第13話 ビーフ雑炊
結局そのあと、私たち4人はすぐにその家を出た。今村が「ここでは寝たくない、ひとりでも出て行く」と言い張ったからだ。
夜中にひとりで留守番する八重を残して行くのは心許なかったが、私たちは今村に従った。
家を出たところで、八重が追いかけてきた。風呂敷に何か包んで持っている。
「良かったら、これも食べて」
乾飯だった。それも、子供4人分の夕飯として十分な量だ。これは貧しい彼女たち母娘の丸一日分の食事なのではないか、という考えが一瞬頭を掠めたが、余りに腹が減っていたのでそのまま受け取ってしまった。
私たちは八重に何度も礼を言い、手を挙げて別れた。
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夕暮れに伸びる影が4つ、リヤカーを押してトボトボと続く。
駅前の闇市に戻ると、ポツリポツリと灯りが点り始めていた。
今日はもう、バタ屋は諦めざるを得ない。
私たちは、駅前に掛かる鉄道橋の下を寝場所に決めた。土手の草地に木の枝を集め、ブギの持っていたマッチで火をつけた。
いつの間にか匠がいなくなり、汚らしいアルミ鍋とざるを持ってすぐに戻ってきた。捨ててあったものだろうか、石で叩いて鍋底の穴を塞いでいる。
普通だったら、子供だけで焚き火しようものならすぐに大人が鬼の形相で飛んできそうだが、この辺りではそんなに珍しいことではないらしい。
「これ、何て書いてあるんだ?」
ブギが缶詰を見て尋ねると、匠が答えた。
「ビーフ、牛だ」
私は、牛の肉などいつぶりだろうかと考えた。
戦時中、まだ人々の間で敗戦が現実味を帯びていなかった頃、兄の『全国中等学校野球大会』出場祝いで食べたのが最後だ。
それは1942年の、今では「幻の甲子園」と呼ばれている大会だ。私の兄は優秀な投手だった。
「とりあえず開けよう。おい今村、ナイフを貸せ」
匠は、今村のナイフで器用に缶詰を開けた。すると、美味しそうな匂いが周囲にふわっとたちこめた。
私たちは川の水を濾して鍋に入れ、乾飯と缶詰の中身も入れてグツグツと煮込んだ。最高だ。『どんどん煮』にも負けない香ばしい匂いに、私たちの気分は沸き立った。
さっきまで塞ぎ込んでいた今村さえ、興奮して「誰が最後に鍋を
「誰かにたかられる前にさっさと食べちまおう」という匠の提案を全面的に支持し、私たちは出来上がった肉雑炊を、鍋のまま掻っ込んだ。
その美味しかったこと。濃厚な赤身の味と脂身の香りが口いっぱいに広がり、ほろほろと崩れる食感がたまらない。
牛肉の缶詰は2缶あったが、乾飯とともに一瞬で無くなってしまった。
辺りはすっかり暗くなっている。
川のほとりから見える市場は、それぞれの露店が灯すランタンの灯りで幻想的に輝いていた。
ブギがあと2つ残っている缶詰を眺めながら「なんだこれ?」と言った。
それはパイナップル缶だったが、当時の私たちはパイナップルを見たことがなかったので、大いに警戒した。
「たかられる前に食っちまうのが基本だけど、コレは誰も盗まないだろ」
ということで、2つの缶詰は今村と匠がそれぞれ持ち、携帯食代わりにすることにした。
私が川から水を汲んで戻ってくると、匠と今村とブギは「この一服が最高なんだ」などと言いながら、火を囲んで煙草を吸い始めていた。
私は鍋に水を濾し入れ、火にかけた。
「大先、何やってんだよ?」
今村の問いに答える。
「湯ざましを作るんだ。川の水をそのまま飲んだらお腹を壊すだろ」
一瞬の間をおいて、3人がどっと笑い転げた。ブギと今村が口々に囃し立てる。
「川の水、飲んだことねぇのかよ」
「さすが、山手の坊ちゃんは違いますなぁ」
いつもなら止めに入る匠まで便乗する。
「まぁ待て。ここで下痢をおっ
私は腹を立てた。何が浮いているかもわからない、バイ菌が付いているかもしれない川の水をそのまま飲むなんて馬鹿のすることだ。少し面倒でも安全策を取るのが賢い方法じゃないのか。
そう反論したかったが、口に出せばまた嘲笑の対象になりそうなので、私は黙り込んだ。
3人は私の沈黙など慣れたものだというように、焚き火を囲んでくだらない話を次から次へと展開していったのだった。
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