第34話 葛イモ

「このまんまやと、ワシ等全滅やな。」


 ある日の昼、真田が暗い声で言った。畑の除草がひと段落したときだった。


「廣瀬のヤツ見たか? 顔までパンパンに腫れよって、もう誰や分からんようになってもうてるわ。」


 そばにいた船蔵が応じる。


「あら脚気らしいで。正直、ワシ等もああなるんは時間の問題や」


「やっぱし、アレやな」と真田が言った。


「誰かが食いモンを取りに行かなアカンわ。住民を強盗してでもや」


「そやな」と、珍しく船蔵が真田に同意した。


「やるんなら、証人は消さなアカン。皆殺しや。ほんで5、6軒分の蓄えが手に入れば、全員のほんの腹の足し位にはなるやろ」


 その後、小隊の皆が集まり、「誰が行くか」という話になった。思いのほか志願者は多かったが、話し合いの結果、くじ引きで決めることになった。


 そして、くじ引きで選ばれた10人の中に、矢田部勲が入っていた。


「しくじりなや」と、誰かが言った。


 勲は「大丈夫や」と力を込めて答えた。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 ダリル島の住民たちは、日本軍によって田畑のある平地を追われ、土地の貧しい山間部に移り住んで芋などを作って暮らしていた。


 当然、彼等も日本軍同等に飢えており、栄養失調で亡くなる人も少なくなかった。そんな暮らしの中で日本軍への敵意が芽生え、ゲリラに転身する者もあった。


 ただでさえ地域住民の暮らしを圧迫していたのに、さらに狼藉・殺害に及ぶ。この強盗計画は、そういう卑劣な企てだった。それは、地域住民の命も、尊厳をも蹂躙する行為に違いなかった。


 部隊の皆にもそれはわかっていた。しかし、止めようとする者はいなかった。他者を足蹴にしてでも「生きて国に帰ること」そして「家族と再会すること」に希望を見出していたのだ。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



「矢田部、早よ登って来んかい」


 その登山は、矢田部勲にとっては難関だった。やっと登り切ったときには、すっかり汗だくだった。


「まずはあの家や。芋がぎょうさんあるわい」


 茂みの中からその掘っ建て小屋を覗くと、確かに軒先にクズイモが山積みになっている。この量からするに、収穫したばかりに違いない。1つひとつは小さいが、これだけの量があれば、他の家を襲わずに済みそうだ。勲の小銃を持つ手に力が入った。


「よし、行くで」


 リーダーの合図で、小銃を手にした10人は一斉に飛び出した。家の扉が蹴破られると、中では4人家族が貧しい食事をしている最中だった。父、母、幼い姉弟の4人は、恐怖に目をカッと見開き、抱き合って震えた。


「まだ殺すな。食いモンを全部出させてからや」

 と、誰かが言った。そのとき、この家の母が、たどたどしい日本語でこう言ったのだ。


「命ダケハ、助ケテクダサイ」


 このたどたどしい日本語を聞いたとき、勲の頭に妻リリーの姿がよぎった。


「あなたは日本語が話せるのですか?」


 勲はつい、女性に尋ねた。女性は恐怖に震撼し、うまく言葉が出てこない。


「おい、何しとるんや、デクの棒。余計なことすな」


 仲間の1人に嗜められた勲は一旦引いたが、すぐに「これだったら通じるかもしれない」と思い直し、英語で女性に話しかけた。


 勲は英語で「できれば殺傷したくない。食べ物を分けてください」と頼んだ。すると、女性の夫が突然、英語で「オマエは煙草を持っているか?」と尋ねてきた。「この辺りでは煙草が全く手に入らない。煙草と交換だったら構わない」と。


 勲はこの父親と交渉し、結果をすぐ9人の仲間に伝えた。


「煙草と芋を交換すると言ってくれとる。煙草1本につき芋2つや。持っとる者は出してくれんか?」


 9人の日本兵は怪訝な顔をしたが、皆それぞれ煙草を出した。全部で12本。勲はそれらを集めて男性に渡し、24個の芋を持っていく許可をもらった。


 勲は仲間達に日本語で言った。


「軒先の芋、24個や。24個持って行って良いそうや!」


 仲間たちは歓喜し、早速背嚢はいのうに詰め始めた。

  そのとき、妻が「近所の家も何軒か、煙草に困っていた」と言うのを勲は聞いた。勲はすぐに英語での交渉を再開した。


「近所の方とも、煙草と食糧の取引ができますか?」


 男性は少し考えてから勲に「明日、煙草を持って来られるか?」と尋ねた。勲が「可能だと思います」と答えると、男性はこう言った。


「近所の者たちをここに呼んでやる。またこの時間に煙草を持って来れば、近所連中も喜んで芋と交換するだろう。おまえ達は山ほどの食糧を手に入れられる」



 勲は早速、仲間にそのことを伝えた。


「おい、喜べ! 近隣住民にも話をつけてくれるそうや。明日、もっと沢山煙草を持って来れば、大量に芋が手に入るで!」


 仲間たちは歓声を上げた。そして芋を詰め終えると、この一家に感謝の言葉を繰り返し、山を降りて行ったのだった。


 そしてこの一家は約束を守った。


 翌日、部隊でかき集めた煙草を懐に、同じ人員でまた山を登って行くと、全員の背嚢に入りきらないほど大量の芋が用意されていたのだ。


 10人は何度も何度も礼を言い、もらった芋を大切に部隊に持ち帰った。


 

 隊の中で、矢田部勲の株は急上昇した。

 彼のお陰で、誰も傷つけず、小隊の兵卒全員に十分行き渡る食糧を調達することが出来たのだから。


 その日の晩、芋のたっぷり入った芋粥を、皆は腹一杯食べることが出来た。




 しかし、それを良く思わない者もいた。それは、この小隊に属していない兵士たちだった。


 そして翌日、矢田部勲は上官に呼ばれた。


 上官はいきなり勲を殴りつけると、

「貴様は今から『奔敵ほんてきの疑い』で軍法会議にかけられる」と告げたのだった。

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