第5話 ランタンの明かりの下で

・I・


 セレイラは四方を壁に囲まれた陰気な部屋にいた。

 降り注ぐ六つの視線がいささか鬱陶しい。

 部屋にはチームのメンバーが一堂に会している。

 彼女の向かいに座るのは、技巧担当のアローシャだ。歴史や地理に関する豊かな知識を持ち、チームの知恵袋でもある。

 その隣に座るのはエミリア。溌剌として人当たりの良い彼女は、情報処理に止まらず対外的な折衝ごともこなす。彼女の前にはタイプライターが置かれている。これはアローシャが、ミストラルの技術班とともに開発したものだ。


 長テーブルの一番奥には、無精髭を生やした若い男が一人。

 彼がセレイラたちの上司であり、このチームを統括するリーダーである。

 名はドラセナ。西ヨーロッパの無頼漢から身をおこし、今やミストラルの幹部にまで上り詰めた人物だ。


「それじゃあ、始めましょうか」

 エミリアが口火を切った。セレイラは目の前に置かれた未開封のアタッシュケースを一瞥すると、全員に向かって言った。

「その前に、がどうなったか聞かせてもらいたい」

 エミリアはドラセナに目配せした。彼は腕くみをして、口を開いた。

「そりゃお前さんの報告の後だな。彼女をどうするか、任務の結果も踏まえて決めたいと思う」

 セレイラは軽くため息をつくと、アタッシュケースの金具に手をかけた。

「で、会って話した感想は?」

 

 彼女が言い終わるを待たず、ドラセナはにんまりと緩い笑みを浮かべた。

「将来は美人になる顔だな! ああそうさ、俺が言うんだから間違いない。ああいうも悪くな——」

「先輩?」

 無機質な声とともに、エミリアが貼り付けたような笑みを向けた。


 ドラセナは咳払いをすると、セレイラの方を向いた。

「それはそうと、まずはお前をねぎらう所から始めたい。セレイラ、よくやったな!」

「それはどうも。とはいえ、私が褒められるに値するかどうかは、こいつの中身次第だ」

 彼女は持ち帰った膨大な文書を、テーブルの上に静かに置いた。書類の束は、一部が雨に濡れて変色しているものの、概ね保存状態は良好だった。ドラセナは白い歯を見せた。

「それでも、お前が任務を果たした功績が消えるわけじゃないぞ。なにせ、千キロを超える距離を行って帰って来たんだからな。そうだ、何か欲しいものはないか? 今なら買ってあげるよ特別に」


 セレイラは手で払うような仕草をした。

「あんたを黙らせる薬が欲しいね」

 ドラセナは悄然として下を向いた。


 四人は思い思いに文書を手にとった。そして、机の中央に目を向けた。


 机の中央には、ヨーロッパ全土を描いた大きな地図が広げられている。


 地図の中でも中心付近、ワルシャワの周辺に領土を持つのがレックランド王国だ。かつてはポーランドなどとも呼ばれていたが、長い歴史の中で領土の変遷も激しく、今となってはすっかりになってしまっている。

 衰えたりとは言え、いまだその広大な版図は健在だ。南はズデーテン山脈から北はバルト海に至り、その東端はミンスクに達する。


 だが、周りを取り囲む国々の前では、レックランドの国土も霞んで見える。


 レックランドの西に広がるのは、第二フランク王国。

 オーデル・ナイセ川からピレネー山脈までを掌中に収める大国だ。ライン川を境に東と西に分けられており、フランスとドイツの同君連合という形を取っている。


 南境を接するのは、ウィーンを都とするパンノニア。

 バルカン半島の九割とモルドバを治め、七年前にはチェコ・スロヴァキアの両国をレックランド王国から奪い取った。


 ミハイロフ王国はモスクワに牙城を構え、ヨーロッパ全土に覇を唱える超大国である。東ヨーロッパを我が物とし、その領土はウラル山脈を越えてはるかシベリアにまで達する。人口、国力、軍事力の全てにおいて、他を圧倒するこの国は、ミンスクを境にレックランド王国と睨み合っている。


 東のミハイロフ。西の第二フランク。そして、南のパンノニア。これら三つを、ヨーロッパでは『列強』と呼ぶ。

 。どこぞの新聞記事に踊ったフレーズが、レックランド王国の現状を端的に表している。


 そう、この国は率直に、絶体絶命なのである。




・II・


 セレイラはしかめっ面で地図を睨むメンバーを一人ずつ見ながら言った。

「私が滞在している間、商船の出入りは平均で一日に二隻以上。ほぼ毎日、何らかの出入りがあった。冬小麦の出荷は今が繁忙期とはいえ、年間の入港数は三百は下らないと思う」

 ややあって、彼女は真向かいに座る美少年に視線をスライドさせた。

「アローシャ。この数字、あんたはどう見る」


 地図の上には所々にチェスの駒が置かれている。黒海をぐるりと囲むようにして五つ。これらは、セレイラが持ち出した商船の記録に記載されている港湾都市だ。

「三百か……」

 ミストラル有数の俊傑は、文書をめくりながら難しい顔をした。

「アントワープやハンブルクのそれよりも多い。ロンドンにせまる数だね。内海に過ぎない黒海で、この数は多すぎる」


 タイプライターの音がやみ、エミリアが顔をあげた。

「列強の仕業ね。ほら、ここ」

 そう言いながら彼女は、黒海の東から西までを指で辿った。

「黒海はミハイロフ王国とパンノニア王国が交易をする唯一の通路なの。両国の間は……ほら、この国レックランドとクリミア公国によって分断されているわ」

 なればこそ、とも言うべき両国のつながりを断ち切るため、列強はウクライナに野心を燃やすはずだ——相棒セレイラとコーヒーを啜りながら、慧眼なアローシャはそのように推測したわけである。


「——となれば、それらを介さないルートは一つよ」

 エミリアは『ヴァルナ』と書かれたポイントに置かれた駒を手にとった。

 黒海の西岸。パンノニアの属国、ブルガリアの都市だ。

「おそらくパンノニア王国は、ミハイロフとの結びつきを強めているのね。おそらく、これからも」

「目的は——」

 そう言いかけたセレイラの後を、エミリアがついだ。


「そう、『フロル機構』よ。間違いないわ」

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