第5話 手詰まり

 



 こうして状況は開始された。


 地大砲の設置は40人の土魔法使用者とジョアン殿下のおかげでつつがなく終わった。


 潰走する貴族家部隊の邪魔をしないように街道脇から設置を始め、火薬と射出物の装填も街道脇に関してはすぐに完了した。

 馬蹄形を形作るための地大砲の街道部への設置は、ボリス隊、ビンス隊が班を分け、徐々に人員を戦闘配置に付けながら行っていった。

 土魔法で内部を陶器化できる者とできない者に別れ、出来る者は森近くの街道へ、出来ない者はジョアン殿下が内部を陶器化するためジョアン殿下のいる場所近く、より前線近くの街道に配置される形になった。


 ある程度走り逃げる貴族家部隊が去った後、藪等に潜んで敵をやり過ごそうとしていた数えきれない程の友軍が、混乱した戦場で整然としている俺達を目印に逃げて来た。   

 街道を走って戻ってくれっていう指示に、身分が兵や従者は従順に従ってくれるんだが、けっこう爵位持ちの皆さまが気位が高くご辛辣なもんで。


 「今頃王家の兵が来ても遅すぎるわ、我々が一番大変な時にのうのうとしおって!」とか、罵る罵る。

 

 なけなしの物資を置いてくどころかむしって持って行って感謝もしないってのは、人として浅ましくないのかね。

 いくら貴族家部隊が潰走時に遺棄していった物資、水、食料、弾薬を俺やホールデン隊の奴らが回収しても、こういったお貴族様たちに次々にむしられたんじゃあな。

 特に放馬したのを捕まえてた馬とか勝手に乗ってかれると、負傷者を撤退させるのが大変になるのによ。

 

 マルバルク伯爵くらいだな、騎乗馬が健在で一緒に殿軍務めますって申し出てくれたのは。他の騎乗してる貴族は郎党など知らん! とばかりに単騎逃げしている。

 マルバルク伯は従者と共にホールデンの隊の助攻をしてくれている。放馬した馬を勝手に持ってかれて、負傷者を後送する荷車に数頭しか使えていない中、機動力で少数の味方を救ってくれるのは本当に助かってる。


 しかし他の敗残のお貴族様連中はいい気なもんだった。


 気位の高いお貴族様は下々と違ってご自身が必死で逃げなきゃいけない立場だってことがわからねえらしい。

 健在な部隊が居れば乗馬を無くした貴族の自分を優しく包み込むようにして領地まで送り届けてもらえると思ってるようだ。


 あんた方の単独だろうと何だろうと、とにかくヘーレン街道を東に進んでくれって言っても聞きゃしないで地大砲周辺に居座るから地大砲が使えねえんだ。

 どけっていうのになかなかどかねえし、装填してある目印の木の枝も倒すし、まだ撃ってねえのか撃ってんのかわからねえのが一番困る。二重装填したら地面が吹っ飛ぶ。


 仕方がないからホールデンの隊から10人くらいずつ護衛を付けて森の入り口まで送り届けてやってる。

 そんな奴らが送っても送っても絶えず30人近く溜まってきた。何でこんなに群れるのが好きなんだか。

 俺達も少しづつジリジリ後退しているし、地大砲で騎兵を吹っ飛ばしたりしているが、敵の各騎兵1発しか撃てない拳銃がけっこうな脅威になっている。


 揺れる馬上で短い銃身、実際のところ敵騎兵に20mやそこらまで近寄られないとそう簡単には当たりゃしないんだが、精神的な緊張は高まっちまう。それにこっちもそこそこ人数が多いからとんでもないところの流れ弾が当たっちまうことがあるんだ。

 腕、足などに銃弾を受けた奴らは走れりゃ自力、動けなきゃとにかく森の入り口まで馬に曳かせた荷車でホールデン隊が運んで行ってるが、荷車だけじゃ間に合わなくなって怪我人を背負って後送するために取られるホールデン隊の兵も多くなり、段々と手が足りなくなってきている。そのため侮られ突撃を敢行されることも増えて来た。


 ただまあリール川沿いの防御陣地構築に向かったハンスが、荷馬車を何十台か手に入れて、こちらの森の入り口まで来た負傷者を荷馬車で後送する手配をつけてくれたことは本当に助かったぜ。

 ガーランド隊の一部が荷車に負傷者を乗せるのを手伝っている。

 


 そんな時に限って騎兵をトレインしてくる友軍もいてな。仕方ねえから「瞬足」っていう身体強化して速度を上げる魔法の一種を3回も連続で使って助けちまった。


 「かたじけない」


 って礼を言われたのが久々だったから面食らっちまったな。


 殿下が「おひとつどうぞ」ってリンゴ渡したら、そのままあるじの子を連れてヘーレン街道の入り口を抜けて自力で撤退して行ってくれたから、こんな普通のことなのに凄く嬉しくなっちまったよ。 



 戦場の潰走が終わりつつあり、街道上でまとまった集団が俺達だけになり、何度も地大砲で損害を出しているうちにエイクロイドの騎兵部隊の動きも段々変わって来たんだ。

 エイクロイドの騎兵隊ってのはハイエナみてえに狡猾ってゆうか、明らかなお荷物を抱えた俺たちを遠巻きにしてくる。


 それでこっちが隙を見せたと思うとサッと駆け入ってくる。

 このヒットアンドアウェイのせいで、地大砲で相手にもダメージ与えてるってのにどんどんホールデンの隊が削られる。後送して戻って来てない奴ら多いが、今俺達の周りに展開しているのは1500だったのが500切っちまった。


 途中の街道を地大砲を使って守ってるビンスとボリスの隊も犠牲は出ている。火魔法使える奴も3人息絶えた。

 ビンスとボリスの隊は街道沿いに設置した地大砲の発射と装填を、魔法使用者一人につき10人でチームを組んでいる。

 俺達はビンスたちのチームに合流しながら後退していく形になっている訳だがその時に報告された。3人の魔法使用者が亡くなったのは、足元不注意なお貴族様方に装填済み目印を倒されたせいだった。

 敵の接近を撃退しようと、砲口の枝が見当たらないが敵に向いてる地大砲にダメ元で着火したつもりで弾薬が装填されておらず、そのまま騎兵の槍にかかったってのが一人、あとの2人はやはり目印がお貴族様に倒されていて、結果二重装填しちまって装填担当者とともに地面ごと吹っ飛んじまったって事故だ。そこは街道が抉れちまっていて、物資を乗せた荷車を通すのが大変だった。

  

 最も敵騎兵にとっても地大砲はいきなり地面から砲弾とつぶてが殺傷力を持って飛んでくるんで、迂闊には街道と俺達に近寄れないって状況。


 殿下も使える地大砲を使って撃退してたけど、閉塞感は徐々に漂いつつある。

 何せ騎兵にこんなに足止めてじっくり見られるなんて想定外以外何ものでもない。

 

 もう退却敗走してくる友軍はいない。だが俺たちが無事に退却し切るってのはかなり厳しい状況に追い込まれた。

 動きたくないってお貴族様を見捨てれば行けないこともないだろうが、流石にそうするのは本末転倒って殿下は悩んでるようだ。何人か負傷者が出ているが、後送する余裕もなくなりつつある。

  

 魔法使用者たちも殿下の再三の忠告を聞かず、緊張からか大して物を食べなかったため、魔法使うどころか歩くのもやっと、という者が合流した中で何人か出始めた。


 時間が進むことは当初こちらの味方だった。


 それだけ友軍がこの地獄から離れられるしそれだけ多くの友軍を発見できるからだ。

 それが当初のこの戦闘の目的でもあった。

 しかし今は時間が進むにつれ、疲労はどんどん蓄積され俺達の動きを鈍らせてきているし、俺達の退却速度の低下によって、いつ敵の歩兵の大集団が現れるか、いつ敵の大砲隊が砲弾の雨を降らせてくるかを心配しなければならなくなってきた。

 何より疲労で地大砲に着火できる魔法使用者が少なくなりつつあった。


 「仕方ない。10分間の小休止を取ろう」


 殿下がそう言って俺達は小休止を取った。

 

 今、俺達の周囲にいるのは500人を大きく切っている。

 お貴族様係累が30人、ホールデン隊が200ちょい、ビンス、ボリス隊が魔法使用者含め200人ちょい。

 皆、背嚢に入れた水筒を取り出し、水分を取っている。


 周囲を警戒する何人かの斥候を等間隔で置き、お貴族様方以外皆街道上に座り込む。

 

 殿下がポケットから蒸留酒を携帯するような、小型の真鍮しんちゅう製の液体入れを取り出し、ホールデン隊が人力で曳いていた荷車に積んだ水筒に少しづつ中身を入れて混ぜていく。


 混ぜた水筒から「回し飲みで悪いけど、皆少しづつ飲んで」と言って魔法使用者たちに渡す。

 

 「殿下、何ですかその液体は?」と尋ねると、「少し薄めた蜂蜜だよ」との返答。


 「私も今日は結構魔法使ってるから、とにかくすぐエネルギーになるもの摂らないといけなくてね。蜂蜜そのままだと喉が渇くから、水で薄めたものを少しづつ飲んでたんだ。

 ダイク、これ少し飲んでみて」

 

 そう言って渡された蜂蜜を混ぜた水筒の水を飲んで見ると、薄めた蜂蜜少量を更に水で薄めている。だがほんのり甘い。


 殿下は手持ちの蜂蜜を水筒に入れ終わると、お貴族様たちが座り込んでいる街道外の原野にも蜂蜜を混ぜた水筒とリンゴを渡してやりに行く。

 あんな非協力的な奴ら放っとけばいいと思うんだがなあ。

 「回し飲みなどできるか!」

 とかお貴族様方がゴネてるのが聞こえる。それでも殿下は水筒とリンゴを押し付け戻って来る。


 その後、地面に座り込んで空を見上げた殿下は何かを考えてるのか微動だにしない。


 じりじりと後退を続けてきたため、ヘーレン街道森の入り口までは残り1.5km程だ。

 目が良い奴が目を凝らせば、何とか入り口を死守しているガーランドたちの姿が見えないこともない距離。

 確実に今までのペースでジリジリ下がっていけば辿りつけはする。ただしそれは皆の体力、特に魔法使用者の体力が続けばの話だ。

 時間が掛かれば体力消耗は進み、せっかく設置した地大砲が宝の持ち腐れになる。地大砲を撃って来ないことが敵騎兵にバレると、たちまち後方を押さえられ包囲されてしまう。

 1.5kmの距離なら、全員で走って脱出することも出来ないことはない。

 ただ、殿下が走って脱出することを決断できない理由は、ヘーレン街道に入る狭隘部きょうあいぶにここにいる400人強とガーランド率いる、向こうが健在なら2000人が同時に殺到したら、ひしめきあって押し合いへし合いになる。そこに騎兵が殺到したら騎兵冥利に尽きると相手が心ゆくまで殺戮を堪能できる状況になってしまうためだ。


 かといってガーランドの小銃部隊を先に撤退させれば、ヘーレン街道の入口を先に敵騎兵が塞ぎ、俺たちは包囲殲滅されてしまうだろう。


 ガーランドたちを殿しんがり殿しんがりとして残し撤退するのも、王族の身ならば仕方がないことだ。

 しかしガーランドたちを見殺しにするのと同義の命令を下すのは、この人は良しとはしないのだろう。

 王族としては甘い。でも、初陣の13歳はまだスレていない。それを優柔不断と断罪するのは酷だろう。

 いざとなったら、俺が我が身に替えてでも、殿下を無事に逃がす。

 それが護衛騎士としての俺の務めだからな。


 しばらく空を見上げて考えていたジョアン殿下が小さな声を出した。


 「よし、もうやるしかないな」


 ジョアン殿下が何か決断した。


 そして皆に向かって口を開く。


 「すまん、皆。今、実は考える振りして好きな婚約者のこと考えてた。

 正直この状況だと、ガーランドたちを逃がしてやって私たちは全滅するバターンか、私たちが先に逃げてガーランドたちが全滅するパターンか、私たちとガーランドたち、街道入口でごちゃごちゃになってシャッフルして、上手く行けば20人くらい生き残るかのどちらかしかない。だったらジャニーンのこと考えてた方が楽しいなって現実逃避してた。申し訳ない。

 で、ちょっと聞きたいんだけど、皆生きるために敵に投降する気はあるかい?

 どんな目にあうかはわからない。でも生きていれば戦後の人質交換で故郷にいつか戻れるかも知れない。投降する気はあるかい?」

 

 ジャニーン様のこと考えてたってのも何じゃそりゃって話だが、突然重大なことを軽い調子で聞くのも驚きだ。


 「そっちのずーっと一人では戻りたくないってゴネてた貴族の人、どう?」


 「わたしを愚弄するか! 誇り高きラッセル伯爵家の当主、ハンノ=ラッセルだぞ! 生きて虜囚の辱めを受けるつもりはない!」


 「はい、ラッセル伯のお心は承たまわりました。ホールデン、ボリス、ビンス、どうだい? 投降する?」


 「殿下のお心のままに」


 「あ、そう。それでいいんだね、本当に?」


 「はい、お心のままに」


 「そっか。なら私は投降しないよ。

 投降してディランおじさんに利用されるのは嫌だ。

 あの人私があの人と境遇似てるとか言って勝手に親近感持ってるみたいだけど、本質は人のことなんてどうでもいいって人だからね。アレイエムの貴族家を解体、根絶やしにするためにエイクロイド皇帝と手を結んだ人だ。私がそれに協力するって言えば生かしておいて貰えるだろうけど、断ったら多分見せしめに殺されると思う。

 それは……嫌だな。

 正直、エイクロイド皇帝ポルナレフ=ボンバドルには興味ある。どんな考えを持ってるのか、何が目的なのか。でもこの状況で捕まったら侮られる。それも困る。対等じゃないと聞けないことがあるからね。

 とりあえず全員脱出希望ってことでいいね」


 「はい」


 周囲にいる者全員がそう答える。


 「なら、このままじりじり今までのペースで後退しても、ジリ貧だ。頼みの綱の地大砲に着火する魔法を使える体力がなくなった段階で包囲殲滅される。

 だから、残り1.5km、ヘーレン街道を走って森に入り込め!」


 そして、意を決したように続ける。


 「はっきり言うよ。全員の無事な生還は諦めてくれ。子供を連れた騎士が通り抜けた時点なら余裕で可能性はあったけどね。

 これだけ敵騎兵が集結してこちらの様子をじっくり観察されたら無理だ。そこの貴族の人たち、死なないように必死で頑張ってね」


 「何を抜かす小僧! 我がラッセル伯爵家はニールセン王家よりも由緒正しいのだぞ!」


 「それはそれは。ご先祖様にお守り頂けるよう祈りを捧げて下さいね」


 「礼儀知らずめ! 帰ったら覚えておけ!」


 「お互い無事に帰れるといいですね。その時は叱責でも何でもお受けしますよ」


 意思確認は終わった。あとはいつ脱出するかだけだ。


 「一応最後の状況確認だけしておくか。ジェニー、敵の歩兵と砲兵はどんな様子だい?」


 空中、数十mの高さに飛び上がったハーピーのジェニーは、周囲をそのよく見える目で見渡し状況を確認する。


 地大砲の有効殺傷範囲300mより少し離れた場所に屯している敵エイクロイド騎兵隊の拳銃がジェニーに向かってパン、パンと放たれるが、先込式で銃身内にライフリングを施されていない拳銃では当たりはしない。


 「エイクロイド歩兵部隊は2km程先を2000人程の集団がこちらに徒歩で向かってきています。遺棄された物資の鹵獲目的と思われます。他はこちらには向かわずヘーレン周辺の貴族領の接収に向かっているようです。大砲部隊も同様で、ヘーレンに大部分は撤収していますが何部隊かは歩兵に随行しているようです」


 「わかった。最悪ではないってことだけだけど。敵は直ちに王都アレイエムに攻め込む方針は取らず、この周辺地域から徐々に固めていくつもりのようだってことがね。ニース、ガリム。獣人部隊の様子はどうなってる?」


 「森の中の友軍の保護と誘導は終わっています。今は森の中に潜み敵を警戒しているようです」


 「獣人数人を中継してリール川東岸の第7、第8陣の指揮を取ってるハンスに連絡はつく状況か。ヘーレン街道入口を守ってもらってるガーランドの状況は?」


 「弾薬が少し心もとないそうです」


 「そうか……」


 殿下はしばらく考え込んだ。


 「ニース、森の中で警戒している獣人部隊に、森を抜けたヘーレン街道から敵騎兵が抜けて来た場合に備えて、街道の森出口に向けて地大砲陣を幾つか設置しておくように伝えてくれ。地大砲の作り方もね。それで火薬と砲弾を装填したら、火魔法が使える獣人数人を付近に待機させておくように。火薬と砲弾はリール川東岸のハンスから分けて貰ってくれ。

 それと、リール川東岸のハンスに先程の敵情を伝えるよう言ってくれ。

 それと、私の死が確認された場合、アレイエムの陛下にすぐ報告し別命を受けよ、と。陛下からの別命あるまではリール川東岸に集結するアレイエム軍の指揮を取ってくれ、と伝えてくれ。

 ここに居る者、もし私が死んだら必ずハンスに報告し、その下知に従ってくれよ」


 「殿下何をおっしゃいます」「殿下を死なせる訳にはまいりません」


 周囲の者が次々に殿下を諫めるが、構わず殿下は続ける。


 「マルバルク伯に頼みがあります。こんなことをお願いするのは失礼にあたると思いますが、マルバルク伯の騎乗馬に荷車を装着させていただき、重傷者を荷車に乗せてリール川東岸まで連れて行っていただきたいんです。その後は騎馬で駆け抜けて、私たちの陥った状況を王都の陛下に伝えていただきたいんです。

 お願いできますか?」


 「むう、私だけ先に脱出するというのも心苦しいが……それに荷車を装着すると速度はそれ程出る訳ではない。よろしいか?」


 「はい。自力で移動が困難な者数名を乗せて行っていただければこんなに有難いことはありません」


 「うむ、ならば引き受けよう」


 「マルバルク伯、有難うございます。重傷者をよろしくお願いします。

 ガリム、ガーランドの隊に我々の先頭がヘーレン街道の入り口に差し掛かったら、ガーランド隊は全隊一斉射撃を最接近してきた敵騎兵部隊に浴びせた後、小銃を含めて装備を全て投棄し全力で脱出せよと伝えてくれ。

 それと負傷者の後送や友軍の護衛で下がっていた者たちにはそのままこちらに戻らず街道を走り抜けろと伝えてくれ。

 ホールデン、部下と一緒に荷車の荷物を全部下ろして、そこらの下草を刈ってクッション替わりに荷車に敷き詰めて、終わったら走れない重傷者を乗せてくれ。

 ビンス、背嚢はいのうに荷車から下ろした残った火薬と石を一杯に詰めろ。砲弾は放棄する。小石と火薬を詰めた背嚢はいのうはボリス、ビンス、ホールデンと残りは背負えそうな者に渡してくれ。どれくらいありそうだ?」


 「結構ありますよ。背嚢はいのう15個くらいですかね」


 「なら私とダイクも一つずつ背負う。

 火薬入りの背嚢はいのうを受け取った者は、ヘーレン街道入口付近で背嚢はいのうを投棄して一か所にまとめてくれ。ヘーレン街道入口付近を爆破して簡単に騎兵が追ってこれないようにする」


 と言うと、殿下はいい笑顔になり、言葉を続けた。


 「なあ、みんな。ここから森の入口まで1.5km強。それで森の中のヘーレン街道を抜けるまで15km。更にリール川まで15km。合計31.5kmを自分の足で走り抜けなきゃならない。一応ヘーレン街道抜けたところに地大砲陣地設置するように言っといたけど、それが機能したとしても最低16.5kmは敵騎兵の追撃に怯えながら移動しなきゃならない。生きて帰るのは相当難しいミッションだよ。

 もう、ここから先は、他の人を気遣う余裕は誰にもないってこと。皆がそれぞれ、自分が生き残るために必死で走らなきゃならない。走れなくちゃ死ぬか、良くて捕虜だ。私も当然そうだ。だからさっきリール川東岸のハンスに私が死んだら軍の全権を委譲すると伝えた。今はもう第一王子ジョアンじゃない。単なるジョアン=ニールセンだ。誰も助けられない。助ける余裕なんてない。

 そうゆう覚悟で走り抜けてほしい」


 そして続けた。


 「これから脱出するが、その前に何か叫ぼう、望みでも何でも。

 もし途中で倒れても、聞いてた人が知り合いに伝えてくれるかも知れない。生きた証だ。

 じゃあ私から行くよ。

 うわあああああ! 

 俺はまだ死ねないいぃッ! 

 まだ俺は、俺はジャニーンの柔らかそうな体を抱きしめたことがないんだああああ! 抱きしめさせてくれジャニィィイイン!

 あと、ジュディさあああん! ジャニーンを産んでくれてありがとおおおおお!

 ガリウスウウウウッ! ごっついくせにジャニーンなんて可愛い名前娘につけてんじゃねえよおおお! 可愛すぎて可愛すぎて何度も言いたくなるわジャニイイイイイイイイイイイン!」


 言い終わると殿下はハアハアと肩で息をした。

 これから全力で走るってのに何やってんだか。

 陛下たちに何もないのかよ。陛下が聞いたら泣くぜまったく。


 まあ、でも、こんなのも悪くないぜ。


 「ハンスウッゥゥゥウウ! いっつもいっつもてめえ一人で抜け駆けしやがってえぇぇぇ! たまには俺にも美味しい処を回しても罰は当たらねえだろうがあぁぁ!」


 叫ぶのもスッキリするな。ハンスの野郎にゃいつも言ってることだから目新しくもないが。


 殿下と俺が叫んだことが呼び水になり、周りの奴らもそこかしこで叫び出した。


 「テルマアアァァァ! 好きだあああぁ! 結婚してくれえぇぇぇぇ!」

 

 「テルマは俺のもんだああぁぁっ! ホールデン隊長にはガリエがお似合いだああああッ!」


 「バカやろおおおおっ! ガリエの胸の魅力がわからん奴はしねええええええぇぇ!」


 「メリッサにもっと会いに行けるように、給金あげてくれぇぇ!」


 「お前にはかみさんいんだろうがああああ! おまえのかみさん俺によこせえええええ!」


 「ホーン・リバアアァァァッ! 女向けの甘ったるいモンばっか出版してるんじゃねえぇぇぇぇ! もっと男向けのハードな奴を出せえええぇ!」


 「おまえはぜったいこっちをみるなああぁぁぁぁぁぁ!」


  阿鼻叫喚だ。


 「私は愛するケリーの為に、美しく育ったミランダのために、そしてまだ小さいジェラルドの為に、まだ死ぬわけには行かない! 殿下に頂いた生き残るチャンス、絶対に無駄にすることは出来ないッ!」


 高いところから随分いい声でカッコつけたこと言うな、と思ったらマルバルク伯爵だ。

 殿下に向かって親指を立ててサムズアップする。 殿下もサムズアップを返す。

 伯爵様なのに、ずいぶん庶民的なことをするもんだ。


 この伯爵様は嫌いじゃない。


 何とか逃げ延びて欲しい。


 まあ騎乗してんだから、徒歩の俺たちよりは逃げられるだろう。


 「みんな、思いの丈は、十分叫べたかい? エイクロイドの兵たちもビビったんじゃないか?」


 と殿下が皆に声をかけた。


 いよいよ始まる。




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