第14章 時は流れ

第52話 そのあと

 ――1977年、夏。

 

 私たちは雑司ヶ谷ぞうしがや霊園の石段前でタクシーを降りた。今村は、寄り道した花屋で購入した向日葵ひまわりを抱えていた。故人の好きだった花だ。

 遥か上へと伸びる石段のふもとで、白髪混じりの男に声を掛けられた。


「琴ちゃん、大きくなったなぁ。……出られたんだな。良かった良かった。おじさんを覚えてるかい? 」


 立っていたのは矢田部勲だ。勤め人ならば退職する年だが、町工場を立ち上げて地道にやってきた彼は、まだまだ現役だ。


「ご無沙汰してます。愛香のこと、ありがとうございます」


 今村は懐かしそうに、朗らかに答えた。勲は目を細めてこう続けた。


「出所してすぐに会いに来てくれたなんてなぁ……アイツも喜ぶよ。さぁ、一緒に行こう。史人、これ持ってくれるかい?」


 老齢の勲は手荷物を私に差し出した。それを受け取り、私は答えた。


「いいですよ、お義父とうさん」




 私たちは昔話に花を咲かせながら、霊園の石段を登った。不摂生をして足を悪くした義父を気遣いながら、ゆっくりと登って行く。


「琴ちゃん、大変だったなぁ。随分と苦労したんだってな。親父さんが亡くなったの、ありゃ何歳のときだって言ってたか?」


「18です」


「その前からひとりで親父さんを養っていたんだって? 頭が下がるなぁ」


 私は「お義父さん」と彼を咎めた。今村はそんな話をしたくないだろう。


 そのとき、愛香が急に石段を駆け上がった。少女は遥か上の方で立ち止まると、振り返って母を呼んだ。


「お母さ〜ん!」


 今村は勲に会釈し、愛香を追いかけて駆け上がって行く。



 義父は「アチャー」と頭を叩いた。

「こりゃいかん。年寄りになるとどうも遠慮を忘れる」


「愛香に助けられましたね。ところで大丈夫ですか? この石段は結構キツいですが」


 ただでさえ、強烈な日射がジリジリと体から水分を奪っていた。


「まだそこまで老いちゃいないよ」


 勲は、えっちらおっちらと石段を登りながら呟いた。


「敬介のやつ、悔しがってるだろうな。最後まで弁護してやれなくてさ」


 私は無言で石段を登った。




 連絡があったのは、つい5日前のことだ。交通事故だった。彼は老婆を助けるためにトラックの前に飛び出したという。あろうことか、その老婆は敬介の命を狙っていた。出刃包丁を片手に、敬介めがけて公道へ飛び出したそうだ。気が付いた敬介は迷わず老婆を突き飛ばし、自らトラックに轢かれたという。


 この老婆はすぐに捕まった。名は鎌畑スミ。今村に殺害された鎌畑正蔵の母親だった。彼女は正蔵による琴への暴力を過看していただけでなく、金銭面で正蔵とともに琴を苦しめていた。


 彼女は息子を盲信しており、「琴はアバズレで不倫三昧」という正蔵の言葉を間に受けていた。そして、「嫁は弁護士と共謀して息子を殺した」という物語を脳内に作り上げていたそうだ。




「でも敬介、きっとこの判決に狂喜しますよ。ほとんどアイツが勝ち取ったようなものですからね」


 私の言葉に、勲は汗を拭って頷いた。私も汗を拭った。

 石段が、まるで日の光を反射して光っているようだ。


 今村と愛香が石段のてっぺんに到着した。2人は、2輪の向日葵のような笑顔で私たちに手を振っている。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



――1949年、秋


 私の戦いの第2幕は、山手に戻ってすぐに始まった。両親は親切に私の話を聞くふりをしたが、私にとっては糠に釘だった。愚息の訴えで彼らが決定を翻すことは、まずなかった。


 私は施設に手紙を出すことを禁じられた。こっそり切手代を工面して投函していたが、今村やブギから返事が来ることは無かった。後で聞いたところによると、母が私宛の手紙を検閲して捨てていたそうだ。


 私は落ちこぼれだったが、立場は腐っても良家子息だった。母はきっと、思春期を迎えていく息子に、社会の底辺とも言える孤児たちとの関わりを絶たせたかったのだろう。彼女の目論見は功を奏し、私は徐々に昔の仲間と連絡を取ることを諦めていった。


 懐かしい記憶が薄れて行く中でもたった1つ、漫画を描くことだけは辞めなかった。いつか漫画で身を立てるという誓いは、消えない炎のように私の心の中に燻り続けた。そして、そのためなら何度でも雲をつかむように、両親に挑むことができた。


 

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 19歳の春、私は都内の大学の2回生になったばかりだった。


 遡ること約2年、高校3年の春、私の希望と両親の思惑は激しくぶつかった。エスカレーター式で良家の大学に入れたい両親を、私は必死に説得した。その末に「家から通える国立大学なら」という条件が出たため、寝食を惜しんで勉強に身を入れることになった。芸術系に進むことは許されなかったが、少しでも自由に、外の世界を見てみたかった。


 何とか都内の国立大学に滑り込んだ私は、勝利を噛み締めながら学生生活を楽しんでいた。といっても、実際のところはほとんど勉強と漫画創作しかしていなかった。それでも大学内の自由な空気を肌で感じ、伸び伸びとした気分になれた。


 講義には欠かさず出席していたため、よく友人に代返を頼まれた。


 代返とは、講義の出席確認の点呼の際、欠席者の代わりに返事をしてやる不正行為だ。100人以上が出席する教養科目などでは、ほぼバレない。


 今もそうかもしれないが、「独学が講義に勝る」と信じている学生が、当時も多く存在した。彼らは狭い下宿で夜通し学問のことを語り明かし、講義の時間を睡眠に充てた。

 特に彼らは教養科目を軽視する傾向にあり、単位のために適当な人間を見つけては代返を頼むのだ。選ばれるのは大抵、私のような野暮で人畜無害な者だった。


 その春の最初の語学の講義で、私の3つ前に座っている3回生の男が、何度も代返していていた。私はそれに違和感を覚えた。後ろ姿しか見えなかったが、彼が野暮な見た目では無かったからだ。


 当時『慎太郎刈り』として大流行していたスポーツ刈りの形の良い頭に、流行が始まったばかりのジーパンスタイル。背は高く、どこか凛凛とした風情。どちらかと言うと「利用される」より「利用する」側にいる人間に見えた。


 私もいくつか、自分以外の名前を呼ばれて返事をしていた。そして、「五條史人」と呼ばれて返事をしたとき、不意にその男が私の方を振り返った。


 時が止まったようだった。


「……敬介?」

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