第15話 大立ち回りはマズルカに乗せて
・I・
「その銃は、もう撃てない」
セレイラの言葉とほぼ同時——まさしく、彼女に共鳴するかのようにそれは起こった。
何の前触れもなく、馬車を引く二頭の馬が後ろ脚で立ち上がった。
車体がぐらりと揺れ、セレイラは手綱を強く握った。
後ろから、小さな悲鳴が聞こえてくる。
二頭の馬は目を白黒させ、発射された弾丸のように駆け出した。
「ぬわっ!」
ルベルスキー伯は恐れをなして壁にしがみついた。
馬は異様な鳴き声を上げながら、城門へ向かって爆走している。
すでに白目を剥き、口元には泡がこびりついている。
「ききききき貴様、いったい全体何をした!」
混乱をきたして叫ぶ彼に、セレイラは巧みにバランスを取りながら言った。
「馬車の座席を改めたところまでは良かったな。あいにく、馬具までは疑えなかったようだけど」
「馬具、だとお!?」
「シアン化水素。そいつを含ませたガーゼを水溶性のカプセルに入れて、馬のハミに仕込んでおいた。パレードのあいだじゅう、カプセルは馬の唾液でじっくりと溶かされる。やがて露出した毒は馬の体温で気化し、そいつを吸い込んだ馬は中毒に陥って暴走する。タネも仕掛けもない、つまらない罠さ」
それは、キャンサーがセレイラの指示により、王立研究所から盗み出した極上の一品だった。
「いいから離せ!馬車を切り離して停止させろ!」
ルベルスキー伯はありったけの声で吠えた。セレイラは鼻で嗤った。
「それはできないな。手綱を離したら撃たれてしまうんだろ?」
彼は支離滅裂な喚き声をあげながら、手にした銃の引き金を引いた。
しかし、ひっくり返りそうなほどに慌ただしく揺れる馬車の中で、銃口だけはなりをひそめたままだ。
「もう撃てない——そう言ったはずだ。私の話、ちゃんと聞いてたのか?」
・II・
セレイラは吹き付ける風に髪をはためかせながら、城の中庭を囲む回廊へと突入した。
回廊に立ち並ぶ柱の影から、武装した男たちがわらわらと飛び出して来た。
「こ、こ、こやつを殺せ!殺すのだ!」
セレイラに差し向けられた刺客たちは、目の前の状況を飲み込めていないようだった。男たちはどよめきながらも引き金を引くが、暴れ馬に阻まれてセレイラには当たらない。
馬は半狂乱になりながら、中庭を所構わず駆けずり回った。逃げ遅れた男たちを踏んづけ、跳ね飛ばしながら、それはしばらくの間続いた。
やがて、馬の目前に太い柱が迫ってきた。男が一人、馬の行手を阻んだ。男は真正面からセレイラに狙いを定め、撃った。セレイラは額に向かって飛んでくる弾丸を、閃光のような速さで避けた。弾はそのまま何もない空間を突っ切り、奥に座る男の額を貫いた。
二頭の馬は岩の柱に激突して止まった。その衝撃が車体に伝わる寸前、セレイラは手綱をぱっと離した。
そして、片足で席を蹴り、中庭を見下ろす上空に舞った。
セレイラの体が放物線を描き、その頂点で彼女は銃を引き抜いた。
あんぐりと口を開けて見守る男たちが、スローモーションで網膜に飛び込んでくる。
彼女は六発分のシリンダーを空にしながら、潰れた馬車の背後に降り立った。
中庭では新たにできた六つの死体から、新鮮な朱色の血潮が吹き出していた。
瓦礫と化した車体の前には、折り重なった馬の死体。柱と馬体に挟まれ、ぺしゃんこになった刺客もいる。
彼女は即席の砦を蝶のように飛び回り、押し寄せる刺客たちを死の舞踏で迎えた。
馬の腹に飛び上がり、高所を利用して敵の五体を撃ち抜く。
銃弾が底を尽きると地面に舞い降り、ダガーを抜いて肉弾戦へともつれ込む。
ドレスは戦闘には最も不向きな服装だが、それでも彼女が刺客たちに後れを取ることはなかった。
一部の刺客はサーベルを抜いて応戦している。
セレイラは目にもとまらぬ速さで間合いを詰めると、ダガーの鍔をサーベルの刀身に滑らせた。
火花が直線を描いて散る。
右から左へと足を踏み変え、踵を打ちつけて勢いをつける。
二度のステップからダガーを逆袈裟にふり上げ、声のない気合いとともに標的を斬りさばく。
——ステップ。
——ステップ。
——レイド。
三拍ごとに、セレイラの周囲には累々と屍が積み上がる。
銃を構える刺客からはそれをかすめ取り、再びジャンプして即席の砦に立つ。
体の大きな馬は身長の低さをカバーしてくれる上、銃弾から身を隠すこともできる。セレイラは環境を巧みに利用しながら、音もなく敵を屠っていった。
・III・
セレイラは砦を挟んで、最後の刺客と向き合った。
男はすらりとした長身で、フードを目深く被り、両手にはハンドガンを構えている。
新たに奪い取った銃に視線を滑らせる。
シリンダーに残された弾は二発。
ダガーに刃こぼれはないが、銃を手にした相手に白兵戦を挑むのは——こちらの優位は揺るがないにせよ——賢いやり方ではない。
彼女はひとまず、敵の出方を窺うことにした。
男は崩れた馬車に二歩で駆け上がると、地面に残ったままのセレイラに銃口を向けた。すでに撃鉄は起こされ、あとは引き金をひくだけだ。
セレイラは左右を見回し、近くに遮るものがないことに気づいた。岩の太い柱までは、馬体一つぶんの距離がある。
男が小さく嗤い、セレイラは眉間に皺を寄せた。
その唇から、今度は聞き覚えのある声が発せられた。
「いやはや……流石は『ワルシャワの死神』ですね。ここまで見抜いていらっしゃったとは」
旋風がセレイラの顔を撫でた。
風は男のフードを剥ぎ取り、その下から、薄ら寒い笑みを浮かべたイラリオンの顔があらわになった。
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