第6話 フロル機構
四半世紀前。
ミハイロフ王国で起こった技術革新が、彼の国のヨーロッパにおける覇権を不動のものにした。
石炭を燃料として回転力を生み、七割以上の熱効率を誇るそれは、開発者の名前から『フロル機構』と名付けられた。フロル機構は紡績や工場の動力、さらには輸送にいたるまで、様々な分野で革命的な進化を引き起こした。こうしてミハイロフ王国は、他の追随を許さない強大な力を手に入れたのである。
「第二フランクに続いて、ついにパンノニアでも本格始動ってわけか。こりゃ厄介なことになるぞ」
ドラセナは歯痒そうな顔をした。
ミハイロフ王国は、フロル機構の利権を独占し、列強の残り二カ国から法外な特許料をせしめることで、莫大な利益を上げている。
パンノニア王国や第二フランク王国は、貢納金にも等しいそれらの支出と引き換えに、フロル機構の恩恵に預かっている。
しかし、他の中小国家では、フロル機構を輸入することは叶わない夢だ。強固な経済的地盤を持たない限り、高額な特許料は国家の屋台骨を揺るがしかねない。結果としてヨーロッパでは、ミハイロフ王国と、それに追随する列強という構図が出来上がっている。
「細かい分析は追々やってもらうんだが……現時点で、何か気がついたことはあるか?」
紅茶を飲みながらドラセナが声をかけた。はい、とアローシャが手をあげた。
「どうした」
「これが有意なものかどうかはわからないんですが……」
そう前置きすると、彼は駒の一つを手で示した。
「農閑期におけるロストフからの入港数が、ここ三年で二割ほど減っています。他の時期に変化はないのですが」
「ロストフ……ミハイロフか……」
セレイラがつぶいやいた。ロストフは、黒海の北東に位置する港だ。南部における一大都市であり、ミハイロフ王国も南方進出の上では重要視している。
「ロストフは農産物の集積地よ。特に、農閑期には輸出用の小麦の九割以上がこの街に集まってくるわ」
エミリアは切れ味鋭くそう指摘した。
「この変化が継続的なものだとしたら、クリミア公国はミハイロフとの穀物貿易から手を引きつつあるということ」
「……よし、それを待ってた!」
ドラセナは声をあげた。
「ミストラルの他のスパイから報告があったんだ。ここ最近、レックランドはクリミア公国への輸出をかつてないほどに増やしているとな。なんでも、特に小麦とライ麦は笑いが止まらないぐらいに売れるんだと。こいつは、それを裏付ける動かぬ証拠だろ!」
「確か、王国政府は関税のさらなる引き下げも視野に入れていたような」
セレイラの言葉に、ドラセナは大きく頷いた。
「ああそうだ。上手くいけば、クリミア公国は遠からずこちらへ転んでくれる。これで南東戦略は完成だ」
南東戦略。それは、瀕死のウサギが起死回生を図るべく、王国政府に潜ませたミストラルのスパイが主導する計画だ。列強に国土を挟まれ、滅亡の危機に瀕しているのはレックランドだけではない。クリミア半島を中心にウクライナ中西部を治めるクリミア公国もまた、列強の増長に戦々恐々としている。
そこに目をつけたのがドラセナだった。彼はクリミア公国を味方に引き入れることで、黒海に活路を見出そうとしている。黒海の対岸にはトルコがある。彼はすでに、アジアとの接触も視野に入れていた。
「南東戦略ってことなら、一つ気がかりな変化がある」
しばらくしてそう言ったのはセレイラだった。
「ここを見てくれないか」
彼女は十数枚の文書をテーブルの上に並べた。それらは全て、イスタンブールとの行き来の記録だった。
「黒海沿岸の港湾都市のうち、イスタンブールに定期便を出しているのはセヴァストーポリだけだ。だから、イスタンブールに行き来する船は、入港数と出航数が常に一致していることになる」
三人は首を縦にふった。アローシャの喉がごくり、と動いた。
「でもこれを見てくれ。イスタンブールへ出航した船のうち、戻って来たのは半分だ。他の船はどこへ行った?なぜ戻ってこない?」
エミリアは眉を曇らせた。
「もしも列強に消されているとすれば、この国がアジアに進出する時に障害となるわね」
部屋の中に、重苦しい空気が漂った。
アローシャが口を開いた。
「とりあえず、今日の所はこれぐらいにしておきませんか?それよりも、ワルシャワで気になる動きがあったので……それを共有しておきたいのですが」
「ワルシャワで?」
彼の持ち出した話に真っ先に反応したのはセレイラだった。アローシャは小さくうなずくと、メンバーの顔を一人ずつ見ながら話しだした。
「革命軍の一部が、兵をワルシャワに集めているそうです。革命の決行には未だ目処が立っていないのにも関わらず、です」
瞬間、彼らの間に緊張が走った。エミリアは再びタイプライターを打つ手を止めた。
「それ、本当でしょうね?」
「はい。ミストラルには事前に報告されていないそうで、情報筋の者も怪しんでいました。でも、気がかりなのはその方角なんです。兵は南部からではなく、方々から集まっているらしくって……」
革命軍の本拠地はシロンスクにある。レックランド王国の南端付近の地域だ。
「シロンスクから来た兵じゃないってことか。とすると……一月派、か……」
ドラセナは殆ど聞こえないような声で、そう漏らした。セレイラは彼に視線を向けた。
「度々あんたの口から聞くけど、それは何なんだ?」
彼はセレイラの問いかけを無視して、アローシャに言った。
「君の報告に感謝したい。重要な情報だからな。それにしても……こいつは面白くなってきやがった」
そう語るドラセナの表情は、少年のようにいきいきとして見える。まるで革命という営為がひどく愉快なゲームで、自分がそのプレイヤーであるかのようだ。
彼は光の宿る目をチームメイトに向けて言った。
「定期報告はこれぐらいにしておこう。君たちのおかげで、今後の指針も固まった。それに、今日は忘れちゃいけない用事がもう一件あるしな」
ドラセナの言葉が宙を漂った。
セレイラは顔を引き締め、目の前の空間を睨んだ。
「カスピア、入れ。待たせたな」
彼は扉の向こうに呼びかけた。
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