おかしな家と40人の盗賊

「油商人?」


「はい、油を転々と売り渡っているんですがね、ここにはついちょっと前に着いたばかりでうちのロバどももかなり疲れていましてな。良ければ、一晩泊めてもらえないですかい」


 アリババが髭を蓄えた商人と話をしていた。

 何でも遠くから砂漠を超えて油を売りに来たとかで、二十頭のロバと四十個の油を持って来たらしい。

 アリババは笑顔で油商人を一晩屋敷に泊めることを約束し、商人も嬉しそうに笑っていた。


「あの、アリババ様はいつもあんな感じなのですか」


「うん、お人好しというか、どんな人にも分け隔てなく接する人だね。びっくりするだろ」


「えぇ、まぁ……」


 悪い人ではない、けれど、レティリエの心の奥底で根付いた金持ち達の醜さはそう簡単に拭えるものでもなく、黄金の瞳はそんな疑心で酷く濁っていった。


「レティ」


「……はい」


「わたしは今からロバを厨舎に連れて行くから、あなたはあっちの客間で待っててくれない」


「あ、あの、私も手伝います」


「え? いや嬉しいけどさ、お客にそんなことさせられないし」


「お願い、私にも手伝わさせて、何となく落ち着かなくて」


 思わぬ申し入れにモルジアナは一瞬悩む、けれど、レティリエの晴れない瞳を見てか、腰に手を当て、じゃあと口を開いた。


「手伝ってもらおうかな、ありがとうね」


「ありがとう、モル」


 恭しくお辞儀をすると、二人は微笑みながら屋敷を出た。



 ■□■□■


「ここが山羊の家か」


 グレイルは人の姿でそれを見上げていた。

 二階建ての赤い屋根の家。白が基調の壁。出窓がいくつかあり、二階の出窓には植木鉢が設置されていて、そこから可愛らしい花が見下げている。

 ミントグリーンの芝生と白い囲い、ここが盛り上がった土地にあることを忘れてしまうほど綺麗に整っていた。


「誰!」


 声は前方からし、黄金の瞳に姿を映す。

 チューリップのアップリケがされたフリルの付いた前掛けをした山羊がいた。

 二足歩行で。


「あなた! 狼!? 狼なの! いやっ、来ないで!」


 メェーメェーと泣きながら前足を体に回し、おぞましい物を見る目でグレイルを見る。

 違う、そうじゃない、と言っては見たものの、狼だ狼だと連呼して話しを聞かない。

 困ったグレイルは眉を八の字にしてどう話しを聞けば良いのか考えた。


「俺は、池で狼を見張ってる怪しいカボチャに言われて来たんだ。この家に隠れてる子山羊を見つけ出してくれって、だから、警戒しないでくれ」


「……怪しいカボチャ?」


 山羊が前足で持っていた前掛けを目から離すと、不思議そうにこちらを見やった。


「カボチャって、もしかしてジャックさん?」


「え」


 そういえば名前を聞いてなかった。グレイルは目を逡巡したのち、苦々しい顔で頷いた。


「まあまあ、それを早く言って頂戴! ジャックさんがよこした人なら狼だろうと猫だろうと手を借りたいは!」


 グレイルの苦々しい顔は更に深刻化した。どうもこの母山羊は狼をよく思っていないらしい。一体狼に何をされたというのだろう。


「家に入れないの! 入っても追い出されちゃうし、中に茶色い人影が見えるし、愛しい我が子の姿は見えないし、どうしたらいいのか分からないの!」


「追い出される? その茶色い人影に」


「家によ! 甘い香りがしたと思ったら柔らかい何かにふっ飛ばされるのよ!」


「あー、そういう家なのか?」


「なわけ無いでしょう! 非常事態に非常識なことを言わないで頂戴! その髪食べちゃうわよッ!?」


「う~ん……」


 この世界で常識を諭されるとは思わなかった。

 そもそも、山羊が二足歩行で凄みを効かせながら会話をする世界の常識をグレイルは知らないし、カボチャがケラケラと宙に浮いて狼にお願いをする常識も知らない。


「すまなかった」


「あらあら、反省は出来るのね。ともかく、ジャックさんがよこしたのなら家には入れるんでしょうね。もし入れないならお腹をチョキチョキするし、入れたとして、子供達を食べたらチョキチョキするわよ」


 前足の蹄が刃物に見える脅迫の魔法を聞いて、グレイルは身の安全という新たな目的を持って真っ白な戸を見つめた。

 話通りなら入った後で何かに追い出される、その前に侵入するにはどうすれば良い。

 思案の中、ふとあることに気付いた。


(そういえば、甘い匂いがしたとか)


 それが合図なら、甘い匂いがした時に何とか回避すればいいのでは。

 顎を引いて、きつく扉を見つめる。何にしても、母山羊の願いを叶えなければレティリエの元に案内してもらえない。愛する人のために、ここは足掻いてても侵入するしかない。


 背の低い草を踏みしめ、奥歯を噛みしめる。

 そうだ、こんな変な世界にレティリエを長く一人するわけにはいかない、一刻も早く見つけ出して一緒に帰るんだ。

 一族の誇りと愛する人の安否に腹の底から力が湧いてくる。強い雄が挫けてどうする、つがいとしてやるべきことはなんだ。

 黄金の瞳に、静かな炎が灯る。一族の戦士、愛する雌を守る本能がグレイルの四肢に力を注ぐ。


「うおおおっ!!」


 不撓不屈たる頑固な意思を雄叫びに乗せ、グレイルは低い姿勢で突撃を開始した。

 扉は戦士の猛攻に呆気なく粉々に砕けた。

 


「この香りはっ……」


「甘い」


「くっ!」


 グレイルは狼に変身して何とかそれを躱す。

 赤い球体と成って飛んできた敷物を。


「何だ! この鼻が捻れるほどの甘ったるい匂いはッ!」


 前足で鼻を擦るも、甘い香りは離れない。嗅覚に襲いかかる匂いを防ごうと鼻に前足を添える。


「!!」


 天井から強烈な匂いがしたと思って見上げると、棚が降ってきた。

 それも食器棚、硝子の杯や陶器まるごと。


「ぐっ!」


 受け身を取る。しかし、それは予想とは違う衝撃を与えた。


「ぶはっ! な、何だこれは!」


 グレイルは、スポンジ生地とクリーム、飴を全身に浴びていた。

 ねっとりとした感触に身震いしながら立ち上がろうとする。


「おい」


 甘い匂いと共に、男が前に現れた。


「俺の任務を邪魔するな」



 ■□■□■


 レティリエとモルジアナは厨舎にロバを入れると、屋敷の仕事に取り掛かった。掃除や料理、買い出しから洗濯まで。モルジアナと共にレティリエも手伝う。

 最初モルジアナはレティリエに仕事をさせる気などなかったのだが、レティリエの懇願に根負けした形で共にこなしていく。


「ねぇレティ、こんなことしなくてもいいんだよ」


「でも、この方が落ち着くから」


 見慣れない厨房でレティはじゃがいもの皮を剥きながら、モルに向けって微笑んだ。

 モルはやれやれという風に受け止めながら、鍋の底をぐるぐるとかきまわす。


「ねぇレティ」


「なに、モル」


「あんた、屋敷が怖い?」


「え?」


 金色の瞳がモルジアナの黒い真珠の様な瞳を見つめる。長く垂れたじゃがいもの皮の合間にナイフが落ち、絡まって、皮を千切って床へと沈んだ。


「あっ!! ご、ごめんなさい!」


「いいよ気にしないで、それより怪我は無い?」


「だっ、大丈夫、です」


 レティリエが皮とナイフを拾って溜水で汚れを落とすと、モルジアナが笑いだした。

 反応して耳がピンと直立し、レティリエは隣を覗く。


「アッハハハ、レティってば分かりやす過ぎ、そんな大袈裟に驚かれちゃったらそうですって言ってるもんよ」


 笑い声にレティリエは顔を赤くし俯かせ、芋の皮を剥く。

 モルジアナの笑声が収まると、細く穏やかな声で「わたしは」と隣から流れる。


「前までこの屋敷が嫌だったな、カシムっていう前の主人がとにかく横暴で金に汚くて、機嫌が悪い時はわたし達奴隷によくあたってたな〜……」


 まるで思い出を懐かしむような調子で語るモルジアナの横顔は、何かに吸い込まれるような魅力を持ち、不思議と聞き入った。

 鞭で叩かれたり、食事がクラッカー一枚と少量の水だったり、過酷で辛そうな話しを、まるで、友人と過ごした思い出の様に語る。

 レティリエは、時々マダムの屋敷で暮らしていた頃のような仕打ちが出る度に口をきつく結ぶ、レティリエにとって、金持ちの印象が固まった時期であり、人生で最も最悪な悪夢だったから。だから、胸のしこりが突かれるたびにレティリエは苦しい思いを顔には出さないよう心内こころうちで泣いた。

 狼の仲間から見放され、レティリエという人格を無下にされ、それを肯定され生きるよう命じられた日々。


 苦しくないはずがない、望んだはずがない、心の内側で何度も泣いて、何度運命を呪ったかは分からない。


 そう、屋敷の主はいつも自分ばかりしか見ない、外にいる人を見ない、それが……。辛かった。

 グレイルがいなければ、きっと私は私を殺していた。そう思える程に、辛かった。


「でもね、アリババ様は違った、わたしの話しや提案を真剣に聞いて、褒めてくださったんだ」


「……それは、なぜ」


「詳しくは言えないんだけど、突飛な提案を聞いて、実行したんだ。その日からかな、わたしがわたしになれたのは」


「え?」


 どういうことだろう。レティリエは目を丸くして話しの続きを聞いた。


「アリババ様って、元々は貧しい暮らしをしてたんだって、カシム様とは兄弟だったから、カシム様が死んでお金も地位も手に入れたの、普通なら、人間は富を手にした途端豹変するでしょ、でもね、アリババ様は違った」


「違った……」


 一体、何が違うのだろう、でも、答えなんて出てこない、根付いた根は太く、深い。


「モルは、アリババ様の事が好きなの」


「好き、かな……、だって」


 少年の様に笑ったモルジアナがレティリエを見据えて言った。


「人を見てくれるから」


 あなたもいる、そういう人。


 モルジアナが再び鍋の中身に視線を戻し、問いかける。

 レティリエは微笑んだ。

 いる、たった一人、小さな頃から私を私として見てくれた人が。


「誰、好きな人」


「また今度、教えるわね」


「えぇー……」


 モルジアナは聞き出そうと色々な言葉を並べたが、レティリエは話さなかった。

 だって、グレイルの話をしたらきっと、自分でも知らない恥ずかしい顔をしちゃうから。



 テーブルにたくさんの料理を並べ一通りの作業が終わった頃に外は暗く月が昇る。

 後の仕事は簡単なものばかりだから、レティは休んでて、とモルジアナが言うと、レティリエは小さく頷き屋敷の外を出た。

 外は暗く、朝の熱気はどこかにさり、代わりに身も凍りそうな寒さが訪れていた。


「こっちの月は、ちょっと変わってる」


 故郷から見た月とはどことなく違うのに気付くも、どこで見ても月があるということにレティリエは何となく安堵した。


「そもそも、何でこんなところに来たのかしら」


 あの本と関わりがあるのだろうか、でも、本を読んだから別の土地に訪れるなんて、そんな御伽話のような出来事、ありえるのだろうか……。


「……かしら、今の所どうですかい」


「なんの問題もない、アリババの野郎、盗まれた財宝の持ち主の顔も知らずに屋敷に招き入れてくれたよ、このまま寝静まったところを襲う、計画は順調だ」


 声を辿ってみて見ると、ロバが背負った油容器の中から男が顔を出し、もう一人の男に話しかけていた、ゆっくりと近づいて音に耳を澄ます。会話が終わったらしく誰かが歩く、厨舎の外に人影が現れ見られないようそっと覗くと……。


「あれは!」


 髭を蓄えた油商人だった。

 

 同様する心臓を何とか抑え、レティリエは向かわなければならないという強い使命感で油商人に会わないよう、裏口からこっそり屋敷に入る。


「レティ? どうしたの」


 紅茶を淹れてるモルジアナが目を丸くしてレティリエを見つめた。


「モル! 聞いて、あの油商人が持ってきた容器に悪い人間がいるの!」


 その言葉を聞いた彼女は真剣な表情で厨舎へと赴く、その際、レティリエは耳を使って周りを気にし、人に諭されないよう案内する。


「ここ、この容器……」


可能な限り小声でモルジアナに人が入った容器を示す。彼女はそっと容器に耳を当て、こっそり容器の口から中身を確認した。


「確かにいる、しかも、アリババ様が財宝を奪った40人の盗賊、これは危ないわね」


 モルジアナが深く考える素振りをする。ふと、気になったことを尋ねた。


「40人の盗賊なら、この容器全てに盗賊が潜んでいるの?」


「……待って、ねぇレティ……」


 こそこそと小声で言われた物を探し出す、狼になれない、けれど、レティリエは村の狼にも負けない聴力を持っていた。それで容器を聞き分けて、見つけた。


「これ……」


「どれどれ……」


 そこに入っていたのは、たっぷりと詰まった油だった。

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