第12話 クララちゃん

「バタ屋」とは、屑屋ともいわれる。いわゆる廃品回収業のことだ。道に落ちている紙屑などを大量に集めて売りに行くと、キロ単位で買い取ってもらえて、大人2食分くらいにはなるという。


 するとリヤカーが必要だということになり、私たちは、すぐ近くにあるという今村の生家まで取りに行くことにした。


「ちょっと掃除は必要かもしれないけど、野宿だけは避けられるよ」

 という今村の提案で、私たち4人はそこを今夜の寝場所とすべく、バラックの間を縫いながら進んで行った。


 この辺りは東京大空襲で壊滅的な被害を受けたようで、大空襲から4年が経過した今も、焼け出された人たちが組んだバラックが、列をなすようにズラッと並んでいた。

 度重なり到来する大型台風が、家を失くした人たちの復興を阻んでいた。川沿いの整備が遅れており、川はすぐに氾濫し、大型台風のたびに街中が水浸しになっていたのだった。




 これから向かう場所は今村の生家とはいえ、実際には焼け跡の上に父親がトタン板で建てたバラックだという。それでも野宿よりはだいぶマシだと思えた。


 直接聞いたわけではなかったが、「今村の父親が生きている」というのは何となく会話の中から理解していた。この日まで私は、彼女も自分と同様に家族と馬が合わなかったのだろうと、安易に考えていた。




 ある区画まで来ると、今村の足取りが早くなった。


「こっちだよ、こっち!」


 今村は興奮して小走りに通路を走り抜け、私たちもそれに続いた。


「ほらよ、ここがクララちゃんの家だ! ……あれ?」


 今村が誇らしそうに指さしたバラックから、なんとひとりの少女が出て来たのだ。私たちと同じ頃の歳だ。


「お母さん、お水汲んでくるわね!」


 そう言いながら家から出てきたその少女に、今村はいきなり頭突きを食らわせた。


 少女は「キャッ」と叫んで痛みにうずくまった。

 しかし今村は攻撃の手を緩めない。少女を押し倒し、馬乗りになると、低い声で尋ねた。


「アンタ、誰だ? アタシん家で何してる?」


 少女は恐怖に震えていたが、それでもよく通る声で言い返した。


「アンタの家って何よ? ここは私の家よ」

「ウソをつけ! 侵入者を捕獲!」


 拳を振り上げた今村を、匠と私が必死に止めに入った。ブギはポカンとしてその様子を眺めていた。


 ちょうど、家の中から年増のパンパン風の女性が顔を出した。少女の母親だろうか、騒ぎを聞きつけたらしい。

 彼女は仰天したが、少し話を聞くと、親切に私たちを家の中に入れてくれた。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 少女の名は八重と言い、14歳だった。しかし、酷く体が小さく、歳上には見えなかった。満州からの引き揚げ組で、その道中に飢えや暴力によって姉と弟たちを亡くしていた。


 命からがら日本に帰り着いたが、親戚を頼ることも出来ず、「東京なら仕事がある」と聞いて母に伴われてやってきた。


 そして今は、空き家になっていたこのバラックに住み着き、親戚に言伝ことづてを頼み、生き別れになった父の帰りを待っているということだった。


 

「空き家じゃねぇよ」


 今村が、八重の汲んできた水を飲みながら刺々しく言った。すると、八重が怒ったように主張した。


「もう私たち、1年以上もここに住んでるのよ。今さら退くなんて出来ないわ」


 今村は部屋をぐるっと見渡すと、箪笥の上に目を留めた。


「あそこに人形があったろ。どこだ?」


「ああ……」と八重は、歯切れ悪く答えた。


「寝かせると目を閉じる可愛いフランス人形ね。ごめんなさい。売っちゃったわ。とても良い値段で売れたわ」


 八重の言葉が終わらないうちに、また今村が激昂して殴りかかった。私と匠は2人がかりで必死に止めた。


「よくも! アタシのクララちゃんを! バカ! バカ! このアマ! 泥棒!」


 匠と私に取り押さえられ、今村は床に突っ伏して嗚咽した。


「ヒクッ……浅草で買ってもらったのに……ウグッ……アタシが欲しいって言って……グズッ……お父さんとお母さんが買ってくれたのに……クララちゃん……クララちゃん……」


 フランス人形など、かなり値が張るものだ。日雇い労働者の集まるこの山谷に暮らしていたことを思うと、今村の両親にとっては相当思い切った買い物だったことだろう。娘の笑顔を見たくて、無理して購入したに違いなかった。


 閻魔でも同情しそうな今村の悲壮な姿に、ブギが肩を持った。


「クララちゃんは無理でもさ、家だけでも取り返してもらえよ。親父さんに知らせるんだ。どこにいる?」


 すると今村は鼻を啜りながら、むっつりと黙り込んだ。匠は何も言わずに静観していたが、私はブギに加勢した。


「そうさ。こんな無礼な母娘おやこ、お父さんなら追い出せる」


 しかし、今村は鼻声でただ一言「うるせぇ」と言って黙り込んでしまった。

 

 私は納得がいかなかった。

 今村は、父のことをいつも自慢げに語っていたし、何より、この家に他人が住み着いているのを見たときの、彼女の傷ついた表情を忘れられなかった。それで、私はさっきより強めに今村に言った。


「お父さんの居場所、わかってるんだろ。頼めよ。大切な家なんだろ」

 

「史人」と嗜めるように私を呼んだ匠の声が、円卓をぶっ叩く今村の音に掻き消された。


 私には、今村がなぜ怒っているのか分からなかった。今村は私を睨みつけて毒づいた。


「大先こそさっさと家に帰れよ。どうせ山手やまのての豪邸なんだろ。そうすりゃあ、施設の布団がひとり分空いて、見捨てられたガキがひとり救われるんだよ。大先は、本来救われるはずだったヤツを1人殺してるも同じだ」


「今村、やめろ、それ以上言うと許さない」

匠が鋭い声で制した。


 私は深い穴に落とされたような心持ちがした。今村にそう思われていたのはショックだったが、それ以上にショックだったのは、それが的を射た意見だったことだ。


 今村に噛みつかれて匠に助けられるのは、今日で2回目だ。

 私は言葉を失い、今村も、匠も、ブギも八重も円卓を囲んで黙り込んだ。

 沈黙に耐えるのが苦手なブギは、貧乏ゆすりをしていた。



 そんなお通夜のような雰囲気を打ち破ったのは、八重の母だった。彼女は仕事支度を整えて声を掛けてきた。

 派手な黄色いドレスを着て、山姥のような縮毛ちぢれげ、顔の横には巨大な丸い耳飾りをブラブラさせている。


「八重、お母さんはもう仕事に行くわね。この子たちね、悪い子たちじゃなさそうだわ。泊まる場所が無いようだから一晩泊めてあげなさい。……でもそれ以降はダメよ。アンタたち、明日にはちゃんと出て行くのよ」


 八重の母はそう言うと、肉や果物の缶詰を幾つか円卓の上に置いた。施設近くの闇屋では滅多に入らない、本物のアメリカ産の缶詰だ。

 私たち4人は、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。


 このいかにも貧しそうな居住まいの中で出来る、最大限の罪滅ぼしなのだとわかった。


 八重の母は今村の前に進み出ると、しゃがみ込んで目の高さを合わせて言った。


「ここはあなたのお父様が建てた家だったのね。丈夫に作られているお陰で台風にも耐えてくれて、私たちは雨露をしのいで暮らせているわ。……お父様が今どこにいらっしゃるのか、ご近所さんから聞いたわ。でもたったひとりの肉親ですもの、いつか一緒に暮らせたら良いわね」


 今村は何も答えずに俯いた。


 八重の母はじっと今村を見つめると、やがて立ち上がった。そして、夜中に留守番をする娘を心配していくつか指示を出してから、仕事へ出て行った。

 少し開いた窓から、赤い夕日が差し込んでいた。

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