第9章 森の主の戦争

第33話 ダリル島

 矢田部勲は東京生まれの東京育ちだったが、妻リリーを心ない人々から守るため、1942年の暮れに、徳島の別荘に越して来ていた。

 

 そこですぐに召集を受けたため、歩兵隊の仲間からは「流暢な英語、片言の関西弁」と揶揄われた。


 大阪鎮台の「結成以来負け続け」と揶揄される連隊に配属されたが、世間に思われているような弱小部隊ではなかった。ただし、勲の印象では、兵卒たちの気質は二分されており、それぞれが派閥を作って反目していた。


 片や、菅人軍人嫌いの計算高い商人気質、片や真っ直ぐで素朴な田舎気質だ。


 商人気質の者の大半は、招集される前には都会で算盤そろばんを弾いており、戦争が終わり次第すぐに軍隊から離れたいと考えていた。厳しく「大和魂」を叩き込まれた田舎気質の者たちは、そんな商人気質の者たちを軽蔑した。


 また、商人気質の者たちの方も、無頓着で粗忽な田舎者を見下す傾向にあり、勲が組み込まれた小隊の中ではたびたび諍いが起きていた。


 商人気質の代表格だったのが、船蔵常弘上等兵。桶屋の息子で、眼鏡をかけた29歳のキレ者だった。厳しい訓練において、常に沈着冷静に素早い判断をする男だったため、同期は皆彼に一目置いていた。


 一方、田舎気質の代表格は、真田昭次郎上等兵。彼は貧しい小作の次男坊で、口減らしのために志願して入隊していた。強靭な肉体と精神を持つ27歳で、日々の鍛錬を怠らない生真面目さがあった。そして、隊の中には彼の腕っ節に勝てる者はいなかった。


 船蔵・真田両名は、しょっちゅう喧嘩騒ぎを起こして上官に縛られていた。2人が喧嘩を始めると、それぞれの派閥の者たちまでが一斉に立ち上がり、「ヤレ、やっちまえ」だの「それ、そこで拳を入れろ」だのとヤジを飛ばして大賑わいだった。そしてそれが上官に見つかり、全員揃って尻に直心棒をお見舞いされるまでがセットだった。


 矢田部勲はというと、どちらの派閥にも属していなかった。英語はできるが腕力は無い、走りも遅い。そのため隊の中では「デクの棒」という位置付けだったそうだ。




 1944年春、矢田部勲の中隊は、南太平洋のダリル島にいた。前線の兵士たちがバタバタと戦いに倒れて行く中で、本部から期待されていなかった勲たちの隊は、北部の田舎で稲作に精を出していた。


 後方部隊のダリル島には、勲たちの隊を含む中隊や大隊がいくつも駐留しており、1万人近くの日本兵が、農作業に従事していた。

 皆で「まさか戦場に来て米を作るとは思わなかった」と話したものだという。


 勿論、それは牧歌的なものではなかった。数日おきにゲリラに襲われたため、3ヶ月の駐留ですでに仲間の5分の1を失っていた。


 この頃には、太平洋の制空権、制海権ともに連合国に奪われており、本国からの補給船のほとんどは、到着する前に沈められていた。


 そのため、食糧にも武器にも乏しく、日本兵はまともに戦える状態では無かった。それでも、前線では毎日死闘が繰り広げられ、後方でも数日おきにゲリラと闘った。


 後方部隊の勲達は腹を空かし、ゲリラに怯えながらも、米を作るよう指示されていた。ただし、収穫した米のほとんどは、前線の兵士や上官の腹に収まる寸法だった。食料補給が絶たれた状態で、1万人の日本兵のほとんどが飢えていた。

 

 雑草、紙、トカゲ、蛇……。食べられるものは何でも食べた。それでも足りず、栄養失調から病気になったり、飢餓で命を落とす者が後を立たなかった。

 

 そんな状況にも関わらず、上官達は兵卒に対し、食糧を探しに行くため部隊を離れることを禁じていた。兵卒たちは、上官が自分たちより多くの糧を得ていることを知っていたため、不満を溜め込んでいた。


 そして、ついに「餓死するよりは」と、食糧を求めて部隊を離れ、ジャングルに彷徨い出る者が現れるようになった。


 これは大変危険な行為で、上官に見つかれば直ちに「戦時逃亡罪」となってしまう。

 本来なら禁錮に服するところだが、食糧の無い戦場では口減らしのため、「汚名をすすぐよう」命じられ、玉砕要員として前線へ送られてしまうのだった。




 皆が恐れている上官の中でも、彼らが最も厄介だと感じていたのが、法務官だった。


 法務官の鷹取誠司たかとり せいじ少佐は、よく中隊を見回りに訪れていた。兵卒はみな穴の空いたボロ服を着ているのに、鷹取少佐はいつもビシッとシワひとつない軍服で歩き回っていた。

 

 そして、隊の者達に「盗みや婦女暴行などの犯罪行為をしている者はいないか」と尋ねて回るなどして、軍紀に目を光らせていた。


 山間部にコソ泥に入る者はいて、軍紀はとうに乱れていたが、隊の皆は互いを庇い合った。


 法務官は、皆にとって「目の上のたんこぶ」だった。

 おそらく銃を撃ったことすらないであろう彼のことを、皆は陰で「張り切り虫」とあだ名して嘲笑していた。

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