第十一話 四阿の信天翁

 遠路はるばる沢陽口たくようこうまでお越しいただいたにも関わらず大変申し訳ございませんが、当方ではそのような鳥を発したものはおりませぬ。言って庶務官は文輝ぶんきが携えてきた深紅の料紙を手渡すと彼本来の業務に戻ってしまった。おい、も、待ってくれ、も何も聞く気がないらしい。黙々と書簡を記す作業を続けていて文輝の方を振り向くことはとうとうなかった。

 手違いというのが何かの手違いではないのか、と食い下がろうとした文輝だったが子公しこうがそれを無言で制止する。手間を取らせた。それだけを言い残して軍師の腕力ながらも文輝を引っ張って歩き出してしまった。ここで物別れになる意義が見出せず、文輝は渋々ながら子公の後に続く。二階にある庁舎の表口で文輝は子公を呼び止めた。このままおめおめと引き下がるのか。違和があればそれを信じよと言ったのは他ならぬ子公だ。なのに今の態度は何だ。その義憤が文輝の口から飛び出すと、子公はとうとう大きな溜め息を吐き出してしまった。


「打って響く相手かどうか、判じることも出来んのか貴様は」

「けどよ」

「あの者の中では貴様の違和などもう既に終わったことなのであろう。府庁やくしょのものに心当たりがおらぬのであれば、やはり市井の才子さいしが発した可能性の方が高い。日が暮れぬうちにそれとなくまじない師を当たった方がまだ建設的であろう」


 貴様が本当にこの文が沢陽口から発せられた、ということを疑わぬのであれば、だが。苦く含んで子公はそう結んだ。文輝の直感を信じたいという気持ちがそこにはある。それでも、庁舎にいても今以上の成果は得られないだろう。であれば、この場所に長く留まることに意味はない。日が暮れてから人を探すのは至難の技だ。わかっている。ここは岐崔ぎさいほどではないが城郭まちの一つだ。たった一人の才子を探し出すのは砂の中に落とした砂金を見つけるのに等しい苦行となるだろう。それでも、班長は文輝を信じたから半日の猶予を与えた。明日、本隊が到着した後は文輝もまたその指揮下に戻る。単独行動が許されているのは今日のうちだけだった。


「文輝。経験から言おう。信天翁あほうどりを訪ねていくのが最も理に適っている」


 それが子公の示した最適解だ。国官登用試験を受けるにあたり、沢陽口の城郭で暮らした経験が子公の提案を裏打ちする。合理主義者である子公はとにかく無駄を嫌った。その子公が言うのだ。何かの勝算があるのだと文輝も察する。


「えっと、何だっけ。この城郭の才子の総元締め? だっけ?」

「幸いなことにこの城郭の才子は組織として系統化されている。才子のことは信天翁が何か知っている筈だ」


 誰が今、どこにいて何をしているか。その次元で才子の才の所在が把握されている。そういう統制の取れた城郭だからはぐれものがいるとしても信天翁なら認知しているだろう、と子公は言う。自らの副官の提案を頭から否定しなければ保てない威厳など端から持ち合わせていない。文輝は子公の案に乗ることを即諾する。

 ただ。


「で? その信天翁ってのはどこにいる」

「観測所だ。日中は東山の中腹の四阿あずまやで才子の様子を観察している」

「東山って……そりゃまた物好きな」


 沢陽口で言う東山とは城郭の東側に位置する内輪山の一部を指す。内輪山本体よりは標高も低く、斜度も小さい。それでも山というからには山であって、野獣や人ならざるもの――怪異も出没した。東山の西側の途中に造られた東外壁の内側はかろうじて安全が保障されているが、山である以上逃れられない宿命がある。


「あと数刻で、登って降りてくるのかよ」

「仕方があるまい。物好きでもなければ才子の総元締めなど引き受ける道理があるまいよ」


 山に登る体力がないだとか言わずに済むぐらいには文輝にも右官うかんとしての素養があった。暇さえあれば鍛錬に励んできたこの体躯が今更登山ぐらいでどうにかなる筈もない。そうと決まれば市中で管を巻いていても何の利もない。山を登るぞ、と子公が方針を決定する。文輝の中に不安要素があるとしたら、子公の体力なのだが、そのことについて当の本人は何の危惧もしていないようだった。最悪の事態になれば子公一人を背負って山を降りればいいだけだ。そう判じて文輝は子公の策に乗る。

 丁寧に敷き詰められた石畳は四阿まで続いているという。人の流れは市場を中心に動いていて東山に近づけば近づくほど閑散とした。若葉が少しずつ色を濃くしている。暦は今年も後付けで夏を告げるだろう。夏山に登るには工部こうぶ山岳班が認定した管理者である山師を伴うことが義務付けられている。そうなるとたとえ右官といえども好き勝手に山に出入りすることは出来ない。後付けの暦に感謝するべきか。そんなことを考えているうちに藍色の瓦の山門が見えてくる。門番はいない。城郭の中にある山門だからだろうか。疑問に思って子公に問うと普段はいる、との答えがあって文輝の焦燥感が加速度的に増した。


「子公、『登ってもいい』のか、これは」

「その目で確かめずして納得も出来ぬくせに訊くな。『登るしかない』のではないのか」

「山門を無断で出入りするのは律に反するだろうが」

「ぐだぐだと行かぬ理由をこじつけるな。『山門を守るべきものがおらぬ』責と相殺であろうよ。だが敢えて誰かの言葉が必要であれば言ってやろう。登れ、文輝」

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