑って委哉が告げる。それは本当の本当に華軍との別れを決めた声音だった。
「小戴殿。縁があればまた会おう。よい百年を」
「――君も、よい百年を」
人の形になったはいいものの、呆気に取られる華軍の肩を委哉の掌が叩いて、消える。叩かれた当の本人はまだ現実の世界に回帰しておらず、視線がどこか中空で固定されたまま泳いでいた。
文輝の両目がじわりと痛みを感じて、何かが剥がれる。委哉の眼を返したのだ、と何とはなしに察した。耳は未だ土鈴の音が近く遠くに聞こえる。華軍の怪異としての異能はまだ残っているようだった。
「華軍殿。華軍殿はどうなさいますか」
「――お前たちはどう――いや、尋ねるまでもないな」
琥珀色の双眸がこちらを見て、返答も待たずに論理を結ぶ。
その視界には文輝越しに沢陽口の城郭の喧騒が映っているだろう。それを見て、華軍がどうするのか。本人のよいように選んでほしい、と思った。
「明日が約束の半月になります。
「――逆族の顔を見て、情に絆されてくれるほど兵部は軟弱ではあるまい」
「ではここで――」
華軍とも別離するのだろう。そう結ぼうとすると琥珀がふわりと柔らかみを帯びて輝く。
「いや」
小戴、猫なら連れて歩けるだろう。
言って華軍は紅の体毛を持つ、ごく一般的な大きさの猫へと転変した。
それは、連れていけ、ということを暗喩している。まだ一緒にいてくれる、ということだ。あの日。あの夜。文輝が未来永劫手放したと思っていた朋輩ともう一度、人生という引き帰せない命題を証明する機会を与えてもらった、ということだ。目頭がじん、と熱を帯びる。それでも。
泣き虫の小戴とはあの日、別離した。
「
「華軍殿! 至らないことも多いかと思いますが、よろしくお願いします!」
「おい、文輝。貴様、この得体のしれない怪異を連れて私の故国を訪れるつもりではないだろうな?」
「いいだろ、別に。猫を連れて海を渡るな、なんて律はねえんだし」
「わかっているのか。私の故国は――
「まぁ、それも上官殿に相談してみるっきゃねえだろ」
からりと笑ってそう返すと子公は深い溜息を吐いたが、もうそれ以上反駁する気はないようだった。
「行くぞ、子公。この城郭はまだ本当に安寧を取り戻したわけじゃねえ。俺たちの仕事は終わっていないんだ」
「貴様に言われるまでもない。まぁ、ここから先は貴様のお得意な肉体労働だろうからな。状況説明は代わってやろう」
「言ってろ」
その肩で器用に均衡を保ち続ける華軍は、足の遅さで置いて行かれている子公のことを一言だけ心配したが、ここはもう人の世だ。子公の生命が悪戯に危険に晒されることはないだろう。
土くれの匂いがする空気を吸い込んだ。
任務はまだ終わっていない。終わっていないが、この城郭はこれから変わっていける。そんな確信に近いものを更に後押しするように、薄紅の
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