第51話 沃土

 昼食休憩が始まった頃、校門を潜る両親の車が教室の窓から見えた。高級車を見て、児童たちは大騒ぎをし始めた。

 その騒ぎに肩身を狭くしながら、私は一緒にいた今村とブギに伝えた。


「そろそろだ」


 2人は名残惜しそうに私を見て、揃って別れの言葉を口にした。


「寂しくなるな」とブギ。

「手紙を出せよ」と今村。


 私は胸が締め付けられるような気持ちで2人に告げた。

「ブギと今村のことはずっと忘れない」


「大先、ちょっとさ……」

 今村が何か言いかけたとき、ちょうど担任から指示があった。


「五條、ご両親がいらした。速やかに校長室へ行きなさい」


 今村は物言いたげに黙り込んだ。その様子は、いつかの夕暮れ時と似ていた。


 帰り支度をして席を立つと、ブギが目を潤ませながら右手を差し出して来た。アメリカ式の別れの挨拶かと思ったら、ブギは首を振った。


「餞別をくれよ」


 盛大にズッコケた。餞別を渡すのは本来そっち側じゃないか。抜けているようで抜け目なく、抜け目ないようでやっぱり抜けている、それがブギだ。私は苦笑して財布を取り出した。


 財布を開くと、中に見慣れない小さな白い封筒が入っていた。開けてみようとしたとき、担任に急かされた。


「のろいぞ。ご両親と校長先生をお待たせするな」


 私は急いで100円札をそれぞれ2人に掴ませた。


「元気でな、拾い食いするなよ」


 教室を出るとき、今村の切ない眼差しに気づかないふりをした。後ろ髪を引かれる思いだが、もうここに戻ることもない。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 校長室を出たあと、私は父の車の後部座席に乗り込んで財布を開いた。


 実は、校長室で両親たちが話している退屈な時間に閃いたことがあった。封筒は敬介が入れたのではないか。そう思ったのだ。1秒でも早く中身を確認したかった。


 封筒の中から、1枚の紙切れと共に、何と金貨が3枚出てきたのだ。金貨には「福」という文字が刻印されている。


 紙切れには小さくこう書かれていた。


「妹、無事。森ノ主ヨリ旅ノ分ケ前ヲ贈ル。皆達者デ 鷹取」


 敬介が今どこでどう暮らしているのかといった情報は無かった。簡潔だが、私たちにだけ分かるように書かれている。


 私は「便所に行く」と見え透いた嘘をついて車を飛び出し、木造校舎へ走った。便所のある離れとは逆方向だ。


 校舎の周囲を走り、もう戻らないと思ったはずの教室の窓を思い切り叩いた。

 

 今村が、誰よりも早くすっ飛んで来て窓を開けた。


「大先、どうしたんだよ?」

「敬介だ。今朝、敬介が来たって言っただろ。分け前を持って来たんだ」


 遅れて顔を出したブギとともに、今村は私の手の中にある金貨を見て驚愕した。私は手短に説明した。


「矢田部さんは『本物の金を見たくないか?』と言ってた。きっとこれのことだったんだ。敬介を通して僕たちにくれたんだ。今は詳しいことを話す時間が無いけど、とにかくこれが、あの旅の成果だ。ひとり1枚、受け取れよ」


 私は金貨を2人に1枚ずつ渡した。ブギが感激して叫んだ。


「本当にお宝はあったんだ! そうか、恩人の息子と引き合わせたお礼か!」


 すかさず今村がブギの口を塞いだ。

「静かにしろ。見つかったら没収されるぞ」


 2人がポケットに金貨を隠すのを確認した直後、私は再び別れを告げた。

「じゃあ、今度こそ本当に行くから」


「また餞別をくれに戻ってもいいんだぜ」

 と、ブギが茶化して来た。


「ごめんだな」

 私は笑い、踵を返そうとした。


 そのとき、教室の中から今村の腕が伸びてきて、私の肩を掴んだ。見上げると、思い詰めた瞳で私を見つめている。


「……史人」


 今村が初めて私の名前を口にした。彼女は私の目を見つめたまま、ハッキリと言った。


「史人、好き。大好き」


 高揚感と残酷な別れに、胸が張り裂けそうになる。


「僕も好きだ」


 次の瞬間、今村が美しい瞳を閉じた。腰を折って窓越しに顔を近づけたかと思うと、私の唇に自分の唇を重ねた。私は、突然訪れた生まれて初めての接吻に、驚いて息が出来なかった。


 今村は私から唇を離すと、はにかんで微笑んだ。


 ブギはポカンと口を開けていたが、教室中が私たちを冷やかす奇声で溢れ、口笛が吹き荒れた。


 そのとき、背後から母の溜息が聞こえ、私は飛び上がって驚いた。いつからいたのだろう。母は呆れ果てた様子でこう呟いた。


「まったく、下町の子たちはませてるわ」



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



「本当にびっくりしましたわ。史人ったら窓を乱暴に叩いて、また窓ガラスを壊すのかと思ったもの。そうしたらまさか口吸いするなんて。公衆の面前で、なんてはしたないの。そもそもまだ子供なのに……」


 10分後、私は父の運転する車に揺られていた。今村とのキスのことを、母は絶え間なく父に愚痴っていた。母がこうなると、何を言っても火に油だと経験で知っている。


 何を言われようと耐えられるのは、少しも後悔していないからだ。



 車が八百屋の角を曲がり、あの駄菓子屋の前を通り過ぎたとき、私は幻影を見た。


 そこには私がいた。私がいて、3人の仲間がいた。蝉の鳴く暑い日だった。あの冷やし飴を4人で飲むことは、もう2度と無いだろう。いつかまた戻って来たとき、あの駄菓子屋は私を待っていてくれるだろうか。


 急に胸がキュッと締め付けられ、喉が詰まる感覚を覚えた。


 自由と冒険を求めて飛び出した、長くも短い旅だった。匠、今村、ブギ。彼らは私にとって、心安らげる唯一の故郷だった。私は確かにそこにいた。


 車は揺れながら、居心地の悪かった山手の家へと進んで行く。

 無邪気でいられた時代が終わっても、4人で過ごした日々を沃土としていくのだと心に誓った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る