第240話 言霊
フォーリアンロザリオ合衆国、ホド州ティンタジェル港。今日はここでフォーリアンロザリオとルシフェランザ二ヶ国合同での第二次天地戦争終戦十周年記念式典が催されている。波の音が遠く聞こえる、四方を鋼鉄製の無骨な壁に囲まれた部屋の中…わたしは用意された椅子に腰掛けながらその時を待っていた。
「…十年、か」
振り返ればあっという間だったような気もするし、とてつもなく長かったようにも思う。家族を失い、一度は国を捨てたあの日から数えれば既に十二年…本当に色々なことがあった。それらの記憶ひとつひとつを辿り、未だに自分の胸の奥深くには戦争の記憶が刻まれていることを再確認する。
わたしはあの戦争が生んだ惨状の、ごく一部しか知らない。だからあの戦争を本当の意味で生き抜いた人たちの心に刻まれた痛みを理解することは、きっと出来ないんだろうと思う。それでもわたしは今そうした痛みと向き合い、寄り添うべき立場にいる。
今日の式典のために用意してきた手元の原稿に視線を落とす。一応こういう場で読む原稿だし、グレンやレイシャスさんにも内容を確認してもらったから大丈夫だとは思う。わたしの気持ちを…ありったけ込めたつもりだ。
「失礼、お邪魔してもよろしいか?」
ゴンゴン、と鈍い音のノックが聞こえて扉が開く。以前に会った時よりもいささか皺の深みが増したような気がするエルネスト大統領が上品なスーツに身を包んで立っていた。
「大統領、如何されました?」
「いやなに、出番をただ待つというのも手持無沙汰でしてな。少しお話でもと思ったのですが…」
お邪魔でしたかな、と問う大統領に首を横に振って手に持っていた原稿を傍らにあった小さなテーブルの上に放る。
「ちょうどよかったです、わたしもなんだか落ち着かなくて…。普段から人前に立つことも多いというのに、今回の式典に緊張している自分がいます」
「何を緊張することがおありか。齢二十そこそこで立派に連邦議会を纏め上げ、古参の派閥に染まることも無くそれらを調和させるほどの手腕をお持ちとの評判は、このフォーリアンロザリオにも届いておりますぞ」
纏め上げる…とは大分誇張が過ぎるような気がする。いつだって議会はどうでもいいようなことで紛糾するし、年配議員同士の不毛なやり取りはよく飽きないなと感心するぐらい果てしなく続くことが多い。やれどこの議員がスキャンダルを起こしただの、やれ誰の責任がどうのこうのと…そんなことは警察にでも任せておけばいいのに、本来の議題そっちのけでそんなことばかり言うものだから毎回うんざりした気持ちにさせられる。若手議員の無学な質問にも溜息しか出ない。
そんな思いがあるせいで、褒められているけども苦笑いしか浮かべられないのが悲しい。
「ファリエル様から預かった大役ですから、蔑ろには出来ません。大統領からすれば、お孫さんと同じぐらいしか生きていない私が連邦の代表なんてちゃんちゃらおかしい話でしょう」
フォーリアンロザリオが合衆国として生まれ変わった時に改めて同盟関係の維持を確認するという目的で首脳会談が設けられたが、その時に撮られた写真を見ると本当にこれが国のトップ同士を写したものなのか疑わしくなるツーショットだと自分でも思ったほどだ。まぁ、その原因は明らかにわたしなんだけどさ…。自嘲の笑みを浮かべていると、「とんでもない」と大統領は首を横に振った。
「むしろ議長が新時代のルシフェランザを担うべく立たなかったなら、私は今この場におりますまい」
言葉の真意を読みかね、疑問符を浮かべながら首を傾げると大統領は続けてくれた。
「憶えておいでですかな? 私は昔、議長に『大嫌い』と怒鳴られたことがあるのですが…」
「あ、えっと、その…はい、それはもう鮮明に…。何も解らない子供の言ったこと…とはいえ、大変失礼なことを…」
そう言って頭を下げようとしたわたしを制止し、大統領は更に続ける。
「あの時放たれた言葉、そこに込められた思いが純粋であるが故に強く響いた…力強い言葉。あれはきっと戦争という狂気に満ちた状況と、それに恭順することしか出来ない我々大人に対する怒りだったのでしょう。あの眼差しが、あの声が、ずっとこの胸の片隅に残っていました。戦後の新たな時代は新たな世代に任せるべきと思って隠居していた私ですが、すべてを若者に委ねてしまっては無責任な大人だと言われても仕方ない。私がこの立場に立つことを選んだのは…あの時の少女にもう一度、胸を張って会いたいと思ったからです」
当時は確か十一歳になるかならないかの頃だったはずだし、そんなわたしがそこまで考えて発言していたなんて思えないけど、そんな言葉でも時を経て誰かの動機になり得たと思うと…嬉しさよりも、今更ながらもう少し別の言い方もあっただろうという後悔の念が込み上げてくる。
「議長に能力者として与えられた二つ名は『
椅子に座っているわたしの前で膝をつくと、両手でわたしの右手を取り柔らかな眼差しを向けてくる。その視線にさっきまでの緊張はどこかへ消し飛んでしまった。彼の手に自分の左手を重ね、頷くことでこちらの意を伝える。
「さて、そろそろ時間です。向かいましょうか」
椅子から立ち上がると、ちょうど係員がわたしたちを呼びに来た。誘導に従い、決して広いとは言えない通路を歩く。さっきの部屋と同じ鋼鉄製の壁と天井を這う配管。ドレスの裾を引っ掛けないように注意しながら進んでいくと、これまた鋼鉄製の重そうな扉が現れた。
先導の係員がそれを開けた途端、強い潮の香りと陽の光が入り込んできて、目を細めながらそれらを受け止める。ここは戦争記念艦、ルー・ネレイス。甲板の上に立った時、そっと風が私の背を押した。
――頑張ってね。
友の聲が聞こえる。風の行方を目で追えば、青く澄んだ空に一羽の鳥がその白い翼を輝かせていた。もう迷いも不安も無い。大丈夫だよ、と胸の内で答えると艦首に向かって歩いていく。集まった報道陣の脇をすり抜け、フォーリアンロザリオ合衆国とルシフェランザ連邦、そしてアルガード連合の旗が海風に踊るポールの前に設けられた演説台に向かう。
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