第8章 森の小屋で

第28話 栗色の髪の女

 日が傾く頃、今村と私はやっと『狗里の森』の前に辿り着いた。予想通り鬱蒼うっそうとした広葉樹の森で、中はかなり暗くて不気味だ。


「大丈夫だ、まだ日没までは時間がある」


 今村と私は森へ足を踏み入れた。空気がひんやりと湿っていた。樹木の葉が作る天蓋が外光を遮る中、私達はキノコや雑草だらけの道無き道を進んで行った。


 ココココココッと、何かの鳥が鳴くのが聞こえた。


「あのさぁ」と、今村が話しかけて来た。手にしっかりナイフを握り、声は微かに震えている。


「大先も、武器を持った方がいい」


 私は、今村が差し出してきたものを受け取った。さっきのパイン缶の蓋を捻って尖らせたものだ。こんなものは大した武器とは言えないと思ったが、それより今村の様子がおかしい。彼女はさらにこんなことを尋ねてきた。


「狼がいたりはしないよな?」


「明治時代に滅んだよ。この辺りには熊も猪もいない。蛇はいそうだけど」


 私がそう答えても、今村は身体を緊張させて目を見開いている。私は少しおかしくなった。


「今村、もしかして怖いのか?」

「そんなわけないだろ」


 答える声が虚勢に満ちて裏返っている。

 今村にはこれまで散々「弱虫」だの「坊ちゃん」だのと笑われて来たので、私は幾分か気分が良かった。


「もうすぐ星印の場所に着く。だから怖がらなくていい」

「怖くないって言ってるだろ、しばくぞ」




 しかし、地図の通りに進んでいるのに、なかなか「家」のようなものは出てこない。果てしなく続く木、木、木の中で、私は不安になってきた。

 

 もしかして、あれは嘘だったんじゃないか、あのおじさんは、私達子供を揶揄からかったのではないかと疑心暗鬼になった頃、その空間は突如として出現した。


 その20平米ほどだけは木が生えておらず、雑草も丁寧に刈り取られている。

 手入れされたその場所に、丸太小屋がひとつ立っている。それも、なかなかお目にかからないタイプの造りだ。玄関ポーチがあり、そこに並ぶ植木鉢が色とりどりの花を咲かせている。丸太小屋の屋根からは赤茶色の煉瓦の煙突が生えている。欧米風造りの家だ。

 小屋のすぐ横にカボチャ畑があり、そこに立つカカシのそばに、おじさんが乗っていたオート三輪が停まっていた。

 まるで西洋のおとぎ話の世界に迷い込んだかのような風景だった。



 私たちは、小屋の裏へ回ってみた。


 そこに、自転車が一台置いてあった。当時としては珍しい、ライト付きの赤い自転車だった。

 私がそれに目を奪われている間に、今村が窓から小屋の中を覗いた。そして、「スゲェ……」と感嘆を漏らした。

 私もすぐ、ガラス窓を覗いてみた。


 そこには、外国人の家ではないか、と思わせるような家具調度品が並んでいた。青色の布ソファに、凝った装飾の低卓。これまた凝った装飾の四角い食卓に、長椅子が1つ、向かい側に単椅子が2つ。草色のラグマットが敷かれており、暖炉まである。


「あれ?」と私が声を上げた。暖炉の前のソファに、見慣れた後ろ頭がある。

 私達は声を揃えて叫んだ


「ブギ!」


 すると、表から大人の女の声が聞こえた。


「誰カ、イマスカ?」


 片言の日本語だ。私達が身構えると、ワイン色のロングワンピースを着た女が姿を現した。栗色の髪に、澄んだ青い目。西洋人だ。


 女は私たちを認めると、


「オー、アナタ方、潔君ノオ友達、デスカ?」


 と私たちに尋ねた。私達が頷くと、女は甲高い大声で「イサオサン! イサオサン!」と森の中へ呼び掛けた。


 すると、森の中から、さっきのおじさんが姿を現した。しかし、先程とは印象が全く違う。まず軍服を着ていない。小奇麗なシャツに身を包み、何というか、目が活き活きとしているのだ。


「よぉ、オマエら、来たな。オマエらの友達ってヤツを預かってるぜ」


 男は、親しみ深い様子で、私たちを家の中へ誘った。私は戸惑った。

 私の戸惑いを察したおじさんは頭を掻いた。


「さっきと様子が違うってか? 今、仕事をしていたからだ。細かい事は気にするな。疲れただろう。ちょっと休んで行けよ」

 

 扉が開かれると、そこに玄関は無くすぐに居間だった。ソファに座っていたブギがパッと振り返り、大慌てで駆けてきた。


「今村! 大先! アニキが大変なんだ! 」

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