第229話 後始末

 一度公海上空へと離脱していたアマテラスが三日後にフォーリアンロザリオ領空ギリギリまで再接近するようで、そのタイミングでマホロバ組は帰艦するらしい。離陸するまで絶対にイーグレットとエルダを機外に出すなと「お願い」し、私は基地を後にした。


「思いの外、早かったですね」


 シルヴィに会うため、再びアイオーン病院を訪ねる。病室に戻ってきた私を見て、ベッドの上で上体を起こしてにやりと微笑むシルヴィ。こちらの意図はお見通しのようだ。


「グロキリア計画と匣庭について…ですよね?」


「話が早くて助かるわ。知ってること、洗い浚い喋ってもらうわよ」


 もちろんただでなんて言いませんよね、と目を細めるシルヴィ。顔の右半分を包帯で覆われ、満身創痍だというのにどこか凄みを感じる…独特な雰囲気を醸し出していた。一瞬気圧されそうになったのを、ぐっと拳に力を入れて堪える。


「カイラスさんがこんなに急いで戻ってきたのは国内情勢の鎮静化が思うように進んでおらず、これ以上停滞させればこの国は更なる混迷期に突入する…そう考えているからでしょう? そんな国難とも呼べる状況を打開するために協力しようというのですから、相応の報酬は期待してもバチは当たりませんよね?」


「それはあなたがどれだけ核心に迫る情報を提示出来るかによるわね。あなたはエルダ・グレイの決起に加担し、国家反逆罪に問われている。その罪に見合うだけの…」


「ご心配なく。データは揃ってますから、グロキリア計画と匣庭の存在は充分証明可能ですよ。私が彼らと行動を共にするようになって七年…これだけ時間はあったのです、マリオネイターシステムの目を掻い潜って女王との通信プロトコルを解析してログを抜き出したり、匣庭の研究データをハッキングするぐらいどうってことないです」


 シルヴィは胸の前で両腕を組みながらふふん、と得意げに鼻を鳴らしてみせる。匣庭の研究データのみならず、エティカレコンクィスタに参加していたディソールと女王の通信ログがあるのなら今回の決起が女王の自作自演だということが証明出来るかも知れない。


「…さ、さすがね」


「伊達にヴァルキューレ隊の情報担当ではありません。それにフィリルさんの支えとなりたいのなら、これくらいこなせて当然です。それらの証拠は各地に分散して保管してありますので、傷が治ったら監視付きでも構いませんから早速回収に動きたいですね」


 彼女の言葉が真実なら現状の閉塞感は一気に解消する。それにしても、相変わらずフィリルさん、フィリルさんって…この子は七年経っても変わらないな。


「…解ったわ、そちらに関しては手配しておく。報酬に関しては私にも出来ることと出来ないことがあるから、約束は出来ないけど善処するわ」


「そんなに警戒せずとも、無理難題を押し付けるつもりはありませんよ」


「どうだか…あんたに自覚は無いのかも知れないけど、あんたって結構やることが極端なところあるのよ?」


 第二次天地戦争での彼女の行いを思い出す。エンヴィオーネ戦で撤退命令を無視して隊長の援護を継続し、ルストレチャリィ戦では待機命令を撤回させて出撃、プラウディア戦でもヴィンスター艦長に直談判して第三波攻撃隊の出撃タイミングを繰り上げさせたという話だ。

 そのことを忘れてるのか惚けているのか、首を傾げる彼女に溜息混じりにまた来る、という言葉を残し病室を後にする。彼女があれだけ自信を持って話したのだし、情報の精度は高いものを期待していいだろう。

 だがそれはきっとこの国にとって…いや、世界にとっても劇薬となることは必至だ。女王が裏で行っていたことなど知らぬ存ぜぬで蚊帳の外だった官僚たちだって、お咎め無しじゃ国民は納得しない。それ以上にエルダの話が事実であるのなら、この国は長年に渡って非人道的な実験を繰り返してきたことになる。それがあったからこそこの国の先進的な医療技術は生まれたのだとしても、到底容認出来るものでは無い。


「…かと言って、自分の国で行われてきたことを直視しないわけにもいかないものね」


 それこそ許されない。如何に巧妙に隠蔽されていたとしても、それを暴けず、気付けず、ここまでの事態を防げなかったのもこの王国で暮らしてきた我々なのだ。それを清算せずして、この国は前に進むことなど出来はしない。


『今のこの国は忠誠に値する姿では無い、だから変えるのだ! 我々が忠誠を尽くすに値する国に、あの戦争で散った英霊たちが安心して眠れる国に!』


『戦争が終わって何が変わった? 日々の生活に苦しむ国民に国は何をしてきた? 何が出来た!?』


『ここで立たねば、鬼籍に入った先達に報いることがいつ出来ようか。彼らは後世にこんな国を託すために死んでいったのではない! これは彼らが夢見た未来を勝ち取るための戦いだ、邪魔をするなぁああ!』


 脳裏にふと、あの時聞こえた決起部隊のパイロットが叫んだ言葉が浮かんだ。グロキリア計画…私はその存在を知らなかったし、今もすべてを把握しているわけではない。だから今もまだ彼らの行った凶行を認めることなど出来ないが、もし事前に知っていたなら…私も彼らと行動を共にしたのだろうか。彼らの行いは非難されるべきだが、彼らの言葉とその思いを…私は否定出来ない。

 駐車場に停めておいた軍用車に乗り込み、エンジンをかけようとしたその時…空を二機編隊で飛ぶミカエルⅡを見つけた。反逆者である彼らがあの大戦で散った英霊と同じ墓地に埋葬されることは無い…けれど、その高潔なる魂を赤々と燃やし、私たちに真実を突き付けた姿を私は己の胸に刻んで生きたい。今はそう思う。そしてきっと…それでいいのだと思う。




 三日後、なんとかイーグレットとエルダのことも白を切り通してパルスクート基地を飛び立つマホロバの連絡機。ノーズギアに続いてメインギアが滑走路を離れ、フィンバラの街並みがどんどん遠く小さくなっていく。


「…これでよかったのか」


 もう何度目になるだろうか、イーグレットが窓の向こうに見える景色にそっと言葉を零す。彼はあの時「一緒に来て」と差し出された手を取り、エルダと共にマホロバに亡命する道を選んだ。それから連絡機の外を見ては罪悪感と後悔の眼差しを向けている。

 匣庭の崩落で二人とも地下で潰されたことにでもしておくわ、とカイラス少佐は言っていた。あのメファリア准将が副官に任命し、国を出る際には自分に与えられた権限のすべてを委譲してきた相手だ。それだけ優秀な彼女なら、きっと上手く処理してくれることだろう。順調に高度を上げて安定飛行に入ったところで、私はそっと彼に近づき声をかける。


「何も心配する必要はありませんよ。あなたの信頼する仲間が、きっとこの国をより良い方向へ導いてくれるでしょう。あなたの役目は終わったのです」


「けれど、ぼくは…」


 彼の心を苦しめる、女王の計画に異を唱えながら加担し続けた者としての呵責…それは解る。その思いがあればこそ彼は私たちに協力を申し出て技術提供を惜しまなかったのだ。


「あなたがそのすべてを抱え込む必要はありません。それにあなたがもしフォーリアンロザリオに留まり、すべての罪を一人で背負うことにでもなってしまったら…きっとこの国は何も学びません。あなたという人柱を得て、今まで責任を負うことから逃げ続けてきた責任者たちは、その責任を果たすべき機会を逸してしまいます。それは果たしてこの国のためになるのでしょうか?」


 無言のまま、目を伏せるイーグレット。悲しいことに人は誰もが強く勇敢では無い。それは紛れもない事実であり、目を逸らすわけにはいかない現実だ。


「それに、今のあなたは大切な人の幸せを何よりも願っているはずです。ならばあなたは今、何にも優先してやらなければならない役目を負っている。これは持論ですが…誰かを幸せにしたいなら、まず自分が幸せにならなければならないのですよ。どんなにささやかなものであっても、誰にも理解されないものであったとしても…何かに幸福を感じられる人のみが誰かを幸せに出来るのです」


 誰かが不幸に耐え忍び、その犠牲の上に成り立つ幸福は真の幸福とは言えない…私はそう信じている。そうまでして誰かを幸せにしたところで相手だって素直に幸福を謳歌出来ないだろうし、何よりそれで幸せと喜んでいられるような相手なら不幸を被ってまで幸せを願うに値しない相手だ。遅かれ早かれ、そうなるに至った選択を悔いる時が来るだろう。


「だから、これでよいのです。あなたは何も間違った選択はしていない、それはこのファリエル・セレスティアが保証しましょう。あなたは今こそ永く心を縛っていた鎖から解き放たれ、イーグレット・ナハトクロイツという一人の人間として生きる機会を得た。これからあなたは自らの足で歩み、自らの手で拓く未来で、あなたの愛する人の幸せを掴み取ってください。そのために生きる…あなたの過ごしてきたこれまでを思えば、そのくらいの我侭は許されるべきです」


 胸を張って生きなさい、と最後に念を押すと、彼の視線が私のそれと交差する。しばらく無言のまま見つめ合った後、彼は座席に体を預けながら大きく深呼吸をして…そっと呟いた。


「…ずるいな。あなたのような人に、そんな言葉を言われてしまったら…何も言えないじゃないか」


 その口元は微かに笑っているように見えた。

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