第228話 償いの方法

 数え切れない命を奪ってきた、罪に汚れた手。口では異を唱えても下される命令と現実に抗うことをしなかった、無力な手。そしてあの時、こんなぼくのことを心から信頼してくれていた友人が差し伸べてくれた手を取ることの出来なかった…臆病者の手。自分の手を見つめる度に自分自身がたまらなく憎くなり、惨めな気持ちが胸を占める。


「お前は確かに大罪人かも知れんが、極悪人ではないよ。お前がその手で救ってきた命がどれだけあると思ってる? 七年前のプラウディアでの決戦、ヴァルキューレ隊で僚機を最後まで生きて連れ帰ってきたのはお前だけだった。あの大混戦の中でそれを叶えたのはお前が常に周囲へ意識を配り、あらゆる瞬間で適切な相互援護の綱渡りを成功させたからだ。お前だって…たくさんの人を救ってきたんだ。自分自身をあまり卑下してやるな」


 何を言ってるんだ、中佐。ぼくは…許されない罪を重ねてきたんだ。たかだか数人、数十人の命を救ったからなんだって言うんだ。そんなもので消せるほど、ぼくの罪は軽いものじゃない。でもそんな風に考えてしまう自分自身も嫌いで、循環するマイナス感情は心を深く沈みこませていく。そんな自分を卑下するなだって?


「気遣ってくれるのは嬉しいけど…とてもじゃないが無理な話だ。今更許して欲しいなんて言えるものか。独善だと言うならそれでもいい。ぼくが法廷ですべてを白日の下へ曝し裁かれることで、この国は過去にけじめをつけることが出来るんだ。カイラス少佐、早くぼくを…」


 そこから先の言葉は、背後からの…妙に聴覚に突き刺さるぼくを呼ぶ声に遮られた。


「あなたはいつも…国や他人のことばかりを優先して自分を犠牲にする。…いや、違う。そうして自分の本音を殺して、建前が自分の意思であるかのように錯覚するのね」


 ぼくを見据えるエルダのピンク色の瞳は、まるで胸の内まで見透かすような怪しい輝きを宿していた。


「エルダ…。違うよ、ぼくはぼくの成すべきことを…」


「そうやって『すべき』って言ってる時点で、その選択にあなた自身の意思は無いってことじゃない!」


 彼女の怒声に押され、思わず言葉を飲み込んでしまう。


「あなたは女王を自分の意思で殺したんでしょ? 自分のアクマを自分で殺しておいて、まだ誰かのマリオネットでいるつもりなの? あなた自身の心はどこにあるの?」


 反論したいのに、口が動かない。返す言葉が思い浮かばない。操り人形…ぼくは、まだ人形のままなのか。もう一度自分の両手に視線を落とし、自分自身の姿を見つめる。


「なんであなたは自分の人生を生きようとしないの? なんで簡単に手放そうとするの? 抗いなさいよ、足掻いて見せなさいよ! 私の幸せを祈ってる? 祈ることが償いだって言うの? そんなの…何もしないのと同じじゃない!」


 何も言い返せない自分が惨めで…情けなくなる。


「…イーグレット、言い返せないだろ? 彼女の言ってることが真理だ。お前がグロキリア計画について暴露して、この国の法に裁かれたところで…そんなの彼女にはなんの関係も無いことだ。この国がけじめをつけられる? だからなんだってんだ、お前が人柱になったからって別に誰も喜ばねぇよ。少なくともここにいる人間は、誰一人な」


 中佐の言葉に促されるように、ぼくを取り囲むように立つ全員の顔を見回してみる。カイラス少佐はぼくを連れていけば多少政治的混乱を収束に向かわせられるのではと考えているだろうけど、特に口を挟んでこないところを見ると彼女も中佐の意見に異論は無いようだ。


「…でも、だったら……ぼくは、どうすれば」


「目を逸らそうとするな、答えはとっくに出てんだろうに」


 答え…? 無意識に視線は一度中佐へと向き、そして彼の目配せに誘われるようにエルダへと視線を移す…と、彼女はぼくに右手を差し出してきた。…まるであの時と同じように。


「イーグレット、ここに私を連れてきたのはあなたでしょう? 内心、ずっと半信半疑だったのは認めるけど…それでも私はここまであなたについて来たわ。だから…」


 あの時の姿と比べれば、大分大人になったエルダは…あの時と変わらないぼくに、あの時と変わらないその言葉を口にした。


「一緒に来て」


 その瞬間、ぼくはまばたきも呼吸さえ忘れて…ただ茫然と彼女を見つめることしか出来なかった。様々な思いが、記憶が…脳裏をさながら走馬燈のように浮かんでは消えていく。その時間は永遠にも思えたが、きっと実際には一瞬だったのだろう。ぼくの体は、ぼくが命ずるでもなく勝手に…気付いた時には彼女の手を取っていた。

 きっとその行動に一番驚いたのはぼく自身だったに違いない。彼女の差し出された右手に重ねられた自分の右手を見つめたまま、動揺に固まるぼくの目の前で…エルダの左手がぼくの右手に重ねられた。




「エル…ダ…?」


 まだ自分が何を選択し、どういう行動に出たのか理解が追い付いていない様子のイーグレットの右手を両手で包み込むエルダ。その様子を見て、ファリエル提督がこちらを振り向く。


「…彼は決断しました。あなたにとっては不都合の多い選択かも知れませんが、ここは彼の意思を尊重してはいただけませんか?」


「何を白々しい。初めからこうなることを予想していらしたのでしょう? 私がどう感じ、どう判断するかまでも…」


 こちらの問いに明言を避け、意味深な微笑みを浮かべて見せる。やれやれ…まぁなんにせよ私はこのまま彼らを見逃すしかないのだろうが、ただで見逃されては彼の気も済むまい。


「イーグレット、ファリエル提督に免じて私はここであなたたちを見なかったことにするわ。でもせっかくだからいくつか教えて、あなたたちが言う『匣庭』ってのは何?」


「…え? あ、『匣庭』は…」


「女王直轄の極秘研究機関とその研究室の呼称よ。そこで私はこの姿と能力を与えられ、彼は死を失った…」


 イーグレットがハッと我に返って私の質問に答えようとしたところを遮り、エルダが答える。あなたに訊いたわけではないのだけど…とも思ったが、イーグレットの表情を見る限り内容に誤りは無さそうだ。


「じゃあもうひとつ、その『匣庭』の所在地は?」


「レギンレイヴ国立自然保護区の地下だ。地上にいくつか隠し通路があって…いや、『あった』だね。今はすべて埋もれているはずだ。マリオネイターシステムが施設そのものの隠滅を図ったからね」


「隠滅? 隠蔽、ではなく?」


「匣庭はグロキリア計画…いいえ、王国の暗部そのもの。女王が死んだ時点で、誰の目にも触れさせずにすべて無かったことにするにはそこにいた人間ごと施設そのものを消してしまった方が手っ取り早い…そういうことよ」


 決起があったあの日、レギンレイヴで大規模な地盤沈下が発生したことは聞いていた。グロキリアやケイフュージュなんて規格外の戦闘機を秘密裏に開発したのがその匣庭とやらなら、その規模はこのパルスクート基地に匹敵…いやそれ以上の空間が地下に埋まっていたと考えていいだろう。

 ダアト地方に設置してあった地震計には大規模な地盤沈下が発生する直前に無数の小規模振動が観測されていた。地震の初期微動かと思われたが、過去のデータと比較するとそのどれとも合致しない奇妙な振動だという話だった。地震でないのなら、なんらかの炸薬による爆発ではないか…という憶測も成り立つ。

 彼らの話に信憑性がまるで無い…とも言えない。というかそれ以前に、やはり私自身が戦友である彼の取った行動の正当性を信じたいと思っていることこそが一番の問題なのかも知れない。


「でもそれを確かめるには、あの見るも無残に変わり果てた自然保護区を掘り返すしかないってことね?」


「物的証拠を押さえるにはそうする他無いかも知れない…が、現実的とは言えないね」


 自然保護区の観光名所にもなっていた広大な湖、そこへ流れ込んでいた水も地表の崩落と共にその地下空間へ浸透しているとすれば、発掘作業は困難を極める。おまけにそうまでして掘り起こした物がお偉方や大衆が納得出来るものである確証も無い。青天井のリスクとコストを支払って得られるのは不確かな可能性…それでは話にならない。


「結局、そちらとしては匣庭と女王が裏で行っていた計画の存在を立証出来ればそれでいいのでしょう?」


 私が思い悩むことではないのかも知れないことで頭を抱えていると、エルダが口を開いた。


「それなら心当たりがあるわ。あなたたちにとっても、信頼に足る相手だと思う」

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