第14話 馬車と銃弾と廃倉庫
歓声があがった。
ガラガラと乱暴な音を立てながら、一台の馬車がルブリンの街並みをゆっくりと進んでいた。
沿道には大勢の観衆が押しかけ、宝石箱のようなような馬車を物珍しそうに眺めている。セレイラは二頭の馬を操りながら、ルブリンにはこんなにもたくさんの人間が住んでいたのかと新鮮な驚きを感じていた。
彼女の後ろの席で寛ぐのは一組の男女。左手に座るのがルベルスキー伯だ。その表情を背中越しに見ることは叶わないが、セレイラには分かっていた。彼は先ほどから、座席から腰を浮かせては座り直してを繰り返している。心にやましいものを抱えている証拠だ。
街の南部にある分かれ道を、彼女は左へ舵をとった。
はるか前方、臙脂色のレンガでできた大きな建物が、右へ右へと流れていく。
グロツカ通りの廃倉庫。
イラリオンの言っていた「暗殺計画」の舞台であり、彼の言説では、下手人たちは、その倉庫の窓からルベルスキー伯を狙撃する手筈なのだとか。
彼女はわずかに浮かんだ手汗をドレスのスカートで拭いながら、昨日のホテルでのやりとりを思い返していた。
王党派による暗殺計画が架空のものであるというセレイラの読みは、ほぼ的中していたようだ。例の現場である廃倉庫は五階建て。セレイラが見たところ、人が銃をかまえて狙撃できるような窓は最上階にしか開いていない。つまり狙撃犯は、ターゲットを斜め上から狙わなければならないことになる。
そして、今彼女たちが乗っている馬車は匣型。
御者であるセレイラの座る前面を除き、壁や天井に覆われている。
彼女は路肩の排水路に落ちないよう手綱を操りながら、廃倉庫からの距離や仰角を計算した。もしセレイラが分岐路を左に進んでいても、廃倉庫の最上階から後席に乗るルベルスキー伯を狙撃するのは不可能だ。天井や壁に阻まれ、どのような距離や角度で撃ってもターゲットに当たることはない。狙撃の名手と言われる彼女を以てしてもだ。
(さて、問題はここからだな……)
石畳の凹凸に揺られながら、セレイラは小さくため息をついた。
計画は見破った。しかし、それは任務の成功を即座に意味するものではない。セレイラにはこれから、ルベルスキー伯やイラリオン、その他大勢の刺客たちから生還するという
昨日、宿屋をキャンサーが訪問したさい、夜陰に乗じてルブリンから逃亡するという作戦が彼から提議された。ルベルスキー伯は王党派の貴族。かたやセレイラは革命軍。存在からして
もしセレイラがルベルスキー伯や、彼の麾下の兵士を殺害でもすれば、それは『革命軍のスパイが王党派貴族に危害を加えた』という既成事実になってしまう。
そうなっては一大事だ。革命軍やミストラルの存続のためにも、革命決行のその日までは、表立った荒事は避けなければならない。キャンサーの提案は筋の通ったものだった。
しかし。
『ワルシャワには戻らない。私は明日のパレードで御者になる』
彼女には確固たる信念があった。
『なりません! 気は確かか、オリオン!』
キャンサーの反応は予想通りのものだった。
『ミストラルのスパイが王党派を殺害したとあらば、レックランドを揺るがす一大事になりますぞ!』
『揺るがさなきゃいけないんだよ』
この時、セレイラの胸の奥底にはかすかな、それでいて無視できない違和感が生じていた。
革命軍の仲間を王党派から救い出すという任務。実際には、それは王党派が仕掛けた架空の任務で、狙いは自らをおびき出して抹殺することにあると看破した。
全てはセレイラの読み通りに、ことが運ぼうとしていた。
でも、何かがおかしい。
いや、もしかしたら——
「妄想は楽しかったか?」
後ろから朗々とした声が飛んだ。
セレイラは頭の中のスイッチを瞬時に切り替えた。
馬車は城を右手に臨む広場へと出ていた。パレードはすでに行程の九割を終えている。後は水堀に渡された跳ね橋を渡り、ルブリン城でゴールを迎えるだけだ。
「何のことですか?」
セレイラは声を普段より一オクターブも高くしてそう答えた。ルベルスキー伯が何を考えているかは知らないが、こいつも私の前ではただの餌だ。彼女が心のなかでそう嘯いたときだった。
小さな鉄がぶつかる音がして、セレイラはそれが、銃の安全装置を外す音だと悟った。
「質問を質問で返すな」
ルベルスキー伯がそう脅すのと全く同時に、セレイラは自分の後頭部に銃口が突きつけられるのを感じた。
「貴様がわたしの真意を見抜いていることなど、とるに足らない問題よ」
馬車は跳ね橋に向かって着々と進んでいる。観衆の列は広場の端で途切れ、今や馬車の中で何が起こっているのか知る者はいない。
「手綱を離したら撃つ」
彼は再度、言葉を発した。セレイラはスカートのひだに潜ませた銃に手を伸ばしかけていたが、仕方なくいう通りにした。
「抵抗させる気はないってことか」
そろそろ正体を隠す必要もなくなってきたようだ。セレイラはいつもの低めの声で言った。
ルベルスキー伯は、ふんと鼻を鳴らした。
「貴様はこのままルブリン城へと向かえ。そこで死んでもらう。ドレスに銃を隠し持っていることも分かっている」
「馬車の座席に火薬が仕込んであるとしたら?」
セレイラは橋を渡りながら、挑発するように言った。
電気回路式目標物爆破措置。コードネーム『百一本の薔薇』。
ミストラルの技術班が試験的に開発し、直近のいくつかの任務で実用実験が行われる手筈だった。彼女は昨晩のうちに、キャンサーに命じて馬車を細工させていたのだ。
しかし、彼はせせら笑った。
「ああ、死んでしまうな。ただしそれは、出発の前にわたしが気付かなければの話だ」
先頭をゆく馬が一度立ち止まり、三度いなないた。セレイラの掌に、ブルブルと小刻みな振動が伝わってくる。二頭の馬は首を垂れ、頭を振り払うような動きを見せた。
「何をしている」
ルベルスキー伯は問い詰めるように言った。
セレイラは何も、と答えた。
腹底に響くような銃声が、彼女のすぐ横をかすめていった。
横髪が舞い上がり、いくつかはその風圧に千切れて飛んでゆく。旋風に巻き込まれ、頬が小さく切れる。
「次に動いてみろ。貴様の頭蓋骨には穴が開くことになる」
そう凄む彼の声はしかし、セレイラの耳に届くことはなかった。彼女は脳内にぐわんぐわんとこだまする残響を、必死に堪えていた。左の鼓膜がやられたようだった。
しかし、ルベルスキー伯の銃弾は、やわらかな西日に眠っていたセレイラの意識を叩き起こした。
全身を駆け抜けるような強烈な覚醒感の中、彼女の疑念はついに確信に変わった。
「無駄だよ」
跳ね橋のど真ん中で、セレイラは告げた。
「その銃は、もう撃てない」
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