第218話 完遂

 体が…ひどく重く、とても熱い。まるで熱した金属製の枷を手足に嵌められ、同じく熱せられた金属のベッドに寝かされているような感覚。鼻を突く肉や化学繊維の焦げる臭い、ひりつく肌に刺すような痛みが絶えず全身を駆け巡る。しかしそのどれもが薄らぼんやりと霞がかかって自分の物と思えないほどにおぼろげだ。


「……! ……!!」


 どこかから、聞き取れない音が聞こえる。怒鳴るような声にも聞こえるけれど、その内容を聞き取るまでには至らない。短い言葉を何度も連続して繰り返しているようだけど…。すべてに対して気力を奪うような倦怠感に意識が埋没していく。


「…ぃ! ……ろ、…ァル!!!」


 聞き取れなかった音が、少しずつ声として認識出来るようになってきた。それと同時に、口の中を鉄臭い血の味が満たしていることに気付かされる。不快極まり無いそれをなんとかしたくて、思わず肺の中の空気と一緒に吐き出す。


「ファル!? おい、しっかりしろ!」


 重たい瞼をなんとかこじ開けると、すぐ近くにこちらを覗き込むフィリルさんの強張った顔があった。視界が狭い、特に右側が…とそう気付いた瞬間、右目からの激痛が脳を揺さぶる。だが体が動かない、呻き声を上げるのが精一杯で右手も左手も右目を押さえることも出来なかった。


「気を強く持て、オレが解るか!?」


「フィリ…ル、さん」


 息が苦しい、浅くしか呼吸出来てないことを自覚する。


「あの、どうして…あなたが…ぐっ!」


 手足を少しでも動かそうとすると激痛が走る。さっきはぼんやりしていた肉と化学繊維の焦げる臭いが強く嗅覚を刺激する。状況を考えるに、その臭いの発生源は私自身であることも、なんとなく理解していた。


「余計なことは考えるな。いいかファル、今にカイラスがヘリを寄越してくれる。それまで絶対に寝るんじゃないぞ!」


 ぺちぺちと頬を叩かれる。何度右目を開けようとしてもやはり開かない。記憶を辿り、私は撃墜されたという事実を思い出す。そうだ、アズライール1に回避を促そうと急接近して…それから、おそらくグロキリアのレールガンに撃ち抜かれたんだ。でもそれなら…なんでこの人が傍にいる? 青空が見える、病院ではない。ヘリが来ると言っていたし、ここが私の撃墜地点直下付近であることは間違いないだろう。


「あの、フィリルさん。まさか、あなたまで撃墜されて…?」


「違う、オレは君に助けられた。君は空中分解直前の機体から弾き出されたが、パラシュートが開かなくて…だからオレもベイルアウトして、落下中の君を捕まえて一緒に降下してきた。パラシュート展開の限界高度ギリギリだったが、オレは賭けに勝った。だから何がなんでも生きてもらうぞ」


 携帯救急キットの消毒液を体に浴びせられ、傷に沁みるというよりはその冷たさに体が強張る。耐Gスーツの胸元から腹にかけては切断されているのか、消毒液が直接肌に届いているように感じる。


「…フィリルさん、私は…どんな状態ですか?」


 その問いに、いつか見た悲しそうな…困ったような表情をした後で、悔しそうに顔を伏せた。


「顔の右半分は火傷がひどい。それから首から下もところどころ焼けて融けたスーツが肌に張り付いて、現状ではどうしようも無い。とりあえず雑菌の侵入を防ぐためにガーゼと包帯で可能な限り覆う処置をする。大丈夫だ、この国の医療技術は天下一品だからな。病院まで持ちこたえれば絶対に助かる、希望を捨てるな!」


 現状の説明と激励を口にしながら腹や腕、足に消毒液を染み込ませたガーゼを包帯で固定していく。顔右半分の火傷…そうか、それで右目が開かないのか。


「そう、ですか…。でも、あなたが無事なら…よかったです」


 この人と離れ離れで過ごした七年間、しかしこの人を女王の妄想から救うために準備を重ねた七年間…報われることなど無いだろうと解っていながらも想い続けることを選んだ。

 しかし結局、私は間に合わなかった。私たちの動きは女王に筒抜けで、でもエルダ・グレイに協力する以外に王国の暗部を白日の下へ引き摺り出す術も無いと判断して今日を迎えた。ともすれば、この人はグロキリアの一部となって女王の傀儡になってしまっていただろう。その阻止に、私は結局直接関わることが出来なかった。それが心残りだったけど、過程はどうあれグロキリアは撃墜され、女王の計画は破綻し、そして今…この人は健在なのだ。ならばそれでいい、私の目的は達せられた。


「君にはいつも助けられる。そんな君に、オレはまだ何一つ返せちゃいないんだ。借りっぱなしで返せないままなんて嫌だからな?」


 そっとフィリルさんの右手が、私の左頬に添えられる。焼ける体の熱も払い除け、その温もりが痛みに上書きされて感じられる。恩を返せてないのは私の方、だからせめて…たとえ反逆者の汚名を着せられようと女王殺害計画を成功に導いて、この人の幸せを護ろうとしたのだ。この人が生きてさえいてくれるなら、この人を護れるのなら…他に何も要らない。その目的が達せられた安堵感に、瞼が自然に閉じる。


「おいファル、寝るな! 目を開けろ!」


 再び頬をぺちぺちと叩かれ、頭が左右に揺さぶられる。遠くからバタバタというヘリのローター音が聞こえてきた。さっき言っていた救助のヘリだろうか。


「死ぬんじゃないぞ! お前はどんなに苦しくとも生きなきゃいけないんだ、生き続ける義務があるんだ! お前が戦いの中で死んじまったら、チサトは死んだ甲斐が無いだろうが!」


 チサト…ああ、懐かしい名前だ。思えば私も、彼女が身を挺して護ってくれたおかげで生き永らえたのだった。あの時は何故私なんかのために、と憤りにも似た思いが芽生えたが…彼女もこんな気持ちだったのだろうか。自分の大切な人を護りたい、その人が生きてくれるのなら…他に何も要らないのだと。それは決して諦めなどではなく、自らの希望を未来に託す祈り…。痛みに耐えながら一度深く息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。すると意識は急速に暗く深く沈み込んでいくのを感じた。


「ファル! おい、ファル!!!」


 何度も私の名を呼ぶ愛しい声にもフィルターがかかったように急速に遠くなり、痛みも熱も…何も感じなくなっていった。

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