第166話 袂別
「う、うぅ…」
ふと背後から呻き声がする。まさかと思って振り返れば、イーグレットが撃ち抜かれた右目を手で押さえながら起き上っていた。
「う、嘘…。イーグレット!」
緩慢な動きとはいえ、彼自身の意思による動作に感動しながらイーグレットに駆け寄る。頭の傷口に目をやると…吹き飛ばされた分だけの肉が驚くべき速度で生成され、傷口を塞ぎ修復されていく様子を見て嬉しくなる。冷静に見ればグロテスクという表現では生易しいレベルの光景であるはずなのに、嫌悪感など微塵も感じない。
「あ、エルダ…。ひどいこと、は…されなかった?」
「うん、大丈夫。それよりイーグレット、あのね…私、能力者になったのかも」
イーグレットの右手の指の隙間から撃たれて飛び散ったはずの右目が現れて私を見つめてくる。普通なら恐怖するのかも知れないが、ここでの生活に慣れ過ぎたのか、やはり気味悪さは感じない。むしろイーグレットの姿が普段のものへと戻っていくことが嬉しかった。
「能力者に…? 何か、発現したの?」
「うん、見てて?」
泡を吹いて転がってる白衣男の顔面を蹴り飛ばし、無理矢理意識を覚醒させる。
「ぐあっ! …ひ、ひぃ!? やめてくれ、もうやめ…!」
悲壮感漂う表情で私を見上げ、慈悲を求めてくる。だがそんな姿を見せられても、私の苛立ちを増幅させるだけだということがまだ解らないらしい。私が慈悲を求めた時、お前たちは一体何をしてくれたか忘れたわけでもあるまいに…。もう一度蛇に体中を這われ、ぎりぎりと締めつけてくる感覚を思い出す。
ああ、それだけじゃ足らないな。あの鋭い牙に噛まれた痛みも付け加えようか…。
「ぎゃあああっぁぁああぁああ! 痛い、痛いぃぃいいいいっぃいい!!」
そう言えば蛇の筋力ってすごいって聞いたな。この声もいい加減耳障りだ、そろそろ大人しくなってもらおう。前に実験で蛇が首に巻き付いて呼吸が出来なくなったことがある。あの時の感覚を思い描くと、それがこの男にリンクするようだった。
「がはっ、けひゅ…ひ…」
実体の無い蛇を振りほどこうとしているのか、喉元を掻き毟るような仕草を繰り返す。呼吸が途切れ、目は血走って必死な様子が伝わってくる。ああ、いい気分…本当にいい気分。
「エルダ、これは…」
「私ね、相手がどんなものが怖いのかとか、どんなものが嫌なのかを読み取れるようになったみたい。こいつは蛇が嫌いらしくてね、前に実験で沢山の蛇に体中這われて巻きつかれて締め上げられたことがあったから、それをイメージしたら苦しみ出したの」
目の前では上手く呼吸が出来ないまま手足をばたつかせ、必死の形相で泡を吹きながら恨めしそうに私を睨みつけてくる無力な男。
「け、けは…ぐぅうぅ…」
それまで喉元を引っ掻いていた両腕がだらりと脱力し、ズボンの股間からは失禁を示すシミが広がっている。なんだ、もう死んだのか。既に失われた体の感覚が欠損後も残り、無いはずの部位の痛みなどを脳が錯覚する
「…この力で、人を殺せるんだ。イーグレット、これで私たちここから逃げられるよ!」
こいつらは銃を持ってたが、ここの白衣連中が武器らしい武器を持っているところはあまり見ない。それにこの力は精神攻撃…ナイフみたいに近寄る必要も無く銃のように弾数制限があるわけでもない。今の二人である程度コツは掴んだし、地上に出るまでそれほど障害も無いだろう。邪魔する連中は全員地獄を見せてやればいい。
「行こう、イーグレット! 私たち自由になれるんだよ? こんな地獄を抜け出して、外の世界に…」
身も心もボロボロになって、やっと見つけた希望の光。ここを出たところで、何があるわけじゃないかも知れない。だけどここよりは絶対マシなはずで、イーグレットと一緒ならなんとかなる気がした。これだけの地獄を耐えたのだもの、どんなことだって乗り越えられるはずだった。なのに…彼は顔を伏せる。
「…ぼくは、行けない」
「え?」
あまりにも予想外の言葉に、思考が止まる。
「な、なんで?」
「君も見ただろう? ぼくは頭を吹き飛ばされても生き返る、死なない体なんだ。老いることも無く、どんな猛毒もぼくを殺すことは出来ない。そんなぼくの体を使って、色々な手術法や治療薬の開発を行っている。たとえ失敗してもリスクが無いから、好き放題切り刻まれたりありとあらゆる毒を飲まされもしたけど…そのおかげでこの国の医療技術は劇的に進化するって言われたんだ。今まで不治の病とされていた病気だって治せるようになるかも知れない、ぼくが受ける苦痛は決して無駄にはならないんだよ」
ふらふらと立ち上がると、ベッドに腰を下ろすイーグレット。その態度に、脱出しようという意思は感じられない。
「解らない、なんでそこまでするの!? やっと…やっと自由になれるかも知れないんだよ!? その力を得たっていうのに! 解らない…解らないよ!」
「エルダ、君は行くといい。君という成功例が現れてしまえば、この実験は更に加速するだろう。でも君がその力を使って逃げおおせれば、一定の成果は出たものの管理・運用に難ありと判断されるかも知れない。だから…」
「そんな言葉が聞きたいんじゃない! 一緒に逃げよう? 私、あなたと一緒なら…きっと外でも生きていける。だから一緒に来て、お願い!」
右手を差し出し、懇願する。彼は一度顔を上げて数秒私を見た後、視線を逸らした。ごめん、と拒絶を意味する謝罪の言葉を零しながら…。
「……なんでよ」
差し出した右手は空を掴み、だらりと重力に引かれて下へ垂れる。
「あなたと一緒なら、なんとでもなるって思ったのに…。あなたはここに残るの? 私を見捨てるの!? 私の気持ちを裏切るの!?」
感情が抑えられない。怒りと悲しみと憎しみが、まるで間欠泉のように噴出してきて思考を埋め尽くす。
「違うよエルダ、ぼくは…!」
「もういい聞きたくない! 死んじゃえ裏切り者!!!」
そう叫んで部屋を飛び出した。廊下を走り、周囲に感じた気配のすべてに本能的・生理的恐怖を撒き散らす。木霊する阿鼻叫喚の中を、私は地上を目指して突き進んだ。
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