花屋にて

私誰 待文

花屋にて

 花屋という仕事は退屈でしかない。毎日の朝日をうらめしく思いながら重たい腰をあげて、店先のシャッターを挙げる。それからくたくたに伸びきった花弁や茎を切って、深い底のバケツにざくざくと並べたてて、後はじっくりと花の色香にさそわれた客が来るのを待つ。


 壁に掛けられた電子時計はひどい。あのモノクロの円形機器には、華やかさとか、いじらしさとか、人生にきっと必要であろう難しい感情をすべて、点滅表示で消してゆく。私だってよその方々から見れば、あんな壁掛け時計みたいに、世の中で大事な物事一切を断って落としているのだと思われているんだろうか。


 店先の、ガラス越しに往来する人や人を、机に添えた肘で頬を支えながら漫然の見る。この姿勢は骨格をゆがめるからだとか、体感をずらしてしまうからだとか。だけど無意識の中で、私はいとまを潰すときや、こちらに視線の少しもくれない白状な人たちを眺めるときは必ずこうして頬にてのひらを乗せている。頬杖とは、私だ。


 時々考えてしまう、どうして私は花屋に身を置いたのだろう。小学校時代、仲のいい友達二三人に誘われて、将来の夢について語り合った瞬間がある。その時に私が何を語ったかは、覚えていない。だけど初めて自分の夢について口外した一瞬の、錆びたいかりを投げこんだみたいにきゅっとなった胸の奥の感覚は、時々思い出す。でも私は、例えば花の神様だとかに誓ってもいいが、あの瞬間、花屋とは答えていない。


 と、まだ活気とは違う熱で満ちた往来の中を、一人の男が通りすぎた。彼に一番合う形容は、立てば芍薬しゃくやく。彼の印象は芍薬に近い。すらりと伸びた紺のスーツを着ている。糊のきいた、いかにもサラリーで生活をしていますと誇示するような男。炭焼きの後に現れる屑みたいに黒い髪は、額の真ん中で鏡合わせに分かれている。


 花屋は、求めている誰彼にもっとも適した花を見繕う、仲人だ。人にはそれぞれ、適した花がある。だけれども花が似合う人がいるように、花の色香とは不釣り合いな人もいる。その点で語るのなら、今しがた店先を通りすがったスーツ姿の彼。彼は、花の似合わない人。


 似合う、似合わないの境に、くっきりとした線はない。それこそ、花弁は一色で彩られるものじゃなく、複数の隣りあった色を北極のオーロラみたいに移されている。ただこの仲人としての感性は、花屋として手足を動かしてきた人種にしか得られない、趣味のようなものだ。


 私は、この花屋を中心として、直線を百歩進んだ距離。それをぐるりと時計の針みたく回して、元の位置に戻した際にできる円。私が花屋として生き始めて歩いた全ての道は、その円形の中で収まってしまう。オーロラは、ロシアとかカナダとか、吐く息も白くなる季節の夜空に浮かぶらしい。今まで、両の手の指先を一から折りたたんだ数より多くの時間、吐く息が白くなったけれど、オーロラとやらは一度だって、遠景の夜空には浮かばなかった。


 道行く彼、芍薬の彼。彼は紺のスーツ姿で、どこまで歩いたのだろう。私の生活より遠くの景色を歩いていたり、花屋が一生を捧げても手に入らない時間を手にしたりするのだろうか。気になる。芍薬の彼は、オーロラを見たことがあるのだろうか。もし今しがた頬杖を離しガラス戸を開け放って、「すみません、芍薬の貴方。貴方はオーロラを見た経験がおありですか?」と、花屋特有のうやうやしい物腰で話しかけたら、答えてくれるだろうか。


 ふふん、と宙に溶かすような苦笑と共に、滑稽な妄想を吐き出す。彼は人生の節目で、花屋を訪れる機会があったのだろうか。世の中には、人生の一度だって花屋に脚を運んだ経験のない人がきっといる。そういう人のほとんどは、その後、何度も花屋の前を通りがかりはするけれど、何かと心のうちに理由を見出しては、入らない。


 壁掛け時計は、まだ午前。私は重い頬の杖をよいしょと言いながら外して、水道に繋がった青いホースを握る。先っぽにシャワーヘッドがついているのを確認して、店内に咲く花たちに水を遣る。ガラス戸の奥にしまった花にも散水し終えたら、蛇口を締める。きゅっとねずみが鳴くような声と共に、流れが断たれる。


 水を撒いた後の花屋は、空間自体がすぅすぅと、静かな呼吸をしている雰囲気を感じとる。それまではバケツとか、ガラスで区切られていた花たちの香りが、水を介して混じりあう。私は、花と花との区別が薄くなる、今一時の時間が好きだ。私が花屋である以上、この空間を創りだせるのは私しかいない。一人占め、優越は人生の花だ。


 私は呆けた様子で辺りを見回して、一本の茎に目を向ける。目の前、一株の白い植木鉢から、ぴぃんと伸びた薄桃の花弁。先ほど水を天から浴びた一輪の芍薬しゃくやくは、稚児がお手製の泥団子を母親に見せつけるように、テカテカと煌めく水滴を薄い花びらに乗せ、屈託のない笑顔を私に向けていた。


 偶然そんな姿を見てしまった私だから、また頬杖をついていたあの時間みたく、ちょっとの思考をする。そしたら、まるで花の悪魔が私という水の張ったバケツに一滴、濁った墨を垂らすみたいに、意地悪が頭をぎる。今から店の裏手に回って、コルクボードに立てかけてある裁断用のはさみを取り出して、パチン、と菓子を砕くみたいにこの白い植木鉢から芍薬を裁って、店に一瞥もくれなかったあのスーツの彼に、差し出してはどうだろうか。


 きっと彼は狐に化かされたように驚くはずだ。今まで一回だって訪れようとしなかった花屋の存在が、自分からではなく向こうから襲ってくるのだから。彼はたぶん、オーロラを見たことがあるのだろう。森が動くのだって見たことがあるのだろう。私が想像だにしない百歩を超えた世界を知っている彼でさえ、花屋が芍薬一輪を抱えてやってくるなんて、絶対に考えもしない。


 いい考えだいい考えだ。私はさっそく店の裏手に回って、赤い持ち手の裁ち鋏を右手に構える。裸になった銀の刃は、花の世界からすれば死を与えにくる死神。私たち人が見えない冥府の鎌に怯えるみたく、花たちだって見えない凶器に怯えている。


 死神が命を刈りとる気分は、どんなだろう。白い植木鉢の前を覆う体勢で屈み、鏡面で確認しなくても分かるくらい口角が上がっている、今の私とは同じだろうか。私は一度、思い切り深呼吸をする。鼻腔一杯に湿った花屋の空気を流し込んで、肺に自分が今いる場所の香りを溜めこんでみる。昔、背伸びの方法を一環としてナントカという銘柄の煙草を吸ってみたけれど、気道を煙で満たせる前に、喘息持ちみたく吐き出してしまった。今こうして花屋の芳香を吸い込む行為は、紫煙を燻らせる気持ちよさと同じだ。


 さてと、すらりと立った芍薬しゃくやくの青い茎に砥がれた刃をあてがう。後は粘土をこねる強さほどの力しか出さなくたって茎は、パチン、と裁たれて、それで終わり。


 だけど鋏を添えたまま、しばらく待った。それから、後一度だけ、店内の空気を吸う。すると、さっきまで私の頭を支配していた芍薬への興味は、途端なくなった。それまでボールを追うのに夢中になっていた飼い犬が腹を空かせた瞬間、あんなに追っかけ回していたボールを隅に遣るみたいに、芍薬への一切の熱情とか、スーツ姿の彼のこと一切が、馬鹿馬鹿しい、取るに足らない児戯のように思えてしまったのだ。


 止めよう止めよう、彼に花は似合わない。私は裁ち鋏を元あった場所に掛けると、また店の椅子に腰を下ろして、頬で肘に寄りかかった。モノクロの電子時計に視線を移しても、まだまだ午前。くぁあと情けない欠伸をして、私はまた通りを店先の通りを過ぎる人の群れを眺めていた。

 花屋の仕事は退屈である。

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花屋にて 私誰 待文 @Tsugomori3-0

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