第227話 コンフターティス

 これまでの言動と行動、そしてこの状況になっても尚イーグレットは私を突き出そうとはしない…それが本当に彼個人の自由意思によるものなのか、未だに確信は持てない。だって彼はあの女王の一番お気に入りの人形だったのだ。私の知る彼は…人として生きることを放棄し、女王から与えられた命令に従うことでしか自分の価値を見出せないような人間だった。先日聞いた彼の言葉が本当に本心なのか、まだ見極められずにいる。…だけど、今このまま彼を軍に引き渡すのは嫌だった。


「…何かしら、エルダ・グレイ?」


 カイラス・ヴァッサー少佐の冷たく鋭い視線が私を射抜く。第二次天地戦争後期にはヴァルキューレ隊四番機ヴァルトラオテを操る空中戦のスペシャリストとして活躍したことで一躍有名になった彼女だが、戦争中期は作戦目標を果たすことを第一とするあまり、被弾し落伍しそうな僚機が敵機に追われているのを見捨てるといったことが度々あったため、味方から冷血女帝コールド・エンプレスの異名を与えられていたことはあまり一般には知られていない。そんな彼女の視線に心臓を鷲掴みされたような気持ち悪さを覚えつつ、言葉を絞り出す。


「イーグレット、あなた本当にそれでいいの?」


 わざわざ呼び止めたというのに、なんでこんな言葉しか出てこないのか情けなくなる。こんなことが聞きたいんじゃない…はずなのに、自分が彼に何を問いたいのかが明確に出来ない。


「善いも悪いも無い、ぼくが負うべきぼく自身の罪を清算しに行く…ただそれだけさ。ぼくの目的だった君の脱出はなんとか果たせそうだしね。ファリエル提督なら君を悪いようにはしないだろう、正しく歩むべき道へと導いてくれるはずさ」


 イーグレットが振り返り、私の目を真っ直ぐ見据える。


「エルダ、君はもっと光ある世界を知るべきだ。もはや匣庭も無ければ女王もいない…君が憎しみの矛先を向けるべき相手は、ことごとく破壊された。だから今こそ本当の意味で、君は自由だ。君の未来に幸多からんことを祈っているよ」


 その言葉に偽りや取り繕った色は無い。イーグレットは本当に私をこのまま逃がすつもりのようだ。でも…それならあなたは? 女王の罪を証明し、そのために自らを証拠として差し出そうと言うの? 匣庭の存在を証明し、これまで女王の命令の下で消されてきた人々を公表し、その手を血と罪に染め上げてきたことを告白して…。


「でも、それじゃあなたは…!」


「お前は結局どうしたいんだ、イーグレット?」


 その時、突如言葉を投げ込んできたのはフィリル・F・マグナード中佐。グリフィロスナイツのメンバーであることを隠していた彼の上官でもあった人物。第二次天地戦争においてバンシー隊、そしてヴァルキューレ隊の指揮官を任された、フォーリアンロザリオ軍の中では伝説級のエースパイロットだ。グロキリアのコアユニットとしてティユルィックス少佐と一緒に「搭載」される候補者に名前が挙がっていた。


「さっきから聞いててお前が自分はどうすべきかについての考えは解った。だがお前自身がどうしたいと思ってるのかがいまいち見えてこない」


「ぼくが…どうしたいか?」


 俯き、何か考えを巡らせようと自分の足元へ視線を落とすイーグレットに対してフィリル中佐は更に言葉を続ける。


「人生は選択の連続だとか言われるがな、結局は自分に『出来ること』と『すべきこと』、そして『やりたいこと』…この三つを基準に選ぶしかないと思うんだ。出来ないことは初めから出来ない、一見不可能なように見えても実現可能なことでやるべきと判断したならやらなきゃならん。だけど自分が『やりたい』と思わなきゃ、どんなことも上手くはいかんだろうよ」


「『出来ること』と『すべきこと』、『やりたいこと』…」


 フィリル中佐の言葉を咀嚼するように、小さく呟くイーグレット。


「イーグレット、お前がこのまま軍や警察に行って自分の罪を告白し、その償いをする…それはいい。だけどそれで救われるのは誰だ? そしてそれはお前が救いたい…償いたい相手なのか?」


 それまで足元に落としていた視線を、一瞬だけフィリル中佐に向けて…また伏し目がちに視線を泳がせるイーグレット。


「答えろよ、お前が抱える罪を償いたい相手は誰だ? 国か、女王か、自分自身か、それとも…」


 フィリル中佐の視線がイーグレットから私に向けられる。ただ沈黙を守るイーグレットに、中佐の傍らに立っていたティユルィックス少佐が口を開く。


「ねぇ、イーグレット。もしあなたが罪を背負っていて誰かに償いたいと思っているのなら、償いたい相手の傍から離れちゃ駄目だよ。その償いを相手にも解る形でしなきゃいけないし、その思いを伝え続けなきゃいけない。監獄に入って刑罰を科せられたところで、償いたい相手にその気持ちが伝わらなければ意味無いよ。そしてその思いを伝えたいなら…相手に寄り添わなきゃいけない」


「そんなこと…出来るはずが無い!」


 俯き前髪で表情を隠したまま、イーグレットが突然声を荒げた。


「ぼくは…ぼくのこの手は血と罪に汚れてしまっている。戦場で奪った命だけじゃない、武器も持たない無抵抗の民間人を殺したことだって一度や二度じゃない。女王の意思に反する、女王やグロキリア計画の邪魔だから…ただそれだけの理由でだ! 死ねるのならとっくの昔に首を括っていただろう。だけどぼくは…死ぬことさえ許されない。そんな正真正銘の化け物で、大罪人で、女王の傀儡だったぼくは…王国と共に滅ぶべきなんだ」


 普段は滅多に感情を表に出すことが無いはずの彼が、ここまで感情を曝け出す姿は初めて見るような気がする。頭を撃ち抜かれても、ディソールと死闘を繰り広げてる最中も…ここまで人間らしい感情は見せていなかった。


「…また『べき』、か。お前はさっきからそればっかだな」


「他にどんな選択肢があると言うんだ! グロキリア計画は破綻し、女王は死んだ…今こそこの国は悪しき呪縛から解放され、新しい国家としての産声を上げる。でもそれでめでたしめでたしとはいかないだろう!? 女王直轄特務部隊グリフィロスナイツの生き残りとしてすべてを明らかにし、法廷で裁きを受けるべきだ!」


 昂る感情をありのままに吐き出したイーグレットは若干息を切らし、「だから…そんな汚れたぼくが、エルダの傍にいちゃいけないんだ」と風にさえかき消されそうな声で付け足した。その言葉を聞いたフィリル中佐とティユルィックス少佐は揃って満足そうに微笑む。


「やれやれ、やっと本音が出たな」


「うん、やっぱりそうなんだね」


 二人がその言葉に込めた意味を察してか、イーグレットが表情をわずかに歪める。


「それがお前の答えだろ? お前が償いたい相手は国なんかじゃない。そりゃそうだ、お前だって今までの国の在り方がおかしいと思っての行動だったんだろうしな。やったことに対して後悔はしてないんだろ?」


「それは…そう、だけど」


 苦い表情を浮かべながら、自らの両手を見つめるイーグレット。忌々しいものを見る目…その時、突然脳裏に何かが流れ込んできた。真っ白に塗り潰された部屋、鉄臭い真っ赤な血と二つの死体、そしてそんな部屋の中にいるイーグレットと私。…ああ、私が匣庭を出たあの時か。


『一緒に逃げよう? 私、あなたと一緒なら…きっと外でも生きていける。だから一緒に来て、お願い!』


『………ごめん』


『……なんでよ。あなたと一緒なら、なんとでもなるって思ったのに…。あなたはここに残るの? 私を見捨てるの!? 私の気持ちを裏切るの!?』


『違うよエルダ、ぼくは…!』


『もういい聞きたくない! 死んじゃえ裏切り者!!!』


 今でも鮮明に思い出せるあの時のやり取りだ、部屋を飛び出していく過去の私が視える。そうだ、あの時彼は私よりも国から…女王から与えられる使命を優先した。過去の私が走り去っていった先から聞こえてくる悲鳴…何もかもが私の忌まわしい記憶と同じで、胸が痛む。ふと部屋の中を振り返り、部屋に残ったイーグレットに視線を向けると…彼の頬に、光る雫を見た。

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