第15話 彼女なんていないのに……

「こんなの絶対ダメだってッ!」


 この坂を下らせてはいけないと僕は真希ネエの手を思いっきり振り払った。


「大丈夫、お姉ちゃんだって初めてなんだから……お互い初めてなら怖くないでしょ?」


 ――まだそんなこと言うか。


 性懲りもなく勘違う真希ネエに嫌気がさしてきた。


 僕はもう一人の僕に触ろうと伸ばしてきた真希ネエの手を掴み、諦めてもらうための嘘をぶつける。


「――大切な〝彼女〟がいるんだッ! ……だから、そういうことは……ちょっと……」


「……かの、じょ? 郁ちゃんに?」


 防戦を強いられていた僕の逆転の一手が、真希ネエの心を揺さぶったようで、口を震わせて狼狽うろたえている。


 僕が「そう」と短く言って頷いてみせると、真希ネエは顔をひきつらせて笑う。


「ま、またまたぁ。お姉ちゃんをからかってるんでしょ? そうなんでしょ?」


「ほんとだよ」


「嘘! 郁ちゃんに彼女がいそうな気配全然なかった! 取ってつけたような嘘でお姉ちゃんを虐めないでよ!」


「嘘じゃないよ。彼女――その人と僕はお互い合意の上で付き合っていることを伏せているんだ。僕も彼女もあまり目立つのが得意じゃないからね……たった今、その約束を破っちゃったわけだけど」


「……嘘、ウソウソ、そんなのうそ――嘘に決まってるッ!」


「噓じゃない! 僕の彼女は――」


 僕はいもしない彼女へ持てる限りの愛の言葉を送った。


「――やめてッ! 聞きたくないッ!」


 耳をつんざくような叫び声を上げた真希ネエは、「放して!」と僕の手を勢いよく振り払った。


「…………聞きたくない」


 真希ネエはゆっくりとした動きで僕から離れていき、部屋の真ん中で静止した。


「真希ネエ……」


「……………………」


 僕は上体を起こして声をかけた。が、反応はなく、真希ネエは生気のない目で見下ろしてくるだけ。情緒が不安定だ。


 重苦しい空気が室内に充満する。息が詰まりそうになる。


「――ただいま帰りました~」


 そんな僕に酸素を与えてくれたのは母さんだった。


 階下から聞こえてくる両親の会話が日常という名の風を吹き込んでくれる。


 真希ネエは部屋の入り口に視線を向けたまま口を開く。


「……今度、郁ちゃんの彼女紹介してね」


「え、ちょっとまっ――」


 起伏のない声でそう言い残した真希ネエは、僕からの返事も聞かずに部屋を後にした。


「――二人ともお帰り~! え、お土産買ってきてくれたの⁉ 嬉しい!」


 ほどなくして真希ネエの感情のこもった声が聞こえてきた。


 ……切り替え早すぎでしょ。


 ただパンツを求めただけのはずなのに、終わってみれば実の姉に想いを告げられたという…………こんな経験をした弟は、世界中どこを探してもいないと思う。


 唯一無二、特別感ある四字熟語だけど、僕は嫌だ。

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