第11章 最終目的地へ

第44話 湖上に揺れる骸骨

 サンドイッチの昼食を済ませた後、私たちは掃除や夕食の下拵えを手伝って過ごした。リリーはそれを求めなかったが、することが無かったからだ。


 匠は相変わらず矢田部夫妻を避けていたが、それ以外はいつも通りだった。


 今村がリリーに教わり、慣れない手つきでパイ生地を潰しながら私に耳打ちしてきた。


「なぁ、しばらくここに暮らすってのも悪くないんじゃないか? アタシら、恩人の息子の友達だよ。居座れるだけ居座ろうよ」


 私は、黙々とオーブンの掃除をこなしている匠の後ろ頭をぼんやりと見つめた。

 


✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 夕方、勲はオート三輪でどこかへ出掛け、すぐに帰ってきた。そして私たちに声を掛けた。


「オマエら、お目当ての骸骨を見に行こうぜ」


 オート三輪の荷台には、いつの間にか板の囲いが取り付けられていた。私たちが安全に乗れるよう、勲が改造したのだろう。窮屈ではあるが、乗れないことはない。私たちは荷台に飛び乗り、冷んやりとした森を進んだ。


 しばらく走った後、唐突にそれは現れた。


 湖だ。


 森に囲まれて夕陽の届かない、暗い湖だった。


「そろそろだな」と勲が言った途端、隠れていた太陽が木々の隙間から顔を出し、辺り一帯を夕焼けに染めた。暗かった湖はあっという間に光り輝き、燃えるオレンジ色の夕日を鏡のように映し出した。


 そのとき、ブギが湖の中心近くのある一点を指差して叫んだ。


「見て! あれ!」


 私たちはブギの指さす方向を見て、息を呑んだ。



 それは、私たちが探し求めていたものだった。



 夕日に照らされて金色に輝く骸骨が、湖の上に立っている。骸骨は、ゆらめきながらこちらを見ている。まるで踊っているようだ。


 その光景は、不謹慎かもしれないが、美しかった。

 大自然の美や、それへの畏怖を象徴しているかのようなその骸骨は、心に何かを訴えかけているようだった。私はつい見惚れてしまった。


 勲が湖の岸辺を歩き始めた。その先には小舟がつけてある。それを見た匠が、指令を出した。


「アレで近付こう。絶対に捕まえるぞ!」


 走り出した匠の後を追い、今村、ブギ、私も小舟へと急いだ。

 私の脳裏に、今朝の夢が蘇った。もうすぐ2人に会える。そんな予感がした。


 4人で小舟に乗り込み、錨を上げようとしたとき、勲が「どれ、オレも行こう」と乗り込んで来た。


 匠が櫂を器用に操り、骸骨の方へ近づいて行く。小舟はどんどん岸から遠ざかり、湖の中心へ向かって行く。




 ところが、ある地点まで小舟を漕いで来たとき、骸骨は忽然と姿を消したのだ。私たちは混乱した。


 ブギが腰を抜かして言った。


「消えた……今、消えだぞ。……なんで……オレたちが捕まえようとしてるのがバレたのかな?」


「バ、バカ言え」と今村。

「でもさ、アタシしっかり見てたけど、水に沈んだようには見えなかったよな?」


 今村の問いかけに、私たち3人は頷いた。ブギは恐怖で今村の肩をガシッと掴み、隠れるように震えている。


「もしかして……もしかして、この舟、危ないんじゃないか? あの骸骨が海坊主みたいに柄杓ひしゃくで水を入れに来るかも……」


 私たちは4人ともすっかり怯え、小舟の周囲の水面を確認した。勲だけが、そんな私たちの様子を面白そうに眺めている。

 有難いことに、海坊主のようなものは見当たらなかった。


 いつまでも騒いでいるブギを、匠が「ちょっと静かに」と黙らせた。

 そして「とりあえず、骸骨が立っていた場所まで行ってみようぜ」と提案した。


 今村も私も、それに賛成だった。今村は気色ばみ、


「生意気な骨野郎め、女傑麗人今村様が目にものを見せてくれる! オルレアンの乙女、いざ出撃!」

 と大張り切りだ。


「オルレアンの乙女」が追加されたのは、ついさっきリリーから聞いてその存在を知ったからだ。「アナタ、ジャンヌ・ダルク、ミタイネ。勇マシイデス」と言われていた。


 怖がるブギを宥めすかし、私たちは再び舟を進めた。

 しかし、次の瞬間、辺りが急に暗くなってしまった。日没だ。


 もうすぐに夜になるだろう。

 暗い湖の上をこれ以上進むのは危険だ。そんな考えが私の頭をよぎった。


 そう思ったのは、匠も同じだったようだ。彼は舟を漕ぐ手を止め、キュッと唇を噛んで悔しそうに湖の先を見つめた。

 

 私の心の中で、ポキッと何かが折れる音がした。兄とユキさんが、手を振りながら消えていく。


「は?」と、今村が匠と私に怒鳴った。


「おい、ここまで旅してきたのにそれは無いじゃねぇか! 明日の朝には消えちまうんだろ! 今見つけないでどうすんだよ?! なぁ大先もさぁ、泣いてんなよ、バカ。進めよ」


「無理だよ」と私が言った。何も感じていないはずなのに、矛盾して目からは次々と涙が溢れてくる。匠とブギが、心配そうに私を見ている。


「灯りもない、方向もわからないで、闇雲に進んでも何も得られないと思う」


 今村は激昂した。


「何だよ! どいつもこいつもヌケサクだな! なら戻れよ。オマエらを岸につけた後、アタシ1人で探しに行ってやる! そしたら分け前は無しだからな。見つけたら、アタシの1人取りだからな、いいな? オマエらはずっと岸でメソメソしていたらいい」


 匠が心配して私に声を掛けようとしている。私はそれを拒否するように今村に反発した。


「メソメソしてない」

「どう見てもしてるだろうが。別にそんなことどっちでもいい。本当に行かないのか?」


 今村が語気を荒げて選択を迫ってきた。


 そのとき、ずっと静観していた勲が初めて口を開いた。


「まぁ待て。オレが骸骨のところまで連れてってやるよ」


 私たちの視線は、勲に集中した。

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