第43話 木の葉の命

「史人」


 そこは桜舞う丘だった。淡色の空の下に雲雀ひばりが鳴いている。振り向けば、枝垂しだれ桜の下で、兄とユキさんが手を振っていた。


 驚いて言葉を失っている私に、兄とユキさんは言う。


「結婚式のとき、ありがとうな。オマエがあんなに泣いて喜んでくれるなんてなぁ」


「幸せな私たちを、これからもずっと見ていてね」


 2人の結婚式の記憶は無かった。いつ結婚したのだろう。でも2人によると、そこに私はいたらしい。それなら、もしかしたらいたのかも知れない。そうだ、いたような気がしてきた。


 私は急に幸福感で満たされた。


「2人ともおめでとう。これからはずっと一緒だ」


 すると、兄は菩薩のような微笑みを私に向けた。そして、私の頭に手を置いてこう言った。


「黄金の骸骨を見つけるんだ。そこで待っているよ」


 2人は私に背を向けて歩き出した。そのとき私は、これが夢だと気が付いた。何度も見た夢を、また見ている。決して追いつけない夢。


 それでも。


 私はやはり、いつものように駆け出し、叫ぶ。


「待ってよ! 僕も行く! そばにいてよ!」


 いくら走っても縮まらない距離。私は息を切らして、それでも走ることをやめられない。追いつきたい。また笑って、また頭を撫でてほしい。


「兄さん! ユキさん!」



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 目を開くと、日はとっくに高く上がっていた。寝室には誰もいない。出窓のガラスが開いていて、吹き込む柔らかい風が部屋の空気を清涼に包んでいた。


 私は少しの間、静かな絶望感に浸った。でも、兄やユキさんの夢を見るのにはもう慣れっこだ。ゆっくりと息を吐き、身体を起こした。


 時計を見ると、午前10時半を回っている。ひどい寝坊だ。そういえば、ここは今村とブギが寝ていたはずのベッドの上だ。どうしてここに寝ていたのか、検討もつかない。


 寝室から出ると、すぐに居間が広がる。掃除をしていたリリーが振り向き、笑顔で声をかけてきた。


「起キタノネ。モウスグオ昼、デモ、何カ少シ、食ベマスカ?」


「あ、はい」


 寝坊しておいて我ながら卑しいが、リリーの食事の魅力には勝てなかった。


 

 リリーは、小さなパンケーキを焼いて果物とミルクをつけてくれた。私は柔らかいパンケーキを頬張りながら、リリーに訊ねた。


「みんなはどこにいるんですか?」


「ミンナ、勲サント一緒、薪割リ、手伝ッテクレテイマス」


 私はリリーに言われた通り、家を出て裏に回った。自転車はそのまま残されており、オート三輪が消えている。


 昨日、勲が森から出てきた場所に小道があった。小道を少し行くと、すぐに開けた場所に出た。ほったて小屋があり、その外に4人はいた。


 ちょうど休憩中だった。勲と今村とブギは、倒された大木をベンチにして何やら談笑している。


「お、寝坊助のお出ましだ」

 と、勲が私に声を掛けた。


「もうほとんど終わっちまったよ。あとはそいつに乗せて運ぶだけだ」


 勲が指さした方向を見ると、少し離れた場所にポツンとオート3輪が停まっている。荷台から、灰色のズボンを履いた足がはみ出ている。匠が荷台に横たわっているのだ。


「え、倒れたんですか?」

「いや、自分から乗ったよ」


 それは妙だと思った。会話を避けて1人になるなんて、いつもの匠ではない。今村とブギを見ると、2人も肩をすくめた。


 私は荷台によじ登ってみた。

 匠は目を閉じて、ゆっくりと呼吸している。眠っているのか、勲を避けて寝たふりしているのか、判別がつかなかった。

 昨夜、うっかり寝入ってしまったことを怒っているだろうか。


 声をかけようか迷ったが、匠がここ2日ほとんど寝ていないことを思い出し、そのままにすることにした。


 荷台を降りようと立ち上がったとき、匠の大きな目がパチッと開いた。匠は私を見ると、横たわったまま「何だ、史人か」と言った。


「ごめん、起こしちゃった」

「いいよ、別に」


 匠は相変わらず寝転がったままだが、再び寝入る気はなさそうだ。私は昨夜のことを謝った。


「昨日、ごめん」

「何が?」


 匠はポカンとして私を見た。どうやら怒っていないらしい。


「話の途中で勝手に寝ちゃってさ。最後の方、寝ぼけておかしなことを言った気がする」


 匠は「ああ」と、ニヤッと笑った。


「寝ぼけた史人はなかなか見ものだったぞ。聞き取りにくかったけど、色々と面白いことを口走ってたな」


「え……。僕、何を言ってた?」

「さあな」


 匠は可笑しそうに吹き出した。私は恥ずかしくなって慌てた。


「ちょっと待てよ、教えろよ」

「嫌だね」


 匠は、楽しくて仕方ないという風に笑った。


 次の一瞬、急に強い風が吹いた。四方八方の木の葉をザワザワと鳴らし、腐葉土を巻き上げた。

 暴風に引きちぎられた1枚の木の葉が、腐葉土とともに宙を舞った。そしてヒラヒラと、横になる匠の腹の上に着地した。匠はその葉を拾い上げて眺めながら「なぁ」と言った。


「オレの知ってる命は、みんなこんなもんだった。少しずつ虫にかじられて、風が吹けば飛ぶんだ。誰だって同じだ」


 私は言葉に詰まった。脳裏に浮かぶのは、あの夜のユキさん。火災旋風に吹き飛ばされていく。私がそうならなかったのは、運でしかない。

 匠は誰を思い浮かべているだろうか。両親か、それとも過去の浮浪児仲間たちか。

 私は声を振り絞った。


「でも……価値がある。唯一無二の」


 匠は燃えるような瞳で私を見た。そして囁くような小声で「ああ」と答えた。



 そのとき、勲が「さてと」と立ち上がった。


「おい、そこの甘いマスクの2人、薪をそこに乗せるから、手伝え」


 誰のことかと思ったが、匠と私のことだった。今村とブギに「甘いマスクだってよ」と冷やかされて、私は気分を害した。

 出来るだけ声を低くして「甘くない」と言い返したが、それがさらに爆笑を呼んでしまった。

 私は腹を立てたが、隣で苦笑している匠に免じて許してやることにした。


 

 私たちは、協力して薪をトラックに全て乗せ、丸太小屋へ帰って行った。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る