第193話 理非曲直

 宮殿からでも遠くにロンギヌスの炎が見え、衝撃波によって窓がガタガタと揺れた。ロンギヌスが完成していたことにも驚いたが、それがケイフュージュに搭載され…あろうことか自国民へ発射された事実に言葉を失った。わなつく拳を押さえつけ、静かに佇む女王に問う。


「陛下、この事態も…想定内ですか?」


 愚問だ。エルダと共に決起したメンバーがフォーリアンロザリオやイクスリオテの軍人だということは解り切っているし、ケイフュージュを操縦しているのはディソールに違いない。ケイフュージュの開発はグロキリアと同様に匣庭で行われていたのだろうし、あそこは女王の管理下にあるのだから。


「あそこで、たった今犠牲者が出たのですよ? 一体何人死ぬんだ、一体なんのために!?」


「…国の安寧のために犠牲となるは、軍人の本懐であろう」


「勝手なことを言うな、軍人だって人間だ! 自分のためや大切に想う誰かのためになら、笑って死にに行ける。でも国の安寧なんてよく解らない漠然としたものなんかのために、誰も彼もが命を捨てられるなんて思うな!」


 どれだけ訓練を積んでいても死は恐ろしいはずだし、命を捨てる覚悟を決めるというのは容易いことでは無い。第二次天地戦争の最中、様々な戦場を駆ける中で戦友たちの生き様と死に様を目の当たりにして…戦後改めて振り返ることで死ぬことの無いぼくでもその解に至った。


「誰だって生きていたい、誰だって夢見る明日があって愛する人がいるんだ。それらを手放し諦めるにはとてつもない覚悟と自らを納得させるだけの理由が要る。陛下はこんな戦いで散る彼らの骸に、一体なんと声を掛けるおつもりか!」


 今まで陛下に対し、ここまで声を荒げたことは無かった。だが抑え切れない感情がぼくを突き動かす。陛下からの返事も待たずに続けて言葉を投げつける。


「陛下の国を憂う御心…それが本物だと信じたからこそ実験にも協力し、文字通り全身全霊を捧げ尽くしてきたつもりです! しかし…しかし今、ぼくには陛下の御心が理解出来ない!」


「…そうか、そなたにそう言われると寂しい限りじゃ。だが、たとえ誰の理解も得られずともグロキリア計画は完遂する。それこそがこの国に悠久の安寧をもたらす、最良の可能性を導く選択なのじゃ」


「稀代の能力者である陛下が、何故このような道しか選べないのですか!? 最初は国家主導による新技術の研究開発が目的だったはずの匣庭がいつしかその存在と研究内容は秘匿され、成果のみが匿名で民間へ供与されるような影の組織へと姿を変えた。そうすることで初めて出来た実験…その成果は認めましょう、だがそれを差し引いても許されるべきことじゃない」


 エルダの言う通りだ。そんなもののために国民の生活を犠牲にしていいわけが無い。匣庭で生まれた技術でそれまで不治の病とされていた難病を治療する方法が数々発見されてきた事実はあっても、その陰で失われてきた数多の命や人を人とも思わないマッドサイエンティストを量産してしまった罪は拭えない。

 陛下は一瞬苦虫を噛み潰したような表情をした後で深く息を吐き、言葉を紡ぐ。


「イーグレット、これは歴史の必然なのじゃ。妾がやらずとも誰かがやらねばならぬ、先程から言っておるじゃろう。国を国たらしめているものが崩れんとしている…それを止めるための必然、それが匣庭でありグロキリア計画じゃ」


「そんな御託は聞き飽きた! 本当にお解りでは無いのか? 陛下ご自身の罪を!」


「妾の罪もいずれ問われよう。されど計画を進めるにあたり、事ここに至っても尚誰一人妾を止めようとせぬ。それがこの国の真実じゃ。誰もが妾のすることに異を唱えず、妾の言葉を疑いもしない。妾のするに任せ、己で考えることを放棄しておる…あの戦争を経ても尚政府はそんな連中の集まりよ」


 諦観に満ちた陛下の声。グロキリア計画によって生み出された新技術…そのうちの民間転用出来る技術に関しては少しずつ外部へと売却され、匣庭運営の資金源になっていた。だがそんなものでは到底賄えるはずも無く、国庫からも少なくない資金が流れていた。

 その帳簿を合わせるためにも幾人かの官僚がトカゲの尻尾として闇に葬られた。そういった者たちを消してきたのはぼくたちで、消させてきたのは陛下。陛下に異を唱える者は消されるというシステムをその手で構築しておいて、一体何を言うのか。殺されるリスクを冒してまで己の意見を口にする覚悟を民間人に求めようと?


「命懸けで国を良くしようとする人材が政府におらぬようで、民が国を顧みることがあろうか。イーグレット、そなたには解らぬのか? そんな国がどうなっていくのか。己の命を懸けてでも事を成そうとする大人がいない国を見て、子供たちはどうなる? 模範となるべき大人がいない子供たちは自らの指針を見失い、負うべき責任から逃げ続ける大人たちを見ては自分の血にさえ誇りを持てなくなっていく。そんな大人が蔓延はびこる国を誇れるはずも無く、未来に夢を描くことさえ出来なくなってしまう。絶望の中で子供たちは刹那的な快楽に身を委ね、国は乱れていく」


「だから何故そのような…!」


「それが真理よ。先の世を視てきて妾は悟った。悲しいが人は肉体的にも精神的にも決して強い生き物ではない。群れてなければ生きれぬくせに、簡単に他者との和を乱す。騙し、裏切り、怠惰で傲慢…人も小川の水や小枝の花と同じ。さらさらと流れているだけならば良いものを、水は清ければ清いほど染まりやすく穢れやすい…そして高みから低地へ流れるように、一度堕ちれば二度と高みへ上ることは無い。花のように可憐に咲いて見せても、そうして天真爛漫に咲いていられるのもほんの束の間…人の世の現実を知れば知るほど病んで枯れ、落ちて朽ちる。人は楽を知れば、進んで苦難を選びはしない。楽に堕ち、堕落する…。ならば統治する者が与えてやらねば、誇れる国を、誇れる血を! その実現のためならば如何に骸の山を築こうと構うものか、選民思想と揶揄されようと構うものか! 妾にはこの国を永劫守り続ける義務がある!」


 陛下の人間に対する絶望、ここまで強く宿るに至った経緯は解らないが…きっと真実である部分も多分にあるとは思う。きっと平和が続けば、そんな未来が訪れる可能性もあるのだろう。だけど…!


「それでもぼくは、人の未来に絶望なんかしていない。人は苦難の中で学び、己の愛すべきものを知る。それは誰かに与えられるようなものなんかじゃない、誰かから押し付けられるべきものなんかじゃない!」


「それでは人は堕落する。それが何故解らん、イーグレット! 如何ともし難い絶望を前にした時、人は口を噤み抗うことを諦める。そなたでさえその一人であったろうに!」


 匣庭であらゆる苦痛と絶望を味わい、笑うことも泣くことも忘れた頃を思い出す。確かにぼくは人形だった。国内で暗殺任務に就いた時も、命乞いをする非武装の民間人を殺した時も…何も感じなかった。そういうものだ、と考えることを放棄していたと言われればそうだろう。そんなぼくに物を言う資格があるのか、と自問しても答えは出ない。

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