第175話 ファリエル・セレスティア

「この場所の名称はこちらに書いてありますが、この三文字でタカマガハラと読みます。古くからこの地方にて語り継がれていた土着信仰の神話に登場する、神々の住まう場所の名からいただきました」


 ファリエル議長が隔壁に書かれた文字を指さし、読みを教えてくれた。三文字なのに六つの音なのか、不思議な文字と響き…。神様の住処にしては…ちょっとファンタジー性に欠ける気がするけど、火山の噴火口跡にあるってことは山岳信仰なのかな?


「そして御二方をここへお招きした理由は、主に二つ…。ですがその理由について語る前に、御二方にお尋ねしたいことがあります」


 ファリエル議長の真剣な眼差しが、フィー君と私に注がれる。


「御二方は、この世界はどう在るべきとお考えですか?」


「世界の…在り方?」


 漠然としていて、スケールのデカい質問に答えが出せずフィー君と二人顔を見合わせる。


「申し訳ありません、質問の仕方を間違えてしまいましたね。私は何も哲学的な問答をしたいわけでは無いのです。ただ…あの戦争を終結に導いた英雄である御二方は、今のこの世界をどのように見ていらっしゃるのか…それをお聞きしたくて」


 右手でそっと口元を隠しながら笑みを浮かべるファリエル議長。なんだか仕草までお姫様だけど、こういうのが自然に見えるって小さい頃からの教育の賜物なんだろうなぁ…。でも顔は笑っているのにその視線は鋭いままで私たちをじっと見据えている。なんだか胸の内まで見透かされそうな瞳でちょっと居心地が悪い。


「七年前、戦争は終わりました。互いに多大な影響力を持つ当事国同士の同盟協定も結ばれ、世界はこれで平和になる…きっと誰もがそう思ったはずです。しかしあの戦争で疲弊した両国は戦前まで持ち得ていた影響力を失い、多くの独立国家を生むに至りました。広い国土や傘下の国々にそれまでのような恩恵を享受することが難しくなってしまったのですから、それは致し方の無いこと。しかしそれでも尚、失い過ぎた人口のせいで冷え込んだ経済の立て直しもままならず、多くの人が今も貧困に喘ぐ日々を送っています。そういう意味で言えば、あの戦争は未だ終わったとは言えないのかも知れません」


 話しながら悲しげに伏せた顔に影が差す。ファリエル議長の言う通り、フォーリアンロザリオでも企業の倒産や勤労世代の不足による税収低下…おまけに戦争遺族への生活保障などで国の財政は火の車らしい。きっとルシフェランザだって似たようなものだろう。今日通ってきた昔の軍事拠点だって、最低限の復旧が施されただけに見えた。プレハブみたいな小屋がいくつも見えたし、丸一日以上かけて戦ったプラウディアだって要塞を囲む壁の至る所に設置されていたVLSのほとんどは、仮設の蓋で雨風を入れないようにしてあっただけ。ガンタワーも取り壊されていて、かつて私たちを苦しめた防衛拠点としての堅牢性は失われているように見えた。


「しかしそれでも…私は戦後の世界の方が好きです。少なくとも、日に数千数万という死者が出るようなことは無いのですから。日々の苦難に際しても尚、よりよい明日を目指して努力する人々の逞しさが見えますから。明日は死ぬかも知れないと怯えること無く、皆が静かな夜を眠ることが出来るのですから…」


 テレビで初めて見た時から綺麗な人だとは思ってたけど、声もとても綺麗で…スッと心に浸透していくような感覚を覚える。ちらりとフィー君に目を向けると、同じようにファリエル議長から目が離せないでいるようだ。


「戦争とはなんでしょうか…。国際的に認められている外交手段のひとつ…戦争の実態を理解しない自称知識人はそんな言葉でさえずるのでしょう。でも、考えてみてください。およそ5000万人の命が失われた、あの戦争が外交だったと言うのですか? 私たち政治に関わる人間は、誰もが国を思って日々己に課せられた職務を遂行しているはずです。では国とは? そこに住まう人々であり、営まれる生活であり、育まれた文化であり…それらを支える風土を指す言葉であるはずです。なのにあの戦争で私たちは何を見たのでしょう? 大地は焼かれ、暮らしは破壊され、人々はあらゆるものを失いました。それが私たちの選択した外交の結果だと言うのなら…そんな選択などすべきでは無かった!」


 必死に感情を抑え込もうとしているようだけど…隠し切れない怒りや後悔といった感情が紡がれる言葉に滲み出ている。


「しかし、時として私たちでも受け止め切れなくなるほど国民の意思や感情が暴走してしまうことがあります。それらはマスメディアや一部の過激な団体によって増長され、気付いた時には既に望まぬ方向へと舵を切らざるを得ない状況を作り上げられてしまう。波に乗せられた議員たちもそれが国民の声だと声高に主張し始め、宥めることで受ける反発よりも同調することを選んでしまう。そうなってしまっては…もはやどうすることも出来ません。国には軍があり、軍事力の発動権限は政府にある。政府が戦争という選択をしてしまったならば、軍は動かざるを得ません。そして一度始めてしまった戦争はその規模が拡大すればするほど終着点を見失い、犠牲者は徒に増え続けてしまう…。痛みは悲しみに、悲しみは怒りに、怒りは憎しみに、憎しみは他者へ更なる痛みを与えんと暴れまわる。撃っては撃たれ、また撃ち返す…そうして築かれた骸の山を見て、人々は初めて己の愚かさを知るのです。これほどの不幸が、果たして他にあるでしょうか?」


 前に読んだ本で、人はマイナスを知って初めてプラスの価値を知るって書いてあったのを思い出す。本当の悲しみを知らない人には、本当の喜びも理解出来ない。本当に苦しんだ人でなければ、本当の幸せにも気付けないものだ…そう書かれていたのを覚えている。常に幸せな人は、この世で最も不幸な人である…と。


「軍事力は…兵器は、既に人の手に余る代物となってしまいました。剣や槍ならまだしも、今やスイッチひとつで数十万人を一瞬で殺せる兵器だって存在してしまって…命の重みも、理解しない人が増えてしまっています。政府が国民感情をコントロール出来ず、軍も政府の管理下にある現状のままでは…いずれまた、戦争は起きてしまう。軍が不要だとは言いません。しかし戦争を無くすためには…平和を維持するためには、軍事力は人の手が容易に届かない場所で管理されるべきなのです」

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