第203話 元鞘

「ですが戦後になってフォーリアンロザリオ側の報道を見ていたら、しきりに彼女の名前が出てくるじゃないですか。中尉を含めて元バンシー隊の皆さんが口々に、あの戦争で真の英雄と讃えられるべきはチサト・ルィシトナータ少佐だって。それで…私も彼女のことが知りたくなって、色々と調べたんです」


 幸いにして彼女のことを知る手掛かりに困ることは無かった。あらゆるメディアが注目していたヴァルキューレ隊の面々が彼女の名前を口にするもんだから、生前の彼女について書かれた本や雑誌は簡単に入手することが出来た。戦場では自ら進んで攻撃に参加するスタイルではなく、常に周囲に気を配って敵機に追われる味方機がいればたとえ自分が今追っている敵機が別にあったとしてもそちらへの攻撃を優先するような戦い方を貫いていたことや、所属する部隊では常に場を和ませムードメーカーとして周りから慕われていたこと…そしてその出生を理由に冷ややかな目で見られることもあったということ。

 そこで気付いた、私はただ表面だけしか見ていなかったことに。ルシフェランザの血を引きながらフォーリアンロザリオで暮らす彼女がその後起きた戦争の中で平穏に暮らせるはずが無い。書物に書かれていない誹謗中傷だってあっただろう。そんな…ちょっと考えれば気付けそうなことさえ、戦時中は気が付かなかった。もし過去の私に物言える機会を与えられるなら、当時のルシフェランザ国内にフォーリアンロザリオの人間がいたらどういうことになるかを想像してみろと怒鳴りつけてやりたい。


「今となってはもう想像することしか出来ませんが、是非生きてる彼女に会いたかった…。だから彼女のことをよく知っている中尉にも会ってみたかったんです。今はこんな状況だからゆっくりお話も出来ませんが、もし叶うなら…彼女の話を色々お聞きしたいです」


「…チヒロ曹長」


 中尉が私の名を呟いたのとほぼ同時に、長かった廊下を抜けて広い空間に出る。Cブロック最後部にあるカーゴブロックだ。積み込んだ食料や弾薬・燃料なんかの保管場所だが、その中央にこの場に相応しくない物々しい物体が静かに鎮座している。


「フィリル中佐から伝言です、借りていた物を返す…と」


「これは…オルトリンデ?」


 タカマガハラに辿り着いたゼルエル二機のうち、フィリル中佐が乗っていた偵察型をここに無理矢理積み込んでおいた。フォーリアンロザリオ軍出身のエンジニアたちの助力も借りてFCSを一部書き換え、ミサイルもマホロバ仕様の物を使用出来るようにしてある。


「ローレライもいい機体ですが、やはり中尉にはこちらが似合うと思います。行ってください、急いで戦場に戻らなければならない理由があるはずです」




 第二次天地戦争終盤、共に戦場を駆け共に終戦を迎えた愛機のコクピットに再び座る。計器類に視線を走らせ、記憶の中のそれと照らし合わせる。長年離れ離れだったはずだがあまり変わっていないようだ。機体の電源を入れ、ディスプレイが機体コンディションをチェックし始める。オールグリーン、異常は無い。IFFの設定を書き換えるべくコンソールを操作する。


「? IFF、書き換えるんですか?」


 チヒロ曹長がコクピットの左側から覗き込んでいる。


「ヴァルキューレ隊もオルトリンデというコールサインも、ルティナ女王から与えられたものですから。今の私には相応しくありません。なので…初めてゼルエルに乗った時の名前にしようと思います」


 この機体のことなら、もう隅々まで頭の中に入っている。多少アップデートされていようが基本的なシステムまでは変わっていないらしいし、設定はすぐに完了した。


「行けそうですか?」


「はい、完璧に整備していただいたようで…。有難う御座います、行けます」


 チヒロ曹長はニコッと微笑むと親指を立て、機体から離れていった。正面で機体周辺から全員が離れたことをハンドサインで伝えてくれる整備兵の姿を見て、キャノピーを閉じる。


「あ…」


 その時、あることに気付いて…鼻から胸いっぱいに空気を吸い込み、それをゆっくり吐き出す。


「…あの人の、匂いがする」


 戦後、軍を離れた私に代わってこの機体の主人となったのはフィリルさんだ。目を閉じてシートに体を預け、操縦桿とスロットルレバーを軽く握る。微かに…本当に微かに残る愛しい匂いに意識を落とし、自分が本来いるべき場所へ帰ってきたという実感に浸る。


「カーゴブロック、気密隔壁閉鎖を確認。後部ハッチ解放!」


 後方で外へ通じる巨大な扉が開き、陽の光が入り込んでくる。

「シルヴィ中尉、後方へドラッグシュートで射出します。ドラッグシュート自体は展開から五秒後に自動で切り離されますので、その後はギアを格納してエンジンを始動してください!」


 チヒロ曹長の声が耳元のスピーカーから聞こえてきて、瞼を開く。


「了解しました。…あの、チヒロ曹長」


「はい、何かトラブルですか?」


「いいえ、その…私の方が年下なので、敬語は結構です。それに私は既に軍人ではありません、階級も不要です」


 その顔で、その声で…私をシルヴィと呼ぶことに違和感を覚えていた。彼女には、彼女と同じように呼んで欲しい。しばらくの沈黙の後、短い微笑が聞こえてきた。


「ふふ、了解。でもいいのかな、伝説の最強天才パイロット相手にタメ口なんて…」


「いいんです。それと…出来れば私のことはシルヴィではなく、ファルと呼んでもらえますか?」


「ファル? ああ、そう言えばフィリル中佐やティクス少佐はそう呼んでたね。じゃあ、私のこともチヒロでいいよ」


 呼び名とか言葉遣いとか、なんだか…我ながら変なお願いをしてるな、とこそばゆい気持ちになる。思えば似たようなやりとりが過去にも…と、そろそろ行かなくては。あの人を待たせてしまっている。


「それじゃあファル、覚悟はいい? 行ってらっしゃい!」


「行ってきます!」


 チヒロが放つ拘束解除の合図と共にギアを床に固定していた部品が弾け飛び、同時に機体後部に取り付けられたドラッグシュートが放出される。勢いよくハッチの外まで伸びていったドラッグシュートの傘が開くとアレスティングフックで空母に着艦した時に似た衝撃が体を襲い、機体をアマテラスの外へと引っ張り出す。


「ぐぅ…っ!」


 あっという間に空中へと放り出され、ドラッグシュートが切り離される。今度は重力に引っ張られて降下していく機体は高度を下げながら大量の空気を吸い込み、エンジンを始動させる。


「エンジン1、エンジン2始動…」


 ギアを格納し、スロットルレバーを徐々に前へ押し出していくとエンジン出力が上昇。速度計が見る見るうちに数値を上げ、翼が空気を捕まえて揚力を発生させる。地上へ向け落下していた愛機はその機首を持ち上げ、再び蒼天を目指し舞い上がった。


「フィリルさん、今行きますからね」


 アフターバーナーを点火し、東南東へと急ぐ。この状況、まるでヴァルキューレ隊の初陣の時みたい。愛機はエンジンを換装したのか、あの頃と比べて若干加速性能が上がっているようだ。この子も早くあの人の許へと帰りたがっているのかも知れない…そう思ったら、自然と口元が緩んでいた。

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