御伽世界の狼事情
無頼 チャイ
千の夜と迷子の狼
「ここは……」
嗅ぎなれない匂い、聞き慣れない音、見知らぬ土地が瞼を開くのと同時に飛び込んだ。
立ち眩みの様な感覚は上体を起こすと共に、砂が溢れ落ちるかのように消えていく。
耳が意識から独立して周りの音を聞き入る。葉のこすれる音から金属のぶつかり合う音まで遠くから響いてくる。
「ここは、どこなんだ……」
黄金の瞳が、割れたステンドグラスのような土地と、白夜と暗夜が混ざり合う空を拝む。
ここはどこなんだ。村は、家は。
「はっ! レティリエ!?」
悲鳴に近い叫びが響く、人から狼へと姿を変えた青年から発せられる。
黒毛の狼は白肌の木や赤い花を流し目に確認して、見知らぬ土地をたくましい四肢を使って駆ける。
(どこなんだここは! 何故こんなところに……)
撫でゆく風の中で黒狼は思い返した。
新居に待つ愛する人に今日の獲物を届けた時の事だ。たまたま拾った人間の書物らしき本を持ち帰り、タイトルに興味を持ったレティと共に本を開いた、そして……。
(その先が思い出せない。レティとはどこではぐれたんだ、いや、それ以前に……)
脚を止め、目の前に天高くそびえる植物の蔦らしきものを見て、グレイルは歯噛みした。
(ここは、現実何だよな)
植物の近くに大量の水が水平線の先まで続いてるのを見て、グレイルの不安は更に重くなった。
□■□■□■
「ここは……」
肌寒さに眼を開ける。銀色に輝く髪を腰近くまで伸ばした娘は、高く設けられた窓の月明かりに誘われるようにして立ち上がり、じゃらりという音を聞いて身をきつく抱きしめた。
「これは……!」
じゃり、じゃらりと重りを繋いだ鉄の輪が細く華奢な白い脚首に嵌められていた。
鉄と夜の匂いに、思い返し難い記憶が閉ざされた扉をこじ開けて娘の頭を苦く浸透させた。
幼い少女のように肩を震わせ身を縮め、どことも分からぬ部屋の隅にうずくまった白銀の乙女。
砂の床に雫が数滴落ちては吸われていく。
「私はいつ捕まったの。グレイル、グレイル……」
「あなた、大丈夫」
「! 誰っ……」
闇から月光の前へ、優しく微笑む人間の女がゆっくりと歩み出てきた。
「ひっ……」
「大丈夫です、わたしはあなたに危害を加えない。ほら、私にも足枷があるでしょ。あなたと同じ」
丈の長い風変わりなドレスコートから脚を晒しだした、娘と同じ冷たい鉄の足枷が嵌められていた。
それを認めると、金色の瞳を布を被った女に向ける。
「あなたは?」
「モルジアナ。アリババ様に仕えてる奴隷」
「アリババさま?」
「この家の新しいご主人様。先代のご主人様は昨日死んでしまったの、知ってるでしょう」
ふるふると首を横に振ると、モルジアナと名乗った女はまじまじと見つめ、娘の足枷に繋がった重りを見て目を丸くした。
「可哀想に、まだこんな物を付けていたんだね。アリババ様から鍵を頂いてるからすぐに外すよ」
足枷から音が発せられると、脚が軽くなる。
「ありがとう、ございます」
「ううん、別に良いよ。それより教えて。あなたはどこから来たの?」
「えっ」
今度はこちらが目を丸くする。
女が微笑む。
「この国の伝統である布も被ってないし、先代のカシム様のことも知らないし、よそ者でしょ」
モルジアナが白銀の髪を優しく撫でつけると、喉奥に溜まった恐怖が細い息と共に吐き出されていく。
そうだ。愛する人が持ってきた獲物を捌き、朝食を食べ終わった頃、彼が持っていた人間の本に興味を持ってページを一緒に開いた。
その場所は、ここよりも暖かく、そこは、ここよりも美味しい空気に溢れていた。
隣に大切な人の体温があったことを思い出し、ようやく娘は瞳に光が灯る。
「ありがとうございます、モルジアナさん。遅れましたが、私はレティリエと言います」
「レティリエ、綺麗な名前だね。わたしのことはモルって言ってよ」
「そう、じゃあモル、私のこともレティって呼んで、親しい人にはそう呼ばれてるの」
くすっとお互い笑い合って、ようやくレティリエは胸を撫で下ろした。
レティリエはここに至る経緯をモルジアナに話し終えると、明日の朝、アリババという男に相談すると約束し、藁のベッドへ案内され、共に眠り落ちた。
■□■□■□
「レティ、どこだッ!」
バサッっと周囲の木に立ち止まっていた鳥達が一斉に羽ばたく。グレイルは滲む不安を赤い空を睨むことで緩和させ、己の直感を頼りに森を駆けた。
(匂いもデタラメで、日の浮き沈みもデタラメだ)
太陽の昇る方角と沈む方角、それに頼ることで位置を知ろうと何回が空を仰ぎ見るが、太陽は常に同じ位置で、沈む気配を見せない。、太陽の隣には月があり、薄っすらと星が見えていた。だから夕暮れだと思っていた、しかし、通りすがりに見た人間達の町は夕暮れだと言うのに、まるで朝が訪れたかのように活気を賑わせ仕事をしていた。
人間の小さな町や村は夜が訪れる前に家に帰ると聞いていたが、違うのか。
そんなことを思っていると、池の近くに人影を見かける。
さっと近くの茂みに隠れ様子を見て、グレイルはハッと目を見開いた。
狼だ。駆け寄って今すぐにでも地理を教えてもらいたかったが、他の村の狼であるため、問答無用で襲いかかられる心配もあったため、グレイルは狼の姿のまま慎重に近付いた。
そして、気付いた。
(狼の姿のまま、服を着ている!)
そいつは、狼の姿のまま人間のように服を羽織って、大の字で気持ちよさそうに眠っていた。
一つ気になったのは、狼の脚が真っ白なこと、灰色寄りの黒毛をした狼なので、脚だって黒毛のはず。
そこまで思い、空を見た。
「ここは、俺のいた土地の常識が何一つ当てはまらない。もしかしたら、ここの狼はああいう姿になるのが普通なのかもな」
人間のように着飾る狼。人に似た姿で服を着る習慣があるために、グレイルはそう噛み砕いて飲み込む。
先程の村同様に、ここの狼達にも独特な風習があるのだろう。
グレイルはそっと狼から視線を外して前を見る、と……。
「うおっ!?」
「ヒホホ、これはこれは狼さん。大きな口を開けちゃって、オレっちを食べるつもりかい?」
視界いっぱいにカボチャが埋め尽くされ、驚いて後方へ飛び退くと、グレイルは狼の姿のまま牙を剥き出してカボチャに唸った。
「いつの間に近付いた」
「フヒヒ、オレっちは最初からあんたの側にいたぜ。熱烈な視線をあの狼に送ってるところもバッチリな、ヒホ!」
唯一肌が覗く口元がニイッと開かれ、高い笑い声が発せられる。
気味が悪い。
「お前、何者だ」
「見ての通り、可愛くってクールなカボチャだぜ」
よっと掛け声と共に飛ぶと、地上から離れたカボチャ人間はそのまま宙に停止した。
驚きが喉元を通過するも、カボチャ人間は身体を横にして胡座をかく。
「俺は今急いでいるんだ。邪魔するなら容赦はしない」
「レティって子を探してるんだろ」
「なっ、何故知ってる!?」
「言ったろ、最初から側にいたって。まあオレちゃんを散々無視してくれたのは深くハートを痛めたが、オレっち気にしない! な、優しいカボチャ様だろ! ヒッホホ!」
嘲るような笑い声にグレイルは立ち眩みにも似た感覚を覚え、この変なカボチャ頭がただからかいたいだけなのだと結論つけると黙ってカボチャの横を通り過ぎた。
「ちょ、待てって狼の旦那。オレっちはこう見えて親切何だぜ、話聞いてけよ」
「改めて言う、俺は今急いでいるんだ。遊んでる暇は無い」
ほう、とカボチャがニヤリと笑う。
「じゃ、オレちゃんが白い狼の居場所を知ってたら、構う余裕くらいは出来る、ってことだな」
今度こそ、グレイルは立ち止まった。踵を返し人の姿になりながらカボチャの両肩を掴む。
「レティを知ってるのか! どこだ、どこにいるんだ!」
「まあまあ落ち着けって狼の旦那。あんた名前は何て言うんだい」
「グレイルだ。言ったぞ、居場所を教えてくれ!」
「ヒホホ! まあそう急ぐなって、オレっちこう見えて案内するのは得意でね。力になってやるよ」
ただ、とカボチャは両の肩に乗った手を払って寝そべる狼に顔を向け、陽気な声を露骨な程悲しく下げて語りだした。
「でもこのカボチャ頭、案内したくても出来ないんだぜ、あそこの狼を見張ってなきゃ行けなくてな。グレグレの頼みに応えたいが、あの狼から目を離す訳にもいかなくてな〜、ヒホホ……」
「何をすればいい」
「ヒホ! その言葉を待ってたぜ!」
仰々しく両手を上げると、筋肉質な右手を握ってカボチャはそっと囁いた。
「この先に山羊の家がある。そこに隠れてる子山羊を見つけ出して家の近くで待機してる母山羊のところへ連れて行ってくれ」
「分かった、終わったらすぐに戻ってくる」
気になる言い回しだったが、今は急がなくてはならない。
黒毛の狼に変身して大振りに手を振るカボチャを流し目に確認して、指された方角に駆けていった。
□■□■□■
「うん、ぴったり」
「そ、そうですか」
「うん。可愛げの無い服だったけど、あなたが着ると可愛いね」
モルジアナが額の汗を手の甲で拭って爽やかに笑う。
レティリエは翡翠の様な色の布を纏い、赤らめた顔をフードを深く被って隠している。
元々頭まで被る服だからか、狼の特徴である耳や尻尾があまり目立たず、遠目から見れば人間と変わらない。
レティリエは、ポンポンと頭を優しく撫でられる度に顔を隠した。
「あ、あの、モル。服も着たしそろそろ向かわない」
「あ、そうだった。可愛くって忘れてた」
モルが申し訳無さそうに微笑むと、付いてきてと言ってレティリエを案内する。
外に出るとギラギラと日光が差して、少し遠い所から賑わいの声が聞こえてくる。
森とは対称的に暑く、空気も熱を帯びている。
ここの人達はなぜここに住んでいるのだろう。活気ある声が聞こえるたびにレティリエはそう思わずにはいられない。
耳で押し上げられた布を被り直して、目の前にある大きな屋敷へ向かう。
モルジアナが「アリババ様、お客様を連れて参りました」と言って共に屋敷へ入る。
中はとても涼しかった。茶色い各砂糖のような表面の壁には窓があり、風だけを通して熱を遮っているのだろう。
と、そこまで考えていると、ゆるい曲線を描いた階段をゆったりと上り、大きく長い椅子とテーブルが目に映る。
「やあ、待ってたよレティリエさん。さあ座って」
男が立ち上がり、力強くも優しい声音で手前の椅子を勧める。
レティリエは、人間のマナーに従い椅子の前に立ち、深くお辞儀をしてから座った。
「初めまして、俺はこの屋敷の主、アリババだ」
「初めまして、私は遠くの森からやって参りました、レティリエと申します。以後お見知りおきを」
「ハハッ! 良く出来たお嬢さんだ! いや悪いな、礼儀作法は最近になって学んでるんだけど難しくって、レティリエさんも砕けて話していいから、ゆっくりしてくれ」
「は、はい」
変わった人だった。レティリエの記憶では屋敷に住むものは金持ちで上品な人ばかりだったから、変わった帽子を被り、眩しい装飾がされた服を着ている点では同じだったけれど、座り方や話し方はまるで子供のようだった。
「モルから話しは聞いてる。いつの間にかモル達の寄宿に紛れ込んだんだろ。すまねぇことをした。ちょっとバタバタしててさ」
「お忙しい中時間を割いてくださってありがとうございます」
「ハッハッハ! 難しい言葉を知ってるな! とりあえず美味い茶でも飲んでくれよ。それから、俺もレティリエさんが帰れるように協力する」
「え?」
「ん? どうした?」
「いえ、その……」
屈託の無い笑い声は優しく、金持ちの愛想笑いとは明らかに違っていた。それだけだと思っていた。
けどアリババは、レティリエに何かを要求するでもなく帰る手助けをすると言い、まるで、同じ人間を相手に扱ってるように見えた。
「あの、アリババ様は私が狼なのをご存知なのですか」
「あー知ってる。美しい狼だって」
「いえ、その……珍しいとは、思わないんですか」
「珍しい? そりゃ狼の客人は珍しいけど」
もどかしさと恐ろしさが胸中に入り交じる。レティリエは一度手をきつく握り、黄金の瞳をアリババに向けた。
「私を囚えて、このまま売ったり、しないんですか」
か細い声に力いっぱいの想いを乗せて、レティリエは油断なく周りを警戒しながらアリババの答えを待った。
大きな屋敷を持つ人ほど恐ろしい、それはマダムから学んだ。まるで、人の欲望が住む家を肥大させていくのかと。
だから、レティリエはハッキリさせたかった。アリババという男の正体。
そして、アリババは……。
「あっはっは!」
「え?」
「何があったのか分からないけど、そう怖い顔しなくてもいい。客人をとっ捕まえて売り飛ばすなんてことは絶対にしないさ」
「……失礼なことを聞きました」
「何かあったんだろ。俺も、散々な思いをしてきた。だから、そんな眼をする気持ちは何となくわかる。まあ信じろとは言わないけどさ。誓うよ、あんたを無事に故郷に帰すって」
トントン。下の階から音が響く、アリババとレティリエはその音で話しを中断する。
モルジアナが階段を降りて扉をゆっくりと開けた。
「やあお嬢さん、ここはアリババ様の御宅で?」
「はい、あの、誰でしょうか」
これは失礼とニヤニヤ笑いながら男が名乗った。
「私はただの油商人ですよ」
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