第42話 温かい家族

 義一が死んだとき、匠はやっと目を覚まし、自分の犯罪と向き合った。

 義一は十兵衛から拳銃を渡され、敵対勢力の幹部暗殺を命じられたのだ。


「これは十兵衛兄ィからの信頼の証なんだ。戻ったらオレ、正式に兄ィの弟分にしてもらえるってさ」


 拳銃を仲間に見せびらかし、義一は嬉しそうに自慢していたという。そして出掛けて行き、2度と帰ってこなかった。警察で、無縁仏として処理されたと聞いた。


 匠は十兵衛に訴えた。「もうこんな事はしたくない」と。十兵衛は匠に気持ちを切り替えるよう言い含め、終いには泣き落としにかかった。それでも匠は頑としてかぶりを振った。


 すると十兵衛は豹変した。


「折角の才能をドブに棄てるなら、玉を磨くのに使った金を全部返してくれないか。食事代、服代、煙草代……そうだ、これまでの家賃だって、もらって当然だよなぁ。汚ねぇ浮浪児を拾って世話してやった見返りがそれとは、情けねぇ。返せねぇなら臓器を売れ。麻酔なんて甘ちゃんなことは言わねぇよな? 麻酔代だって高くつくんだからな。いいか? それが落とし前、それが男ってもんだろう」


 怖気づいて謝る匠に、十兵衛はある任務を命じた。敵対勢力の事務所に火を放つという危険なものだった。それで忠誠を示せ、ということだ。


 その晩、匠は気を病んで下痢をした。

 頭に「自殺」の2文字がよぎったそのとき、また刈り込みが始まった。匠は抵抗せずに捕まったそうだ。 



 ここまで匠の話を聴いてきて、私には十兵衛という男のことが少しだけわかってきた。十兵衛は強い大人のくせに、少年の匠に献身を求めている。すると、やはり夕方の匠の言葉には違和感を感じざるを得ない。


「戻って来るように説得されただけだって言ったよな。本当にそれだけだったのか?」


 口籠る匠を見て、それが答えだと悟る。言いたくないなら仕方がない。そう思ったとき、匠がポツリと語った。。


「ただの浮浪児をわざわざ追いかけてまで説得しないってさ。オレが優秀で、特別に大切で、家族だからって」


 匠は暗い顔で続けた。


「途中まではそんな甘言を垂れてた。頭を撫でられたときには、昔を思い出したりもしたよ。でもオレが態度をハッキリさせなかったら、向こうも段々イライラしてきた。それでとうとう『今ここで海に沈めることもできる』と脅してきた。『ああ、やっぱりそう来るか』と思ったよ。いつものことだ」


 強がっているが、匠は微かに震えていた。相当怖かったのだろう。彼はさらに続けた。


「百合子を思えば死ぬわけにはいかないし、ここでくだれば自分の心を無碍むげにする。オレにはどっちも選べなかった。だからあの人に頼んだんだ。『指を詰めてください』って。」


 私はつい、匠の指を確認した。10本揃っている。それに気がついた匠は、「ハハッ、ちゃんとついてるぜ」と笑い、両手の指をパラパラと動かして見せた。


 指を詰めてくれと懇願した匠に、十兵衛はこう言ったそうだ。


「オマエの覚悟を気に入った。それでこそ匠、オレが名付け親になった男だ。立派になったもんだ。オマエが困ったら、いつでも駆けつけてやる。道は違っても、オレたちは家族だ」



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 私は確認した。


「それで気を許して、十兵衛の言葉に甘えて送ってもらった訳か」


 匠はすっかり項垂うなだれて頭を抱えていた。


「さっき居間で史人さ、オレに『愚か』って言っただろ。本当にそう思うよ。オレは感情任せに動いて、正しい判断が出来なくなるときがある。……これを聞いて笑えよ。それでもまだ、あの人を、信じたいんだ。家族だって言ってくれた」


 私にはもう匠を責められなかった。


 温かい家族。心安らげる場所。


 匠が喉から手が出るほど欲しいものを、十兵衛は簡単に与え、容易く奪う。仏と鬼、両方の顔を持つ男に翻弄される親友を、どうして責められるだろうか。


「キミはもう十分罰を受けたさ。これ以上自分を苦しめなくていい。十兵衛を信じようとすることは、確実にキミを蝕んでいく。もう辞めるんだ。矢田部さんやリリーさんを信じろ」


「あの人たちを信用できるか分からない。怖いんだ。もう裏切られたくない。踏み付けにされるのは金輪際ごめんだ」


 匠の頑なな態度の原因は複雑だったが、その言葉が最も核心をついているような気がした。私たちは、まだ簡単に騙される年頃だった。


 掛ける言葉を見つけられず、私は天を仰いだ。

 こぼれ落ちそうな星空が、私たちの座る出窓の向こうに広がっていた。

 2つ、3つ、流れ星が頭上を通り過ぎていく。


 語る言葉が尽きた後も、私たちはそこに座り続けた。

 匠がどんな選択をするかは分からない。

 ただ今は、そばにいればいい。出来ることはそれだけだから。



*****



 それからどのくらいの時間が過ぎただろうか。下弦の月はもう真上に来ていた。うっすら見える時計の針は、午前3時を指している。昨日もろくに眠れていないし、流石に眠くなってきた。


 匠は延々と考え事に没頭している。

 私はいつの間にか眠気に襲われて船を漕ぎ始めた。

 深刻な顔をしていた匠が、可笑しそうに私を見て言った。


「戻って寝ろよ」


「いや、これからはもう匠とは呼ばない。その名はもう必要ないだろ。……これからはお天道様の下を堂々と歩くんだ。どこまでもね。……君の両親は君に『百合子』という最大の遺産を残した。だから……」


 私は寝ぼけていた。寝ぼけた頭で持論を振り回そうとする私を、匠はニヤついて見ている。

 その後の記憶はない。


 その夜、私はまた兄と従姉の夢を見た。

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