第三 山烏太郎述懐、面々評定、烏羽玉事

其之一

第三 山烏ヤマガラスの太郎述懐しゅっかい、面々評定、烏羽玉うばたまの事


 さて、くだん文使ふみづかいの鴉は這々ほうほうてい祇園林ぎおんばやしに取って返し、自らのこうむったむごい仕打ちの委細を啾々しゅうしゅうなみだながらに語った。真玄さねはる大瞋恚だいしんにおこして「生涯の恥辱の出来しゅったいするとはこのことよ、我こそはと思う者共、続け」と云い放って取太刀鳥立するや、中鴨に押しいだして華々しく散華うちじにせんとばかりに出張でばろうとするものの、後見こうけんの鴉が袖にすがって「無念の至極、さぞかしにござりましょうとも。なれど然様さよう軽哢かろめろうして俺們われらあだするからには、よもや彼奴きやつらとて此方こなた翼撃むかえうつ何らの構えとてないなどということはござりますまい。殿お独りにて飛びられて、かず以外は取るにも足らぬ鷺共にせせり倒されてはそれこそ恥の上塗りとなりましょうぞ。先ず以て今は思いとどまられて、弓箭いくさのことは後日こうじつを期することです」といさめて挽留ひきとどめるので、「にも」とここは抑えたのであった。

 一門の鴉やこの林をねぐらと定めてすだける鴉の面々も事の次第を聞くや烏合あつまり「何としからぬ、しからぬ」と乱噪する時しも、山烏ヤマガラスの太郎が黒革の腹巻で見るからにおどしの糸の切れたのを身に纏い、三枚錣さんまいじころかぶとの緒を締め、肩にも腰にも掛けずしてただ寄せいだくばかりの熊皮くまがわ大靫おおうつぼに矢をぎっしり百二百とも入れ、大弓おおゆみを持ち、下部しもべ小禽ことりに楯を担がせ長鑓ながやり持たせ、馬で追馳おいばせして駈け付けて来て、烏合の衆の末席に正座なおる。至誠廉直第一の思慮深き者にして、その父もまた山烏ヤマガラス何某なんとやらと申して、弓くに掛けては衆鳥しゅうちょう比肩ならびなきしたたかなる勢兵つわものであった。名字にも似ず平生より在京していたその父が先年の【精進魚類しょうじんぎょるいの合戦】(※一)に討たれて後、嫡子太郎はまれにも他との情誼よしみを交わさず立居たちいも頑迷にして融通の利かず、親が家督の時分に弥増いやまして困窮のさまは隠しおおせようもなく、それでも武勇は重代じゅうだい、今にその家風を伝えるのであった。

 ここに口太烏ハシブトガラス徒者いたずらものがあって、浅果敢あさはかなる多弁を弄して軽佻かるはずみを専らとし「何かあるまいか、見て笑える何事か無いものか」と見巡らしていると、山烏ヤマガラスの太郎の見窄みすぼらしい打份いでたちをば見留めて「見苦しき姿よ、卑しきやつばらは皆こうだ」などと目引き鼻引き嘲弄からかって「御旁おんかたがたの御評定に先んじて、山烏ヤマガラス殿の他に異なって抽出ぬきんずる御高見を拝聴したいもの、して、何ゆえにてご遅参なさったか」などとかす。

 山烏ヤマガラスの太郎は【里にり来たって辺隅者いなかものよとわらわるるなど常のこと】(※二)なれど、これはおとがいを叩く度過ぎた物言いであろうと思うてくちかんしていらえもせなんだが、これも余りの沈黙しじまこらえ兼ねて「然様さようでござりますな、小生それがし山賤やまがつ涯分がいぶんにてござりまするゆえ、卑俗なる堅物かたぶつにてもござりましょう。ればこそ慣れにしことなど、春にウグイス睍睆けんかん空谷くうこくの戸開く初音はつねをも真っ先に聞き、折掛垣おりかけがきの梅が香をも身にめ、雲かと見過みあやまてる花盛りをも庭の木末こずえに眺め、夏になれば山時鳥ヤマホトトギスの啼くを誰よりも先に聞き、秋の【茅蜩ひぐらしゆうべ掛けたる鳴声を聞いて憂愁うきあきを思い知れば歌の真似事をも続け】(※三)、見る人もなく散らしく奥山の紅葉の錦をも身独り眺め詠め、冬は【降りめしあしたにさえ訪人おとないびとたるる深山みやまの里の雪の夕暮れの風趣おもしろさ心撼こころうごかされ】(※四)、季節にらぬ四時常住のべてのさまの、事毎ことごと感にえぬ時など、三十一文字みそひともじの言の葉が自然じねんきょうさかしまする。凡卑ぼんぴの身には、斯様かようなることでもなければ見付くることなく聞き慣るることなくもござりますれど、都にお棲まいとあらば御旁おんかたがたにはさぞや雅びやかなる御事にてもござりましょう。あなや、その雅の一端をば承りて、至らぬおのが耳をも驚かしたきものにござりまする。小生それがしの異見など御旁おんかたがたには笑止にござりましょうものを、ことの武勇の道に至りては余事よのこととは異なり、我が身の不肖とてかかわらぬことと承りまする。先考なきちちも身位なく所領とて財物ざいもつとてござりませなんだが、弓箭きゅうせんのことにだけは粉骨を惜しまず、弓の道とあらば物員ものかずかずえられも致しましてござりますれば、その先考ちちの申し置きますること、我が耳に残りまする仔細もござりまする。それをば勇士ますらおの手本としてご披露つかまつりましょうぞ。むすことして、小生それがしは芸も心も殊の外に及ばずながら、りとて『子孫こまご父祖みおやの跡をしかとは継げずとも、他の者よりは相知る』とは申すものにてござりまする。しかれば下々の喩えにも『蛇道じゃのみちは小さけれどもくちなわは知る』と申しまして、お歴々は或いはご存知ないやも知れませぬが、然様さよう人気ひとげなき若輩の小生それがしとて知る道もござりましょうぞ」と演述するのであった。


【私註】

※一:『精進魚類物語(魚鳥平家物語)』は『鴉鷺』と同じく一条兼良の著作とされる御伽草子の一作。物語は魚鳥元年八月の始め、美濃(簑)国に住む大豆御料だいずのごりょうの子息納豆太郎糸重なっとうたろういとしげと越後国の鮭大介鰭長さけのおおすけひれながの二人の子息、鮞太郎粒実はららごのたろうつぶざね次郎鮄吉じろうひつよし兄弟との間の座次争論に端を発し、これに多くの精進物(菜類)と生臭物(魚鳥類)とが与同して合戦に及ぶというもの。帰趨は精進物が勝利を収め、敗れた生臭物は鍋の城に火を放たれて煮込まれてしまう。『精進魚類』に名こそ見えないものの『鴉鷺』では山烏ヤマガラス太郎の父は魚鳥の敗軍に与して討死したという設定であろう。なお『平家』の「祇園精舎」をもじってパロディ化した同作の冒頭「祇園林ぎをんばやしかねこゑ、聞けば諸行しよぎやう無常むじやうなり。沙羅しゃら双林寺そうりんじわらびしる、生死ひッすひ(必衰、引吸)しぬべきことはりをあらはす。おこれる(驕れる、起れる)すみひさしからず、美物びぶつけばはいとなる……」は出色の迷文に思われる。

※二:「今さらに里へな出でそ山がらすうときかたみに笑はれぬべし」(藤原信実、新撰和歌六帖 巻六・鳥二六〇四)。

※三:「ひぐらしの鳴く夕暮ぞ憂かりけるいつも尽きせぬ思ひなれども」(藤原長能、新古今集 巻四・秋歌三六九)。

※四:「降りそむるけさだに人の待たれつるみ山の里の雪の夕暮」(寂蓮、新古今集 巻六・冬歌六六三)。


※ラヴェルの“String Quartet in F Major, Op. 35: II. Assez vif - Trés rythmé”を聴きながら

 https://youtu.be/v3VXCsUOhdk

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