第7話 カスピア

・I・


「あらためまして、カスピアです。東の方から来ました。えっと……あ、年齢? 十五歳です」

 十五歳と十六歳。

 二人の少女の目が合い、十六歳の方はじっとりとした半眼で睨み返した。

「……でっ、でも子供じゃないからね! お酒だって飲めるんだからね!」

 十五歳の方は、やたらとそれに執心していた。


 転校生よろしく部屋の隅に立たされたカスピアは、セレイラたちの視線を一身に浴びながら自己紹介をした。セレイラは改めて、彼女の顔をまじまじと見た。


 大きく透き通った双眸そうぼうに、程よく色づいた唇。

 鼻は小さく形よく、頬はほんのりと紅い。

 頭髪だけでなく、肌もまつ毛も真っ白。

 吹けば飛びそうなほど小さく華奢な姿は、さしずめ『雪の妖精』とでも形容すべきか。


(可愛い……)

 セレイラは、素直にそう感じた。

 無邪気な笑みを向けられ、不覚にも顔をほころばせそうになる。

 しかし、それもドラセナの下した決定を耳にするまでのことだった。


「——てなわけで、こいつは今日から『俺たちのチーム』に入るから、そこんとこよろしく」

「ほうっ!?」

 アローシャが素っ頓狂な声をあげ、激しく咳き込んだ。

「大丈夫?」

 エミリアが気遣わしげに声をかける。彼は震える手でティーカップを持っていた。

「す……すみませ……ゲホッ……紅茶が……んっく……の、喉に……」


「それで、あんたはどうやって私を納得させる気だ」

 セレイラはドラセナを威圧するように言った。

「確かに、革命軍には入れてやれと言った。でもミストラルはありえない。ましてや私たちのチームに配属と来たか……」

 彼女は力なく首をふった。そして、ドラセナに射るような視線をむけた。

「どういう了見なのか、聞かせてもらおうか」


「そうですよ!ふざけるのも大概にしてください!」

 援護射撃のように、アローシャが吠える。

 ドラセナは顔色ひとつ変えずに言った。

「カスピアはセレイラの情報をあれこれ知っているんだろ?なら、俺たちのもとに置いておくのが自然な判断ってもんだ。もしこいつを革命軍に渡したら——」


 彼はそこまで言うと、他の誰にも聞こえないぐらいの声で、セレイラの耳元で囁いた。

「お前のまで、奴らに横流しすることになるかもしれないんだぜ?」

 彼女は険しい表情をつくり、黙り込んだ。


 このは、いわばセレイラの喉元に突きつけられた短剣のようなもの。しかもその短剣には時限爆弾が取り付けられていて、下手に動かそうものなら即爆発。あらゆるものを巻き込み、とてつもない災厄を撒き散らしかねない。


 なればこそ、その柄をみすみす他人の手に渡すわけにはいかなかった。


「無論、俺だってカスピアの監視は必要だと思ってるさ。だからセレイラ。ここは大人しく、俺の決定に従ってくれないか」

 そう言われては、もはや何も言い返せなかった。

 彼女は唇を噛みしめ、己が右肩に指を食い込ませた。




・II・


 今度は、平静を取り戻したアローシャが反論した。

「それでも僕は反対です。危険すぎる。ミハイロフ王国が寄越した二重スパイかもしれないのに……その可能性については、考えなかったのですか?」

「……わたしはタタール人」

 腹の底から絞り出すような声で、カスピアが言った。わなわなと震える肩に、セレイラの目は吸い寄せられた。彼女は血相を変えて怒鳴った。

「ミハイロフに味方する理由なんて、どこにもないんですけど!」

 鬼気迫る表情に、アローシャはおののいた。セレイラは小さく縮こまる彼を横目に言った。

「やっぱりな。そういうことなら説明がつく」


彼女から旋律を引き継ぐように、ドラセナが言葉を重ねた。

「こいつはタタールのとある氏族を束ねる王族の生まれらしい。だが、ミハイロフに目を付けられ、七年前に氏族は壊滅。カスピアの両親も行方知れずだ。こいつはミハイロフ王国に恨みがある。俺たちの味方として申し分ない」


 五世紀前、タタール人の一派が世界征服に乗り出したことはあまりにも有名な話だ。タタール人たちはアジアの草原から瞬く間に広がり、ユーラシア大陸の三分の二を併呑する世界帝国を築き上げた。


 しかし、それも今は昔。


 ミハイロフ王国の台頭により、かつてのタタール人たちは故地を追われ、今や迫害されている。

 彼女もまた、その中の一人なのだろう。


 先ほどから、エミリアは賛成も反対もしていない。アローシャが水を向けると、彼女はあっけらかんとして言った。

「反対する理由がないわ。私もカスピアのことは気に入ったし。それに、こんなに可愛い子が二重スパイなわけないもの」

「エミリア、あんたもスパイの端くれなら、もう少し人を疑ってかかるべきだ」

 セレイラはため息まじりに言った。


「カスピア、聞きたいことがある」

 彼女は改まって、問いを投げた。

「ミハイロフの輩に一矢報いたいのはわかった。それなら、どうして正規の王国軍じゃないんだ?わざわざ革命軍を希望した理由が知りたい」


 カスピアは少しの間目をとじ、何かを振り返っているようだった。

 やがてまぶたを開くと、声高に言った。

「今の王国政府じゃ、列強に太刀打ちなんてできない。でも、レックランドの土地自体にはその力がある。王が変わって、国策が変われば、わたしの願いも叶うかもしれない。だからこそ、革命は成功させなきゃいけないと思ったの」


 メンバーたちはカスピアの言葉を吟味し、思い思いに反芻していた。彼女が信頼に足る仲間かどうか、注意深く見定めていた。

「それにもう一つ。わたしはちょっとした事情があって、王国内に探したい人がいるの。それで、革命軍に入れば王党派に潜入できると思って」


 ドラセナとエミリアは何も言わなかった。セレイラは、それを二人がカスピアを認めた合図と見た。アローシャは険しい表情を崩さなかった。

「司令、これは決定事項なんですか?僕にはもう、覆せないことなんですか?」

「ああ、こいつは俺が下した決定だ。君たちの意見は求めていない」

 ドラセナは有無を言わさぬ口調で言った。


「アローシャ、諦めろ。奴はてこでも動かないつもりだ」

 セレイラがそう諭すと、彼は不服そうな顔をしながらもようやく引き下がった。

「よかったなカスピア。あいつら、ようやく諦めてくれたみたいだぜ」

 ドラセナは彼女の脇腹を肘でつついた。二人は顔を見合わせてニッと笑った。

「だいたいな、お前たちは状況を悲観しすぎなんだよ。考えてみろ、セレイラとほぼ同格の戦闘力をもった人間がチームに加わるんだぞ?こんなに嬉しいことがあるかっつーの」

「そ、それはそうですけど……」


 なおも不服そうなアローシャに、ドラセナは催眠術士のように囁いた。

「それにな、彼女は何かとんでもない力を秘めているに違いない。俺の勘がそう言ってるんだ。奴はきっと、俺たちの役に立ってくれるってな」


 セレイラの胸のうちにさざなみが立った。

 色あせた遠い日の記憶が、心の岸辺に押し寄せる。


 七年前。


 身寄りのなかった私を、ドラセナは同じような理由で拾ってくれたっけ——。


「セレイラ」

 名を呼ばれ、彼女は夢から醒めたような不思議な気分になった。

「お前は明日から、カスピアと行動を共にしろ。奴に色々と教えてもらえ」

 妙な引っ掛かりを覚える言い方だったが、彼女はドラセナの指示をすんなりと受け入れることができた。


 ドラセナは仕切り直すように咳払いをした。それから使用人を呼び、カスピアのための椅子を用意させた。

「セレイラも疲れていることだ、今後の方針を話して、今日は解散としよう」

「そうしてくれると助かる」

 彼女は元気な様子を取り繕おうとするも、徐々に疲労を隠せなくなっていった。


「南東戦略はひとまず軌道に乗った。未だ課題は多いが……この調子なら、両国の関係性は安泰だ。少なくとも、クリミア公国が列強に鞍替えすることはないだろう」

 ドラセナはしみじみと言った。

「ここまで漕ぎ着けられたのは、ひとえに君たちの活躍のお陰だ」

 エミリアとアローシャは、誇らしげな面持ちでお互いを見つめあった。セレイラはただ一人、視線を落としていた。

「というわけで、南東戦略は一旦休止だ。以降数週間は、国内に目を向けてもらう」

 全員がドラセナの次の言葉を待っていた。


 彼は裁定を下すかのように厳かに言った。


「今、革命は新たな局面を迎えている。王党派も革命軍も、いずれの動向も予断を許さない。俺たちは彼らの動きを見極め、革命の成功に全量を注ぐ。ゆめ、抜かりのないように」

「了解!」

 彼らは——カスピアも含め——異口同音に声をあげた。ドラセナは満足げに頷いた。

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