第32話 1枚の写真

 私たちはパッと顔を上げた。


「知ってるんですか? 『黄金の骸骨』のこと」


 私はついさっき匠と言い合っていたことも忘れ、興奮して勲に尋ねた。


 すると、勲はニヤニヤして言った。


「知っているとも。だが骸骨は今日は現れない。何だ、もしかしてオマエら、それが目当てか? だったら現れるまで泊まって行ったらいい」


「何で今日は現れないってわかるんですか?」


 さらに詰める私に、勲は苦笑して答えた。


「まあまあ、答えを急くと良いことはないぞ、ボウズ。『急がば回れ』ってな。ほら、シチューが出来たぞ」


「シチュー」と聞いて、昨夜の「残飯シチュー」のことが頭の隅に浮かんだ。しかし、勲が深皿に入れて出してくれたシチューは、正真正銘の鶏肉と野菜と芋、豆だけのシチューだった。優しい湯気が、トマトとブイヨンの香りを運んでくる。


 私たちは目を輝かせ、「わぁ!」と歓声を上げた。口の中に溜まって来るヨダレを飲み込んだ。


 リリーが食卓の真ん中に山盛りのパン籠を置き、私たちが長椅子に詰めて座ると、勲は何やらブツブツと呪文のような言葉を唱え始めた。そして最後にリリーと声を揃えて「アーメン」と言った。


 それが「いただきます」の合図だったらしく、夫妻はシチューを食べ始めた。

 

 私たち4人は顔を見合わせると、誰かが「よーい、ドン」と言ったかのように一斉にがっつき始めた。


 その美味しかったことと言ったらない。このときの香りと味の記憶は私の脳裏に深く刻まれ、今でも妻から「今晩はトマトシチューよ」と聞けば、飛び上がるほど嬉しくなるのだ。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 食後、私たちがまたソファでくつろいでいると、緊張した面持ちで勲とリリーが居間にやってきた。


 私たちは、夫妻の座を奪っていたことに気がつき、急いで立ち上がって譲った。しかし、夫妻は私たちに、ソファに座るよう促した。


 何だか様子がおかしい。

 私は、すっかり緩み切っていた警戒心を取り戻して身構えた。しかし、夫妻の用があったのは私ではなかった。

 勲は、匠に向かって話しかけた。


「これを見てほしい」


 勲が懐から出してきたのは、古ぼけた茶色い封筒だった。子供の字で「御父上さま」と書かれている。


「これに見覚えはないかい?」


 匠は絶句した。顔からみるみる血の気が引いて行くようだった。勲は封筒の中から、便箋と1枚の写真を取り出した。


「これを書いたのは、キミじゃないか? ここに写っている少年は、キミじゃないか?」


 匠はなお、ダンマリを決め込んでいる。


「本庄匠君と言ったね。それは本名かい?」


 私は「この人は何を言っているのだろう」と不思議に思った。匠は匠だ。本庄匠。上野でも有名だった。


 しかし、匠は口をつぐんだままだった。


 緊張感に満ちた沈黙が部屋を覆った。

 私も、今村もブギも、そのことが答えなのだと察した。


「君の本名は……」


「父が」と、不意に匠が言った。

「父が大変ご迷惑をおかけしました。お詫びのしようもありません」


 深々と頭を下げた匠の声は、微かに震えていた。

 勲の表情が曇った。


「やはりか」と、勲が言った。

「君たち家族は、そう思わされてきたんだな」


 私は驚いた。大の大人の男の目から、大粒の涙が溢れるのを初めて見た。


 勲は悔し泣きしながら言った。


「違うんだ、キミのお父さんは、キミが思っているような人じゃない。国賊なんかじゃないんだ」



 そして、自分の戦場での体験を語り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る