第194話 訣別

 だが今この場に立って、ぼく以外にやらせはしない…そんな思いが、ぼくの右手を腰のサーベルへと導いた。古来暴君は、腹心の手によって謀殺されると決まっている。


「そうさ、だから清算するんだ。ぼくの罪も、あなたの罪も!」


 床を蹴りつつ鞘から刃を引き抜く。神経が研ぎ澄まされ、時間がゆっくり流れるような感覚に陥る。ドレスに包まれた陛下の体、骨格を外見から見抜く。右手に握られたサーベルを…少女のような姿をした女王陛下の胸に突き刺す。肋骨に阻まれることも無く、刃はその隙間を正確に貫くと背中から切っ先が飛び出した。


「なっ…かは…っ!?」


 陛下の口から、血が溢れる。心臓を狙ったつもりだけど…まぁ肺は貫いたはずだ。それならいい、血が肺を満たし気道を逆流していずれ窒息する。


「イ…グ、レ……そな…ゴホ、ゲホ!」


 ぼくと同じように肉体の加齢が無い陛下だが、ぼくのような回復能力は無い。匣庭の研究者たちは何が原因でぼくの体がこうなったのか解明しようとしたが、結局解らなかった。ぼくの細胞を培養して他の人体に移植するという実験も行われたらしいが、成功しなかったと聞いている。

 吐血する度に鮮血がぼくの体を濡らし、陛下の顔色は見る見る青褪めていく。


「陛下…あなたの国を思う気持ち、それはきっと素晴らしいものだった。しかしあなたは、国を思うあまり民を思うことを忘れてしまった。大を生かすために小を殺す…そうした選択は上に立つ人間には必要なもの。でもそうして切り捨てられる命に目を向けなくなってしまったら、もう君主たる器では無い。さらば、我が君…」


 サーベルを引き抜きながら、体内を更に切り裂く。大量の血液が噴き出して執務室に真紅の雨が降った。女王の白いドレスは赤く汚れ、唇からは血のあぶくが零れ出る。

 どれくらい時が経っただろう。時折痙攣を起こすが、自分の意思で四肢を動かすような様子は見えない。床に転がり、自らの血の池に浮かぶ陛下の体に再び刃を突き立てる。ビクッと一度わずかに跳ねたがそれ以上の反応は無い。刃を抜いて一度空中で薙ぎ、鞘に納める。


「……」


 血まみれになったマントを気にすることもせず、執務室を出る。間に合わないかも知れないが、まだやるべきことが残されている。




「ちっくしょう、宮殿に弾丸撃ち込むなんて…非国民め!」


 カヴァレリア宮殿の正面玄関では衛兵たちが机やソファなどを積み上げてバリケードを作り、お世辞にも充分とは言えない装備でエルダ・グレイに与した陸軍の部隊と銃撃戦を繰り広げていた。


「衛士長、こっちはもうライフルが弾切れです。あとは拳銃が2マグ!」


「自分のライフルは今挿してるマガジンがラストです」


 元々衛兵に与えられているライフルは実戦なんて想定していない。掲げた時のシルエットを重視した結果フルサイズの弾倉は支給されず、半分程度の弾しか装填出来ないショートマガジンのみだ。そのショートマガジンでさえ数本しか与えられていなかったのだから、護身用に拳銃を携帯していた一般職員まで駆り出して籠城している。そんな状況下でも正面玄関で抵抗を続けられているのは奇跡に近い。


「警察や陸軍からの応援はまだなのか!? 押し込まれたら防ぎようが無いぞ!」


「市民の避難が進んでおらず、近隣各所で渋滞と混乱が発生している模様! 到着予想が返ってきません!」


「こんなことなら、最初の降伏勧告を受けておけば…」


「バカ野郎、それでも宮殿の安全を預かる衛兵か!」


 突然、凄まじい爆発音と振動が襲い、玄関に積み上げたバリケードが吹き飛ばされた。グレネード弾を撃ち込まれたらしい。


「くそ、陛下の避難は!? 守護騎兵殿は何をして…」


「ぼくを呼んだか?」


 煙と埃が舞う中でろくすっぽ狙いも定めず玄関から銃だけ出して撃ちまくっていると、銃声にかき消されそうな少年の声が聞こえた。驚いて反射的に振り返ると黒いマント姿の守護騎兵、イーグレット・ナハトクロイツ大尉が拳銃を右手に佇んでいる姿が目に留まる。


「守護騎兵殿! 陛下は…陛下はシェルターに!?」


「…まだ執務室だ。みんなよく持ちこたえてくれた、外の連中はぼくに任せてくれ」


 そう言うや否や、銃弾が飛び込んでくる正面玄関から勢いよく飛び出していく。死ぬ気か!? あまりに迷い無く飛び出していく姿に一瞬呆気に取られ、直後我に返り慌てて再び玄関から銃撃する。

 ナハトクロイツ大尉は拳銃による牽制を行いながら、左腕に装着した手甲からワイヤーアンカーを射出。遥か遠くの地面へ先端の爪が接地して固定されると、モーターの力で巻き取られるワイヤーに引っ張られる形で大尉の体は弾かれるように加速した。金属板が仕込まれたブーツの踵から火花を散らしながら、大尉はほぼ地面に寝そべるような格好でスライディングしていく。時折被弾してバランスを崩しかけるが、それでも速度を緩めることなく突撃。滑りながら拳銃による銃撃を続け、間もなくアンカーの設置点というところで地面を蹴って宙を舞う。空中で拳銃を捨て、腰のサーベルを引き抜いて着地するとすぐさま近くにいた兵士に斬りかかる…まるで流れるような動作だった。


「くそ、女王の狗…ぐあ!?」


「指が…畜生、指がぁ!」


 防弾仕様のボディアーマーを着込んだ兵士たちの手を狙って斬りつけ、アンカーを地面から抜いて巻き取ると再び射出、兵士の着ているアーマーに先端を突き刺して固定しワイヤーを巻き取って引きつけると楯にした。


「卑怯な…!」


「全員銃を下げろ! ぼくに銃は通用しない、そしてぼくが君たちと争う理由はもはや無い!」


 ナハトクロイツ大尉の叫び声が響き渡る。


「黙れ、女王の狗め! 狂った女王の悪行を白日の下に曝し、膿を出し切らねば国は変われない!」


 その時、一発の銃弾がナハトクロイツ大尉の頭部に命中…血飛沫と共に肉片が飛び散る。糸が切れた人形のように崩れ落ちる大尉…が、脚が倒れかけた体を再び支えて体勢を整えた。頭を半分失って尚、左手の拘束も緩めず右手に握るサーベルの切っ先を周囲の兵士に向けるナハトクロイツ大尉の姿は…異様、という言葉以外の表現が思い付かない。


「……言っタだろウ、ぼくニ銃は通用シナいって」


「くっ、化け物め!」


 凄惨な姿を宮殿内から目撃した事務員はたまらず部屋の隅へ駆けて行き、胃の内容物を残さず床にぶちまけている。なんなんだあれは…。やはり体中至る所に銃弾を受けていた。なのにそれらを気にすることも無く、ぼろぼろになった漆黒のマントを赤黒く染めて立つその姿は…まさに人外のそれだった。


「…女王の罪を白日の下に曝す、か。それはいい、是非そうしてくれ。ぼくもその罪の一部で、ぼく自身が罪そのものでもあるけれど」


 吹き飛んだ頭の傷が見る見るうちに回復していく。たちの悪いホラー映画のような光景を見せ付けられて最悪な気分だが…。ふとナハトクロイツ大尉の言葉に違和感を覚える。なんだか、敵側に同調しているように聞こえたんだが…?


「これ以上の戦闘行為に意味は無い。もう一度言う、全員銃を下ろせ! 彼らを女王陛下に謁見させる」


 ナハトクロイツ大尉の考えは解らないが、もはや弾薬もほとんど底を突いている我々に抵抗する力は残されていない。宮殿の中にいた人間はそれぞれ顔を見合わせると、手に持っていた銃を床に捨てた。

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