第35話 軍法会議
矢田部勲の軍法会議は、野外で執り行われた。裁判官が3人、それに検察官、法務官が1人ずつ。彼を裁く全員が尉官以上であり、軍の食糧を丸取りしている上官連中だった。
途中、何度も敵機が上空を飛び、そのたびに中断されながら進められた。
「矢田部勲。罪状『
検察官の暴論に、勲の頭は一瞬真っ白になった。しかし、すぐに頭に血が昇るのが分かった。
「軍の機密を漏らしてなどおりません! 断じておりません! ただ、芋を分けてもらっただけであります!」
勲はそう訴えたが、5人の上官は彼を白い目で見る。
「発言は許可しておらん」
勲の言葉の届かない場所で、軍法会議は進んで行く。
勲は、自分を天皇陛下の臣民だと訴えた。敵に利するようなことは死んでもしないと。しかし、上官たちは勲の話に耳を傾けなかった。ひとりの法務官を除いては。
法務官の鷹取誠司少佐は、「死罪は不当」と言い張った。
「矢田部一等兵の罪は刑法第73条「戦時逃亡罪」に当たり、懲役または禁錮刑が妥当であります」
彼がそう言うと、検察官と3人の裁判官は大儀そうに反対した。
「矢田部一等兵は英語を自在に操る。これは危惧されるべきことであります。英語で部外者と接触すれば、情報漏洩など容易いこと。もう既に密通済みという可能性もあるのですぞ。」
「右に賛同します。この者が接触した地元民がゲリラでないと言い切れぬ以上、奔敵の疑いを晴らすことは不可能。またいつ奔敵、逃亡するともわかりませんぞ」
しかし、鷹取少佐は引かなかった。彼は穏やかに話したが、その声は不思議と澄んでよく響いた。
「英語は情報作戦に有用な手段で、これを扱える者は貴重な人材であります。これが評価されることはあれど、死罪の理由とするなど、お国の損失であります。奔敵した、または奔敵しようとしたという確たる証拠が無い以上、死罪とすることは法が許しませんぞ」
このとき勲は、
しかし、検察官も引かない。
「今は戦時中だぞ。切迫した段階において、平時と同じ理屈がまかり通るものか。危険な芽は摘み取る。その地道な一歩一歩が、勝利へ繋がる道と心得るが」
3人の裁判官も頷いた。検察官と裁判長は、鷹取少佐の上官だった。そのため、本来なら鷹取少佐は彼等に意見できない立場だった。
さらに検察官が言った。
「鷹取少佐、この者を庇い立てするとは、何かやましい理由でもあるのか? 場合によっては少佐も調査対象となるのだぞ」
鷹取少佐はグッと唇を噛んで黙り込んだ。
勲は絶望して肩を落とした。国賊として銃殺刑になる未来が、くっきりと浮かび上がった瞬間だった。
しかし次の瞬間、鷹取少佐は意を決したように発言した。軍の体制自体に切り込む発言で、「抗命」と捉えられかねないものだった。
「兵に十分な食糧を配布できない現状そのものが、件の発端であります。生き延びるための食糧を得んがため、やむなく部隊を離れた兵を、十分に食べている将官が罰する。この図式の中で道理を通すのは非常に難しいことであります。しかしながら、人として、上官としてどうあるべきか、各々ご自身の胸にお尋ねください」
検察官が血相を変え、大声で糾弾した。
「山下大将殿が天皇陛下に代わってお預かりする、この第14方面軍の体制そのものを批判するつもりか? 天皇陛下に弓を引くも同じことだぞ!」
それに反論する鷹取少佐の語気は極めて穏やかだったが、その中に凛とした響きを感じた。
「大将殿に楯突くつもりも、ましてや天皇陛下に弓引くつもりも毛頭ございません。矢田部一等兵の言葉をお聞きになりましたか。彼は自らを『天皇陛下の臣民』と称しました。我々と同じ、天皇陛下にお仕えする、かけがえのないない民のひとりなのであります。天皇陛下の御名の下に行われる法は、このような者の命を無闇に奪わないようになっております」
その後、軍法会議は「鷹取法務官 VS 裁判官と検察官」の図で進められた。軍法会議開始直後に威勢が良かった裁判官たちも、理路整然とした少佐の弁論に、徐々に押される形となった。
法務官鷹取少佐の健闘のおかげで、判決は「禁錮10日」と軽いものになった。そして、この軍法会議は確実に、鷹取少佐の立場を悪くしたようだった。
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10日間、勲は独房で壁に向かって座らされた。見張りがいて、壁に寄りかかることは許されなかった。
両手足を縛られたまま、食糧も水もほとんど与えられず、ましてや娯楽も無く、10日後に独房を出たときにはフラフラになっていた。
独房を出された勲を、小隊の仲間たちは大歓迎した、というわけでも無かった。食い扶持がひとり分増えるからだ。しかも、もう彼を食糧交渉には使えない。
それでも、船蔵・真田両上等兵は勲を労い、皆が勲に「おめでとう」「生きて出られて良かったな」などと声を掛けた。
そして、誰かがこんなことを勲に教えた。
「『張り切り虫』が、二等兵に落とされたらしいで。何と、今は隣の中隊に混じって畑を耕しとるがな。なかなか見ものやで」
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