第11話 残飯シチュー

 バラックや新しい木造住宅が立ち並ぶ焼け跡を歩くこと20余分、私たちは南千住駅前の青空市の一角にたどり着いた。


 屋台が立ち並び、なんとも美味しそうな匂いが漂ってくる。露店の主人が団扇うちわで仰ぎ、食べ物の匂いを拡散させて通行人の食欲を煽っている。


 施設で芋やすいとん、カボチャ粥ばかり食べていた私たち4人のお腹は「グゥッ」と鳴った。


 中でも一際魅力的な、洋食の匂いを発する露店があった。看板には「どんどん煮」と書かれている。入っているものは野菜の皮や肉の切れ端ばかりだが、トロミのついた立派なシチューだ。「どんどん煮」屋の店主も、煮立つ大鍋を団扇で仰ぎながら客呼びしている。


「さあさあ、お立ち会い。本当なら新宿や上野まで行かないと食べられない、正真正銘、洋食の煮込みだよ。今日ここを歩いているあなたは運がいい! 幸運のお印に一杯いかがです? 一口食べたら忘れられない味。正規で食べればひと月のお給料がぶっ飛ぶところを、何と5円、5円でご提供。さぁ、食べた食べた!」


「どんどん煮」の露店の前で目を輝かせる私とブギを、匠と今村はニヤニヤして見つめた。


「やめといた方がいいぞ」と今村。

「何でだよ」と私が尋ねると、匠と今村が口々に答えた。


「使用済みコンドームが入ってるかも」


「ゴキブリやネズミの死骸もな」


 私とブギはゾッとして震え上がった。


 この「どんどん煮」は別名「残飯シチュー」と呼ばれていて、具はすべて進駐軍のレストランのゴミ箱の中身だそうだ。大抵の店主は確認もせずにそのままザーッと大鍋にあけて煮るので、何が入っているか分からない代物だという。


「それでもさ、これが飢えてるときにはたまらなく美味いんだ。あの頃は雑草でも虫でも、食えるもんは何でも食ってたからなぁ」


 匠が遠い目をして言った。まるで食べたことがあるような口ぶりだ。

 今や私も一銭も持たず、宿もない身、他人事ではいられない。

 そう思っていたところで、今村が言った。


「そもそも財布がないんだから何も食べられないぞ」


 彼女の言う通りだった。ここで私たちが手に入れなくてはならないものは3つあった。食糧、地図、それに今夜の寝場所だ。今村は私たちに問いかけた。


「さぁどうする? シケモクでも作って売るか?」


 シケモク、というのは、吸殻から作り直した紛い物の煙草のことだ。落ちている煙草の吸い殻を拾い集め、残っている葉を紙で巻いて作る。


「それだったら今持ってる正規の煙草を売った方が早いよ」


「いや、子供が売ってる怪しげな煙草を正規品だと信じる大人がいるか? もっと他に稼ぐ方法は……」


 私と匠が思案していると、ブギが口を出した。


「オレ、物乞いなら得意だぜ。路上時代、殆ど食べ物に困らなかったもん」


「だろうな」と匠は言った。


「オマエは終戦前のノガミしか知らないだろ。終戦を境に大人の態度はガラッと変わったぜ。それに、あの頃のオマエはいたいけな8歳、今はゴツい12歳だ。果たしてどれだけ稼げるかな」


 ノガミ、というのは上野のことだ。

 そして、匠の言は的を射ていた。戦時中は、食糧が少ないながらもまだ国民に団結力があり、大人たちも孤児に同情的だった。


 しかし、終戦後に食糧が尽きると、大人たちは孤児を「食糧を奪う汚い野良犬」とみなし、軽蔑し石を投げるようになった。孤児たちが頼れる大人といえば、似たような境遇のヤクザやテキヤ、それに愚連隊やパンパン(街娼)だったという。


 実際、パンパンに養われて虐待を受けたり、ヤクザを頼ってそのままヤクザなる以外の道を見出せなかった孤児も大勢いる。そんな境遇に絶望し、自ら命を絶った子も数知れない。




 今村が手を腰に当てて仁王立ちし、何かブツブツと独り言をした後、こう言った。


「仕方ねぇ。こうなったらこの美人のお琴様がひと肌脱いで……」


「ダメだ!」


 匠、ブギ、私の3人は同時に止めた。この時代には、貧しさから初潮前の女の子が春をひさぐのは、そう珍しいことではなかった。そのため、3人とも今村が変な気を起こしたと思ったのだ。


「まだ早すぎるぞ、ガキのくせに」


 自分もガキのくせに匠がそう言うと、ブギと私も次々に口撃した。


「胸もケツも無いパンパンなんか、ちゃんちゃら可笑しいや」


「気づいてないかもしれないけど、今村はブスだからな。ブスの身体なんか売れない」


 今村は「はぁ?」という顔をして続けた。


「バタ屋でもやってやろうと言うところだったんだ。変態だな、オマエら」


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